第6話 大団円
湿気のある陰湿な部屋は、今までの感覚からいけば、最悪の世界であった。
しかし、明かりが見えてくるようになると、その部屋は、実際には、そこまで嫌だという雰囲気ではないように感じられたのだった。
その場所にいると、ベッドに寝かされているのを感じ、先ほどまで陰湿で冷たいと思っていた印象が、実はそうでもないと思われた。
最初は、まるで、監獄にでもいるような感じで、牢屋の中では、トイレもベッドも一つだけで、まるで、
「捕虜にされたかのようだった」
それを思うと、大日本帝国を思い出した。
「戦陣訓」
における、
「虜囚の辱めを受けず」
というが、確かに捕虜になるということは、
「何をされるか分からない」
ともいえるのだ。
昔の満州国で存在した部隊の中で、
「丸太」
と呼ばれる捕虜が、陸戦協定で決められた捕虜に対する扱いに対して、
「常軌を逸した」
かのような状態になっているので、
「捕虜になることを思えば」
ということも、あながち、ウソだということはないのではないだろうか?
だからといって、
「玉砕」
や、
「特攻隊」
のようなことが許されるというわけではないが、少なくとも、
「今の日本国民には、想像を絶する世界だった」
といってもいいだろう。
実際に、
「捕虜に対しての、ひどい扱いは、日本芸に限ったことではない」
そもそも、明治時代の日本は、戦争において、
「これほどない」
というくらいに、捕虜に対しての扱いは、慈悲に満ちていて、
「国際法を遵守する」
という意味で、これ以上ないというくらいの、
「素晴らしい軍隊だった」
といっても過言ではないくらいだった。
しかし、他の国でも、
「軍隊が民間人を虐殺する」
などというのは、ざらにあったこと、日本も、南京事件などを大げさに言われるが、どこまで、
「盛っている」
といっていいのか分からない。
何といっても、
「相手が公表している被害者の数が、当時の、南京市民よりも、はるかに多いというのはどういうことであろうか?」
要するに、
「語るに落ちる」
とはこういうこと、
「巨大なブーメランが飛んでくることになる」
といっても過言ではないだろう。
それを思うと、
「大日本帝国」
というのは、
「他の帝国主義国家に比べても、マシだったのかも知れない」
と感じるのだ。
まさに、
「勝てば官軍」
とは、このことであろう。
戦争というと、時代的にも、いろいろな問題がある。終戦とともに、敗戦国に限らず、勝戦国であっても、
「証拠隠滅」
のための、工作が必要になったりする。
そんなことを考えると、大日本帝国にあった、特殊工作部隊であったり、特殊部隊などというものは、
「証拠隠滅」
に躍起になっていたことだろう。
「証拠がないのが、その証拠」
といってもいい。
「ポツダム宣言を受け入れる日を決めておいて、そこから、証拠隠滅に走る」
だから、ソ連が、満州に攻めこんで、その日から1週間ほどでの、終戦ということになるので、それまでに、すべての証拠を隠滅しなければいけない。
一番の問題は、
「生存している捕虜の始末」
ということだっただろう。
言語を逸する言葉なので、ここでは、公表できないが、一人として、残してはいけない。
ただ、抹殺するだけでなく、
「穴の中に葬らなければいけない」
というわけだ。
何といっても、莫大な、実験結果の資料。
「それの焼却だけで、焼却炉がいくつもあったにも関わらず、全然足りない」
という話を聴いたことがあったが、そんな状態で、よく、
「証拠隠滅」
ができたものだ。
「某国が絡んでいる」
というのも、なまじウソではあるまい。
といえるだろう。
そんな中で、これは、史実び残っている、部隊ではないのだが、別の部隊として、こちらは、まったくの、
「根も葉もないウワサ」
と言われているが、その部隊というのが、
「記憶喪失に追い込む研究」
だというのだ。
それだけの日本軍の行ったことを、捕虜や、関係者に喋られてはいけないわけだ。
そのために、殺害するとしても、数の多さは、いかんともしがたい。
だから、抹殺するのではなく、
「記憶から抹消してしまえば、何も証言ができない」
ということで研究されていたという。
表向きは、
「ロボット開発」
のようなものだったという。
実際に、最初は本当に、
「ロボット開発」
だったのだ。
それだけ、ロボット開発を真剣に考えていたのだろうが、戦争状態が怪しくなってきたことで、軍の方とすれば、
「敗戦した時のこと」
というのを、真剣に考えなければいけなくなった。
それを思うと、
「証人になりそうな人の記憶を消す」
ということと、さらにその先には、
「人間を機械的に洗脳する」
という研究も並行して行っていたようだ。
そのために、
「マルタ」
の一部をこちらにもらい受け、実際に、研究していたという。
終戦時は、こちらの証拠隠滅も大変だったようだが、そもそもウワサにもなっていないのだから、そこまで慌てる必要はなかったのであろう。
「ここのサナトリウムがどういうところなのか?」
ということは、最初は秋元には分からなかった。
そして、いろいろ考えてみるところで、
「そういえば、以前、何か似たような小説を読んだことがあったな」
というのを思い出した。
小説というのは、正直恐ろしいもので、それが、真実を示していれば、
「これほど、恐ろしいことはない」
といえるようなものだった。
それこそ、
「戦時中の、人体実験を行っていた施設が、不条理なことを行ってはいたのだが、結果それが、今の時代に受け継がれ、必要とされる研究」
あるいは、
「やむを得ず」
というべき研究に、
「携わっていたのだ」
ということになると考えると、その恐ろしさは、考えられないといってもいいだろう。
時代的には、戦後から、高度成長時代にかけての社会派小説っぽくて、その元となるのが、
「戦勝中における、秘密研究所」
ということで、まさに、例の
「証拠はないが、限りなくブラックな、組織的研究所」
ということをテーマに描いたものだった。
それをプロローグで説明し、そのまま、
「あたかも、実際にあったことであるかのように、実しやかに囁くような書き方をしていた」
というのである。
そして、その本では、明らかに証拠がないことを、
「某国も関わっている」
と書いている。
そうでなければ、
「これから、敗戦を迎える」
という大混乱の中、あそこまで鮮やかに証拠を消し去るなど、敗戦国だけで、そんなことができるわけもない。
そのため、
「本来なら、この世から抹殺された研究所なので、それらの資料が残っているわけはないのに、某国では、人体実験でもしない限り証明できないことを、公言し、それをあたかも、自分たちの科学力が優秀だからできたのだというような話をしているのである」
それを考えると、完全な、
「火事場泥棒」
である。
確かに、その研究を平和利用することで、どれほどの、かつて言われていた、
「不治の病」
というものが、今では、どれほどの数、手術も必要なく、投薬だけで、完治するということになるのである。
実に、すごいとこではないだろうか?
そんなことを考えていると、
このサナトリウムが、夢ではなく、本物だという意識は、まだ本物ではなかった。
「どこか、頭がすっきりしているわけではない。スッキリしないから、サナトリウムが見えている」
といっても過言ではない。
サナトリウムが、いつ頃からここにあるのか?
ということも想像がつかないし、見る限りでは、最近建ったというものでもないのは、一目瞭然である。
中を見たわけではないが、表を見るだけで、中の様子は分かるというもの、先ほどチラッと感じた。大いなる湿気を帯びた建物を、
「最初は気持ち悪い」
と感じたが、それがそのうちに、
「慣れてきたかのように感じる」
という感覚は。
「それほどの気持ち悪さという感覚を、マヒさせるかのように思える」
ということであった。
その小説で、そういうシチュエーションを読んだことで、中に入った気がしたのだ。
そこは、病院としての
「サナトリウム」
であるはずなのに、鉄格子の部屋になっていて、そこ以外は、コンクリートで固められ、絶対に逃れることのできない、そんな場所では、
「拘束された部屋」
ということで、精神的な脅迫観念に襲われてしまっているのが、恐ろしいのであった。
こんな恐ろしい状況において、
「いつどのように、逃げればいいのか?」
ということで、
「その場所から退避するということは、逃げているということに他ならない」
と思うことだったのだ。
必死になって逃げているという印象が、すぐには結び付かない。これが、本に書いてあった、
「慣れ」
というものであり、結局、
「感覚がマヒしてしまう」
ということになるのだった。
そんな状態において、その小説が結局何が言いたかったのかということは、最後まで読んでも分からなかった。
何度も読み直してみたが、結論にいたるわけではなく、むしろ。
「何度読んでも、着地点が、共通ではないのだ」
ということで、却って頭が混乱するという意味で、
「読み物としては、反則といっていいものでは?」
と考えたが、逆の意味で、
「作者の術中に嵌ってしまった」
と考えれば、
「俺にとって、今ではあの本が、何かのバイブルのように思えてならない」
と感じた。
それが、
「倫理的なもの、道徳的なものが、正しい」
と考えれば、
「本当に、その通りの発想なのだろうか?」
ということになるのだった。
そんなことを考えていると、
「おや?」
と感じることがあった。
というのは、その本のことを、実はつい最近まで忘れていた。
「バイブルであるかのように思っていたはずなのではないだろうか?」
と、どこか矛盾した発想を頭の中で抱いていたのだ。
バイブルというものは、
「普段から定期的に意識してこそ、バイブルなのだ」
と思うと、その存在を、少なくとも、一瞬たりとも忘れてしまうというのは、まずいということであろう。
そう思うと、
「俺は、どこかで、記憶喪失のようになっていたのではないだろうか?」
という、何とも突飛な発想が頭をもたげた。
記憶喪失というのは、
「記憶を失うことで、何かの辻褄が逢い、そして、記憶喪失ということが、矛盾でなくなるということになるのだ」
という、当たり前のことを、当たり前に言っているだけのことなのだが、本当にそうなのだろうか?
記憶喪失で、問題になると考えるのは、
「その長さである」
とも考える。
記憶を失うことによって、
「自分を信じられなくなる」
という感情であったり、それが、ひどくなると、今度は、
「自己嫌悪」
に陥ってしまうということになる。
これらの悪循環を、どこで断ち切るかということになるが、
「記憶を失う」
ということが、本人の本能であったり、潜在意識によるものであったのだとすれば、
「それは、記憶を失うということ自体に、悪いということはないのではないか?」
と感じるのであった。
これらのことを考えると、
「記憶喪失者」
というものは、
「どこから気を失う」
ということになるのか?
それが、
「いつからなのか?」
さらには、
「どの段階からなのか?」
ということを考える必要があるということであろう。
そもそも、記憶を失うということは、
「思い出したくない記憶を、封印しようとしている証拠ではないか?」
ということであれば、それなりに、辻褄が遭うということになるのではないであろうか?
そういえば、この小説では、
「キチンと、記憶を失うことができる人間だけではない。それ以外に、機械との相性が悪いのか、ちゃんと記憶が喪失できない人間は、それでも、組織としては、記憶を失ってもらわなければいけない」
ということで、
「この研究室で、記憶を喪失させる装置の開発を、急務としていた」
というのだ。
しかし、それだけではなく、
「その時、記憶を失わなければならない状態で、記憶を消去することができなかった人間をどうするか?」
ということが当然のごとく、問題になる。
「抹殺すればいいのか?」
ということになるが、そういうわけにもいかない。
「誰かが、行方不明になった」
ということになっても、まずいのだ。
つまりは、本人はちゃんと存在していて、記憶だけを喪失させるしかないのだ。
そこで考えられた強引な方法として、一種の、
「電気ショックのようなもの」
であった。
ただ、その場合には、一種の副作用があったのだ。
というのは、
「頭のある一点を刺激して、思い出してはいけない部分の記憶を一時的にであるが消してしまう」
ということだった。
「一時的でもいいのか?」
ということであるが、それは問題なかった。
一時的にでも記憶が途絶えてしまうと、本人は、それを夢だと思い込み、覚えていたとしても、夢だけで片付けてしまうのだ。
しかも都合のいいことに、まるで記憶喪失に罹った時同様、記憶を取り戻そうと、意識すると、激しい頭痛に襲われるのだった。
つまり、頭痛が起こるというのは、
「記憶を取り戻すことへの自分の拒否反応である」
といえる。
だから、記憶喪失というのは、
「誰かの手によって、無理やり仕込まれた」
という人がいるが、まさにその通りだ。
そして、その、
「誰か」
というのが、本人そのものである可能性だってある。
いや、
「限りなく本人ではないか?」
というおかしな表現だが、その通りだといってもいいだろう。
それを考えると、
「このサナトリウム自体が、その記憶喪失のために。研究所であり、その研究資料としての、元々の記憶の格納所である」
といってもいいだろう。
そうなると、
「記憶というのは、本人が潜在しているものを、コピーする形で、どこかに格納できる形にして持ってくることで、その記憶自体を、吸い上げることができる」
ということは、以前から言われていた。
しかし、そんな装置をプロジェクトでもない人間に作れるはずはない。
しかも、このような秘密基地のような場所を民間に作れるわけはない。
そう、これこそが、
「政府」
によって作られた、秘密工場であり、
「昭和の人体実験研究所だ」
といえるのではないだろうか?
政府の狙いはなにか?
ひょっとすれば、
「この世ではいうことを聞かない連中ばかりなので、その脳を洗脳した形の裏で国家を造り、いずれあ、コピー世界が、この世界の元の人間に取って代わる」
という、
「新たな、恐ろしい世界」
というのが、生まれるのではないか?
という発想が生まれたのだ。
この、
「サナトリウム」
と思しき、この場所は、
「記憶を失うということが、いいのか悪いのか?」
あるいは、
「失わなければいけない記憶がある」
ということで、この場所を訪れるということになるのか?」
などということを考えると、実に不可思議な気がする。
最初は、
「自殺もやむなし」
と思っていたはずで、記憶喪失というのが、目の前に感じられた時、
「感覚を麻痺させる何かがあるのでは?」
と感じた。
その時思い出したのが、アンモニア臭であった。
その時一緒に感じたのが、匂いはまったく違うが、恐ろしいという意味での、
「アーモンド臭」
だった。
「アーモンド臭」
というのは、いわゆる、
「シアン化化合物」
による臭いであり、それは、
「青酸カリ」
を連想させる。
それ以外で、
「アンモニア」
となると、ハチに刺された時の中和が感じられ、今から思い出すと、子供の頃、ハチに刺された時、アンモニアを塗ってもらった時、そのきつい臭いから、何かの感覚がマヒした気がした。
それこそ、
「記憶が失われた瞬間だった」
と言ってもいいだろう。
さらに、このサナトリウムには、
「記憶を格納する場所があり、これだけの広さは、そのためなのだ」
といってもいいだろう。
失われた記憶が、その人にとっていいことなのか悪いことなのか?
さらに、この夢を管理する、このサナトリウムの主にとって、これらの記憶を所有、いや、管理することに、何の意味があるというのか。まるで、
「死神」
という意識が消えないのであった。
まさかとは思うが、
「記憶を食う」
などという悪魔でないことを祈るばかりである。
( 完 )
サナトリウムの記憶 森本 晃次 @kakku
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