居酒屋の細胞以前
金色の髪が正面を横切った。
僕は目で追っかける。
肩までかからない髪の長さで、派手な装いをしていた。彼は私を過ぎた後で立ち止まり、振り返る。悩みを溜め込んでいるように、眉が中央に寄っていた。うつむいていた瞳が僕とかち合う。
「あれ」
「あっ」
僕は彼のことを知っていた。
彼の名前は三ツ谷。僕が中学生に遊んでいた相手だ。入学当初から好きなネットのミームで盛り上がり、卒業まで一緒に過ごす。高校になってから疎遠になっていた。三ツ谷が悪い人間と付き合うようになったから。僕から距離をとっていた。
同じ街に住んでいるなんて、想像もしていなかった。だって、彼は中学生の頃に独り立ちすることを夢見ていたから。
三ツ谷も僕を認識したようだ。中学生の頃と今を被らせている。
わざわざ戻ってきて、挨拶をした。他人のような遠さはなくなって、彼のなかに僕がまだ点在していて安心する。
「権原。こんなところにいたのか」
「それ、どういう意味だよ。久しぶりの再会なのに」
「お前なら東京で就職していると思っていた。元気にしていたか」
「そりゃお前だよ。最近、何してたんだ」
僕の指摘を意に返さない。マイペースさは子供の頃と違わなかった。懐かしくて、彼と話したくなる。就職してから、昔の友達は仕事に追われるようになった。いろんな積もる話がしたい。社会人という気を遣う枠組みを取っ払ったこと。
「三ツ谷、今から用事があるか? 少し飲んでいかないか」
腕時計で時間を確認する。金色の時計は、彼の趣味悪さを露見していた。それを弄るには、酒を2杯飲んだ後にしよう。
「良いよ。いい店知ってるか」
僕と三ツ谷は、近場の飲み屋に入った。扉を横にスライドすると、スーツ姿のサラリーマンたちが和気あいあいと酒を飲んでいた。ここは大衆居酒屋で、個室の席はない。全面禁煙で刺し身が安い。
この店は上司に紹介されてから、一人でも通っている。門の目立たない席に僕たちは落ち着いた。
「お前もおとなになったな。こんな店は嫌いじゃなかったか」
「よくそんなこと覚えてるね」
三ツ谷はお酒と刺し身を注文した。2人で酒飲みながら、心の防御が緩くなる。ふいに、僕は高校卒業後の人生を話した。
平凡な人生だ。大学で初めての彼女ができたけど、就職を機に別れた。生活のリズムがずれるたびに、気持ちが合わなくなっていく。彼女への強い思いがぽっかりと穴が空いて、それを埋めるように仕事へ打ち込んだ。現在は、後輩にも認められていて、この生活はやりがいがある。
「取引先の要求が二転三転していて、残業ばかりで疲れたよ」
次ぎは彼の話を聞こうとした。しかし、三ツ谷は箸を止め、自分の足を見ている。
腹でも痛いのかと、僕は安全を確かめるために肩をゆすろうとした。それを察したように、手を払いのける。彼は変顔をしていた。
「何してんだよー」
「いや、笑えよ」
とても笑えないから、笑った。こんな滑り方しても自分を傷つけない。気を許した辛口が居心地いい。久しぶりに友達と遊んでいる。
自分を癒すことに真剣な大人たちが、僕たちを子供に戻すことを許している。
「あー馬鹿だ」
そのまま三ツ谷は店の周りを一巡する。全員の顔を覗くように探し、机に両肘をついた。両肩を肘と直にして、口元を指で隠している。上へ押された頬は、ヒゲがそられていない。
「権原は地元の人間と交流あるか」
「え、まあそりゃあるよ。あ、そうそう」
僕は一人の女性を思い出した。その女性は、かつて三ツ谷が好きだった人間だ。彼女のことを吹っ切れているだろう。僕はそう仮定して、彼女が今何をしているのか打ち明けてみた。「基山って覚えている?」
彼の眉毛は、興味があると言いたげなほど吊っている。
「結婚した」
「えっ」
彼女は1年前に結婚した。交際相手は、同じ高校の後輩。ふたりは長く交際していたけれど、子供を授かったことで、身を固める決意をした。互いの短所を把握しているから、共同生活もすんなり続いている。
僕は彼女の結婚式に呼ばれた。三ツ谷が不在だったのは、会えてよかったと理解したつもりでいる。
「今も近くに住んでるのか?」
「たまに駅前で見かけるよ。話しかける話題はないから、他人のふりをしているけどね。そのぐらいの仲だっただろ」
「家は知ってるのか?」
「なんか、怖いよ」
「否定しないな」
身体を椅子の後ろに任せている。腕を下に伸ばし、そのままポケットに何か入れて、机に乗せた。
彼が出したのは、サバイバルナイフだ。
「俺が何をしていたのかを教えてやろう」
▲
三ツ谷は付近の高校で卒業し、東京の専門へ進学した。専攻は介護で、周りの熱意と授業の速度についていけなくなる。夏休み後に退学して、アルバイトを始めた。最初は、風俗街の近くにあるコンビニ。堅気じゃない人物に、彼は気に入られる。羽振りのいい生活に、自分の将来を託し、背中を追いかけることにした。その男の腰巾着で働いていたところ、彼女が街に現れた。
「基山がきた」
「基山??」
どういうことだろう。
彼女の話を盗み聞きしたことがある。地元からでたことがないと、女友だちと賑わっていた。
「俺と同じ人間だ。地元が嫌いで、東京に現れた。中学の初恋相手だから浮かれて、先輩に紹介したよ。そうしたら、彼女を世話してくれるようになった」
基山と彼女は、違う過去を抱えている。受け止められないけれど、終わりまで到達したら判断することにした。
半グレの先輩は基山を気に入っている。自分の手柄だと三ツ谷のプライドは磨かれた。すべては順調だったらしい。基山と先輩が付き合うまで。
ふたりはすぐに恋仲になった。三ツ谷の初恋がくすぶっている事を先輩は見抜いている。それでも、付き合うから黙っていろと圧をかけられた。
苦しかったけど三ツ谷は耐えられたらしい。ふたりが自分の世界に入り込んでいて、それを遠くから眺めているうちに、恋も冷えた。
基山と先輩は、茶々入れたくなるほど熱い関係だった。しかし、二年前に彼女は消える。インスタで捜索していたら、男の影が発覚した。
八つ当たりで三ツ谷は暴行を受ける。お前が仕向けた罠だろうと、殴る理由をあたりつけていた。
先輩は支えを失って消極的になった。彼はそのまま逮捕されて、最後に三ツ谷へ殺害を託す。基山を見つけて殺してこいという命令だ。
すべてを聞いたうえで、僕は基山を悪い人間だと思えなかった。
「三ツ谷、冷静に考えてみろ。おかしいと思わないのか」
「おかしいのは基山だ。彼女が手放さなければ、先輩はもっとイカした人間でいられた」
「それは三ツ谷に必要なことか。僕は彼の魅力が伝わらなかった。三ツ谷を殴るような相手をかばう。それはどうして?」
「わかってないな権原。これは、運命なんだよ」
おもちゃ屋で駄々をこねる子どものように、同調してくれると欲を出している。
とても、彼の世界は狭かった。
「こんな偶然はありえない。神様が用意した。俺はこの試練を克服する。そうすることで、自分の人生を取り戻せると思うから」
「なあ、酔ってるんだ。冷静になれば、自分が間違っているとわかる」
その時、僕は彼のことをわかっていなかった。彼の人生で3年しか交流がない。今は違う生き物だ。
「権原は幸せな毎日を送っているじゃないか。どうして、俺の気持ちがわかるのか」
「僕だって女性に振られたことがある。ムカつくし不幸になればいい。そういうひどい別れ方だけど、実行に移すのは違う。ましてや、三ツ谷は特別な関係じゃない。その先輩は、何かしてくれたのか」
「そういうことじゃないんだ。もうやるしかないんだ」
サバイバルナイフに手を付けて、空いた片方は携帯を横に置く。画面に表示されたのは、ある女性の名前。
「これは、君の元カノで間違ってないよね」
「な、なんで」
ふと怖くなった。
彼は、いつから計算して動いていた?
「基山の連絡先を教えてくれないか。そうすれば、この元カノを殺してやるよ」
「お前、馬鹿じゃないのか!」
立ち上がった。
店の客は私を目視したが、酔っぱらいだと勘違いしてニヤニヤしている。自分は野次馬だという汚い根性を隠そうとしない。
「仕事に打ち込んだのは、元カノを忘れるためだろう。それだけ嫌いだった。俺だけはその男としての憎しみがわかるよ。おまえは殺す勇気がないから、逃げた」
「その一線を越えるのは、道徳に反すると言っている」
「でも、居るだろう。腹の底で、性欲にまみれたドス黒い何かが。それを見ないふりができるのか? 皆はそれを好き勝手振る舞っている。我慢してる奴らはずっと馬鹿にされる。おかしくないか? 辻褄が合わないだろう」
「基山への殺害動機は自分を選ばなかった腹いせだろう」
「お前は定職について裕福な生活を送っているから、やっぱり伝わらないよな」
「わかりたいよ。だから、極端に走るなって言いたいんだ」
「わかりたいやつが、正論ぶん投げて何とかなると思ってんのか」
「だからさー……」
遠い。
投げている方向にボールがいかない。もどかしさが募っていき、彼の何かを変えることを期待して、頭で選ぶ。
「だから、違う。なんか攻撃することだけじゃなくて、何かあるだろう。辛かったこととか、今から話しあえばいいだろ。まだ手遅れにならない」
彼は財布からお金を取り出し、皿の下に挟ませる。
「いいやつぶるなよ。お前だって世の中の全てが嫌いなくせに。ベタベタしたって救われねえよ」
自分の携帯も取り出し、彼にわかるよう通報のボタンを見せつけた。
「お前がでていったら通報ボタンを押す」
「だったら俺を殺せよ」
彼はナイフを指で弾いた。回転して、私の方に矛先がついている。
そのまま立ち上がり、彼は扉へ進もうとした。
「二人を絞め殺してくる。お前も使えないな」
僕は立ち上がって、刃物をポケットに入れる。同じようにお金を机において、いなくなった彼を求め、扉のうちに指をかける。
揺れものに包まれる男たち 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou
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