僕と俺と

理性

僕と俺と

1

 「お・は・よ!」

リズムに合わせて俺の机をドンドンと叩く。朝からこいつは元気で羨ましい。

「今日小テストないらしいぞ!」

「それどこ情報だよ」

俺の右斜め後ろのユーマがニヤニヤして指摘する。たしかに、以前もハルキがないといった体育のランニングがあった。こいつの情報は行けたら行くぐらい信用がない。

「辞書に直接聞いたんだよ。さっき会ったとき小テストあるんですかって」

辞書とは俺らの英語の担当教師である江島のことである。彼女の英単語の発音があまりに電子辞書の発音と似ているためそういうあだ名が付けられた。

「なぁユーキ、言ってたもんな小テストないって」

いつものフリだ。

「そうそう、『今日はnothingです⤴︎』って」

ハルキとユーマが一斉に笑う。ケタケタ笑う彼らを見て安堵する。


 前に一度フリに応えられなかったことがある。お笑い芸人のモノマネをさせられそうになったのだが、周りに下級生や女子が多すぎて恥ずかしくてできなかった。そのときの彼らの豹変ぶりは恐ろしかった。おもんな、しょーもな、ノリ悪などの言葉を俺に投げつけ、まるで罪人を見るみたいに視線を刺す。さっきまで握っていてくれた命綱をいきなり離されて、崖から転げ落ちるような気分だった。

そうやってスクールカーストから転げ落ちないように彼らが出すお題に応える。


 第一高校は山を切り開いた場所にある。鬱蒼と生い茂る木々の上に突如近代的な建造物が降ってきたかのようだ。景観ぶち壊しの建物へはコンクリートの車道、レンガ造りの歩道、街頭だけが続いている。その道を下ると住宅街に繋がる。

今日は部活がないハルキとユーマが住宅街に消えると俺はあと2つほど住宅街を通り抜けて帰らなければならない。

 ハルキたちの住宅街から大通りを挟んだ住宅街に入る。次の住宅街に入る前に右手に小さな公園が現れる。そこで子供たちが遊んでいる。

「お前鬼な」

「さっきも鬼だったよ!」

「お前さっき俺らが言ったこと出来なかったじゃん、だから鬼だよ」

ブランコの前で4人の小学校中学年ほどの男の子たちが言い争っている。

「そんなのできないよ」

背が一番小さく、すこし丸っこい子が3人に囲まれ今にも泣き出しそうになっている。

「楽勝だぜ!ほらみてろよ」

紺のキャップを被った子がブランコを立ち漕ぎの姿勢で乗る。大きく2、3回漕ぐと、高々に飛んだ。彼の身体は宙に浮き上がる。手と足を犬かきのように動かし空を歩く。彼は軽々とブランコの柵を飛び越えてしまった。

「ほらな?余裕だぜ」

残りの二人も高飛びを成功させてしまう。次はあの子の番だ。

震えながらブランコの上に立ち、鎖を力いっぱい握りしめる。前に胸を突き出し、前へ。おしりを後ろに突き出し、後ろへ。ブランコは段々と大きな弧を描く。

ガシャン!!!

男の子は柵の前に跪いている。

「なんだよ!なんでやめるんだよ!」

「だって!当たりそうだもん!」

 覚悟が足りないんだ。ブランコが後ろにいった時に足に力をため、最大限に前にいったときにその力を解放しなくてはならない。そこまできたら、もう飛ぶことしか考えなくてはだめだ。柵に当たったらどうしようなんて考えると力が抜けてしまう。そこまできたらやってしまわないといけない。


 今日俺は何度も柵を越えた。だから俺は柵の向こう側にいられるんだ。一度でも怖気付いたり、失敗したりしようもんなら俺は地面に両手をついたまま一生柵の向こう側へは行けない。


 彼らを見つめる俺の視線の端に白い塊が動いたのを感じた。

違和感の方を見ると、白猫がいた。

真っ白な毛並みはみな同じ方向を向いて柔らかく立っている。子猫ほどは小さくないが、毛並みの綺麗さからまだ若い猫であることが分かる。

俺の1メートル前で立ち止まっている猫は、薄茶色の澄んだ目で俺を見上げていた。

俺と目が合うと視線を動かさずに首を捻る。

 「お前はいいよな。誰にも邪魔されず生きれるだろ?」

こんなこと猫に言っても伝わるわけないのだが、そいつは俺の話を聞いてくれているみたいだった。

 どこかの飼い猫なのかしゃがんで俺が手を出しても逃げない。

頭を優しく撫でると気持ちよさそうに目を細め、ヒゲをつんつんと動かす。

俺が帰ろうと立ち上がり、一瞬子どもたちの様子を見る間に白猫はいなくなってしまっていた。



2

 あいつをはじめて見た日のことを俺は鮮明に覚えている。


 校舎を取り囲む木々は茶色に色づきはじめ、太陽への憎しみも夏ほどではなく、むしろ最近は有難いほどだ。

 その日は一人で帰らなくてはならなかった。

総合の学習で進めている調べ物が終わってなかったからだ。

あいつらはそういうのを他のやつに押し付けてしまっているため無縁らしい。

俺もそうしてしまいたかったが、俺の班が調べることになっている「いじめ問題」に少し興味があった。なによりたまには一人で帰りながら、冷たく透き通った空気を思いっきり吸うのも悪くないなとも思った。

ずっと一人は嫌だけど。


 レジュメにそれらしい事を書くために図書館へ向かう。今日は部活動が休みで学生はほとんどいない。扉を開く音だけが廊下に響く。たった数時間前まで大勢の生徒がこの場所でひしめき合っていたとは思えないほど閑散としている。

 窓から入る夕日は規則的な影を廊下に投じる。陽光は空気中のホコリをキラキラと輝かせる。2点透視の廊下は陽光とホコリで神々しさまである。俺が教室の扉を開けるまで存在せず、俺のためにそこに現れたみたいだ。

途中まで進んで真ん中あたりで外を見てみる。俺らの教室がある2階からは正面玄関前の広場が見え、奥にグラウンド、さらに奥に夕日が鎮座している。

少し胸を張り、目を細め、ちょっと悲しげな顔をしてみる。

学園ドラマのワンシーンみたいだ。これだと俺は主人公だな。カメラはドローンで飛ばされ外から俺の悲しげな表情を撮る。ついでにため息もついておこう。

馬鹿げた妄想をしていたことが咄嗟に恥ずかしくなって周りを見るが誰もいない。やはりこの階層には俺しかいないらしい。


 図書館は本館に隣接してある。2階からはアクセスできないため、一度1階へ降りなければならない。1階へ降りて昇降口、職員室や保健室、校長室、事務室を通り過ぎてつきあたりを左にまがる。そこに並ぶ教室を無視して進むと、外に繋がる引き戸がある。引き戸を開け、屋根のついた渡り廊下を20メートルほど進むと図書館の入口に着く。

図書館なんていつぶりに来ただろうか。おそらく1年生のころのオリエンテーションで来たぶりだろう。

 入ってすぐ左手にカウンターがあり、司書のおばさんがメガネ越しにこちらを見た。目の前に背の低い本棚があり、直線だったり、曲線だったりしている。それを過ぎると背の高い本棚がずらりと並んでおり、なんか難しそうな言葉が並ぶ。

 「えっと、いじめ、いじめ、、、」

 そう小さく独り言を吐きながら木造ビルディングの間を進んでいると奥にテーブルがあることに気づく。ここで資料を広げて良いらしい。

広々としているがひっそりとあるこの場所はヘンゼルとグレーテルがお菓子の家を見つけたみたいに秘密の場所を見つけたようなわくわくがあった。


 そんな秘密の場所には住人がいた。

 彼はテーブル群の1番奥で読書をしている。柔らかな髪が秋風によってふんわりと浮き上がると彼の顔が見える。綺麗な鼻筋に形の良い目、長いまつ毛。陶器のような白い肌をしている。

 彼のことは今までみたことなかった。


 他学年だろうと思い注視して学校生活を送ってみた。廊下を歩いているときの挙動不審な俺をハルキとユーマは馬鹿にした。好きな人ができたと変な噂まで流された。

俺の変な行動をいよいよあいつらがいじらなくなってきても彼がどの学年でどこのクラスかもわからなかった。

 半ば諦めていたが、最後に図書館に行ってみることにした。

なぜそこまで気になるのか自分でも不思議だった。でも彼を見た時、羨ましいと思った。たった一人で読書を楽しむ彼がすごく強い人間に見えた。俺はそんなことできやしない。一人で行動するときのみんなの一斉の視線が怖い。

 主婦が八百屋で品定めするように頭の先から足の先までみて俺に点数をつけているように感じる。俺はその点数が低く出されるのが嫌だ。だからできるだけ点数の高いやつとつるんで自分の価値を上げようとしている。また、あいつらと一緒にいると俺のダメな部分は上手く隠せるのではないかと思っている。そうやって間違って高い点数をつけて欲しい。彼みたいに一人で本なんか読もうもんなら、気取ってると気持ち悪がられるだろう。


 おばさんの視線を無視し、ビルディングに進んでみる。薄暗い場所からテーブル群の明かりが見える。本棚を抜け、奥のテーブルを見ると彼は軽そうな身体を椅子にあずけていた。

 彼は相変わらず静かに本を広げている。

 やっぱり実在するのか。妖精でも見つけたかなのような感想を抱いた自分を心の中で笑って帰路に着いた。



3

 図書館に通い始めて1週間ほど経つ。ハルキとユーマは普段はそれぞれサッカー部とバスケ部に所属しているため部活がない日以外は一緒に帰れない。

 いつも誰か帰宅部を捕まえて帰るのだが、度々気をつかった。一人では周りの目が気になるし、一緒に帰るやつらにも退屈な思いはさせれない。そいつらにユーキと帰って退屈だったと言いふらされようもんなら俺は迷わず自分の命を絶つだろう。


 図書館にいくのはみんなの目がなくなるまでの隠れ家として役に立った。そもそもなぜこんないい場所に気づけなかったことが不思議だ。決して彼を観察に行ってるんじゃない。時間を潰しにいってるんだ。

 今日も彼が座っているテーブルの対角線上のテーブルにつく。流石になにも持っていないのは不自然なのですぐそこの『哲学』と書かれた棚から適当に本を取って、広げる。ソクラなんちゃらとか、ストローみたいな名前の人なんかどうでもいい。本を立て、ゆっくり目を出す。

 そこにずっと置いてある人形のように彼は動かない。秋風に吹かれる髪と文字を追う黒目が辛うじて彼が生物であることを示している。

 それでも時々人間らしい仕草をすることもある。ページをめくったり、乱れた髪を手ぐしでなおしたりする。


 何時間だって眺めることができた。彼が創りだす空間には温かさがあった。乾燥機で温めた布団にはいったような。母親のお腹の中のような。

 心地良さのためについ居眠りをしてしまった。


 小学生の頃の夢をみた。

 小学生の頃の俺は少し太っていた。そのため周りからいじめられた。

 いつも俺は周りから蔑みや怪奇の目で見られ、嘲笑された。我慢の限界がきて暴れたこともあった。でもそれは一時的な効果しかなく、直ぐにみんなの目は元に戻ってしまう。

 ある時いつものようにいじめっ子筆頭が俺の体型をいじってきた。いつもだと苦笑いして誤魔化すしかなかったのだが、その日は違った。

昨夜見たアニメのキャラクターが太っていることをギャグにしていたのを思い出した。自分のことをネタにするのは少し辛いものがあったが、状況を変えるための努力と思えばなんともなかった。

 俺がギャグを披露するとクラスのみんなは大ウケだった。俺は一躍クラスの下っ端から人気者になった。

 中学に入ると横にあった幅が縦に移動し、細すぎる程になってしまった。その頃には俺の事をいじめるやつはいなくなっており、むしろおもしろいやつとして認識してくれているようだった。いつしか一人称もになっていた。


 パンッ!

 何かが破裂したような音で目が覚めた。

 真っ白な世界の中で一生懸命世界を認識しようと目を細めると、目の前に本が倒れていた。本が倒れる音で起こされたらしい。

 本を戻し、彼を覗く。

 いない!

 忽然と消えた彼に動揺する間もなく、ねえ、と俺の右耳から人の声が聞こえる。

 ひぇ!

 あまりに突然の事で変な声が出た。

 そこには彼の澄んだ瞳が俺を見下ろしていた。慌てて口を塞ぐ。体温がだんだんと上がっていくのが分かる。口を塞いでる手には紅潮した頬から熱が伝わる。

 やばい、恥ずかしい。俺の変な覗きがバレたか。それとも寝言を言っていたか。こんな時こそなんか面白いことを言わなければ。だめだ全然おもいつかない。バレた時の言い訳を考えておくべきだった。

 焦っている俺を彼は不思議そうに首を傾げながら見つめる。

「ねえ、哲学すきなの?」

「え?ああ、まあね。なんで?」

「毎日そこで哲学の本を読んでるからだよ。そんな難しい本、毎日読むなんて余程好きなのかなと思って」

 まさか話しかけられるなんて。想定外だ。俺は哲学好きということになってしまった。



4

 俺らは図書館で会う度、話すようになっていた。

 彼の名前はアキ。

 それ以上のことは知らない。彼はあまり自分のことを話すのが好きでは無いらしい。俺がアキについて質問をしてもすぐに話題を変えてしまう。でもそのことはそんなに気にしていなかった。誰だって話したくないことはある。俺がアキを学校で見かけなかったのはそれなりの事情があるからだろうと解釈した。そんな人に無理に話をさせる必要は無い。

 それに、アキと楽しい時間を過ごすことさえできればいいと思った。


 アキはいつの間にか俺の隣で本を読むようになっていた。当然俺が哲学が特に好きではないことはバレた。というより、知っていた。本を逆さに立てていては読んでいないことなど明らかだったらしい。

 それでも体裁は取っておこうと思い、いつも哲学の本を読んでいた。よくよく見るとそれは哲学者辞典らしい。中身をしっかり眺めてもよく内容はわからなかった。


 俺の隣にいる時アキは時折寝てしまうことがあった。覗きをしている時には見ることが出来なかった姿が見れて嬉しかった。

 陽光に照らされて心地よさそうに寝るアキ。2本の細い腕を前で組み、枕にしている。

 アキの寝顔は未来の不安や悪意といった負の要素とは無縁といった感じだ。時折よくわらない寝言をいったり、拳で頬を掻く仕草をみると、ただ寝ることだけを考え、全身全霊で寝るをしているのだなと思う。



5

 ある時、アキが図書室に来なくなった。

 はじめは体調が悪くて休んでるのかと思ったけど、一週間が経過しても現れなかった。


 今日は一日中雨だった。暗くじっとりとした住宅街はより一層寂しさを感じさせてくる。

 今日もアキは図書館に来なかった。心配になったため司書のおばさんに聞いても、トンチンカンな答えしか帰ってこなかった。いつもメガネ越しにいやらしく見てくるくせに何にも把握してないのがムカつき、おばさんがなんか言ってたが無視して出てきた。


 公園のブランコの下には茶色く濁った水たまりができ、曇天を反射している。その上に雨粒が落ちる度、景色が何度も歪む。

 奥の東屋に白いものが見えた気がして立ち止まる。柱でよく見えないため見える位置まで進んでみると、白猫が座っている。

近づいていくと、白い毛並みに赤黒いシミをつけ、弱々しく息をしていた。身体は冷たくなりかけていた。

学ランの第一ボタンと第二ボタンを開け、白猫を足から入れる。左手を抜き、白猫の腹を持つ。

 俺が走っている途中白猫は服の間から顔を出し、俺を見つめていた。時々目を瞑ってしまうため、大丈夫大丈夫と声をかけた。


 両親は共働きで、妹は部活があるため、家には誰もいなかった。幸い、血は止まっていため、風呂場で泥や血を洗い流した。その間も白猫は嫌がる素振りもせず、ずっと俺を見つめて、かすれる声で鳴いていた。

 猫の傷に塗っていい薬なんかわからなかったが、消毒ぐらいいいだろうと全身の傷に塗った。傷口に綿糸が触れる度に痛々しく鳴いた。特に大変だったのは左前足についた大きな切り傷だった。他の傷に比べて深く、消毒するときは酷く嫌がった。おそらくこの傷のせいで歩くことができなかったのだろう。

 流石に深すぎたため、あたりの毛を切って、包帯を巻いてやった。それを不思議そうに眺めてこれは何かと俺に鳴いて尋ねているようだった。

 食器棚の奥の埃のかぶった平たい皿と深めの皿を洗い流し、ホットミルクとコンビニで買ったキャットフードをのせてやった。余程疲れていたのか、小さな舌でホットミルクをちびちび飲むとキャットフードには手をつけずにすぐ寝てしまった。

 初めてくる家なのに身体を大きく広げて寝ていた。時々、小さく鳴いたり、前足で顔をかいたりしていた。

 俺も疲れていたのか一緒になって寝てしまっていた。


 目覚めた時には白猫はいなくなっていた。



6

 ひどい頭痛と倦怠感で目が覚める。

 いつの間にかベッドで横になっている。濡れて帰ってきたことを母に𠮟られたのは覚えているが、そこからの記憶はあいまいだ。

 勉強机には体温計と経口補水液が置いてある。母か妹が置いてくれたのだろう。時計は午前1時をさしている。かなりの時間寝入ってしまっていたみたいだ。

 白猫は大丈夫だろうか。雨は止んでしまっているみたいだし、あそこまで悠々自適に寝ていたんだ、きっと大丈夫だ。

 

 白猫より気がかりなことがある。

 明日こそアキは来るだろうか。アキが来ない理由をあれこれ考えてみる。病気、親戚の不幸、怪我、転校、事故。あるいは亡くなっているかもしれない。


 「ユーキ!ユーキ!」

 ハルキが肩を揺さぶる。なにボケっとしているんだとユーマがにやけ顔で見ている。

 いつの間にか考え事をしてしまっていたみたいだ。夕焼けに照らされた教室にはハルキたちしかいない。黒板に日直、神崎くんと書いてある。後ろの掲示には習字の字が飾られており、個性的な「永」という字が並ぶ。外には住宅が所狭しとひしめいている。


 「おい、なんでお前らがここにいるんだ?」

 ここは小学校だ。ハルキとユーマとは高校からの付き合いだからここにいるのはおかしい。

 ハルキとユーマは問いに何かこたえているが、聞こえない。おそらく、なに馬鹿言ってんだ的なことを言っているのだろう。


 「なあなあ、」

 ハルキたちの反対側から声がする。この意地悪さ満天の声はあいつだ。

 え、神崎くん?なんで、、、

 「前やったギャグ、またやれよ」


 彼らはずっと話しかけているが、耳の中で反響して聞こえない。

 どうなっているんだ。いま高校生だろ。こんなとこにいるはずない。

 高校生ではなかった。服は小学生の頃よく着ていた青のTシャツに、黒の半ズボン。身体の造形が丸く、指は短く丸っこい。顔を触るとふっくらした頬がある。


 自分の身体に戸惑っていると前から別の声が聞こえる。

「ねえ」

 顔を上げた先にはアキが立っていた。心配していたことを伝えようとするが、アキが話し続ける。

「なんでいつも図書館に来るんだよ。鬱陶しいんだよ。俺がお前なんかと友達になりたいわけないだろ。勘違いも甚だしいわ。お前は何の価値もない人間なんだよ。お前に魅力なんてないんだよ。」

 彼の目と口角は吊り上がり、憎悪に満ち溢れた顔をしていた。


 次に見たのは自室の天井だった。目尻から耳にかけてひんやりとしたものが流れてる。どうやら夢を見ていたらしい。

 起き上がり、ベッドに腰掛ける。時計の秒針だけが音をたてている。外を通る車や通行人の音はなく、ただ闇だけが存在している。いずれこの部屋も闇に飲まれるだろう。闇は床をつたって、まず足から飲み込んでいく。悲痛な叫びを上げる前に口を塞ぎ、次は腕に巻き付いて抵抗する手段も奪われる。なにもできずにゆっくりと闇に飲み込まれるのを待つことしかできない。


 どうやらまだ足元まで闇は迫ってきていないらしい。

 足の間に何かが落ちる。それは小さく丸い水たまりをつくり、僅かな月明かりで照らされ、キラキラと輝く。

 雫は月明かりを反射し、次々に落ちていく。視界がぼやけていく。ついに闇が迎えにきたのか。最初に奪われるのは視界だったみたいだ。

 

 ぼやけた視界に白い塊が見える。闇を寄せ付けず、強く輝くそれは、薄暗くじっとりとしたトンネルから見る外の景色のようだ。不思議と安心感がある光はずっと探していた光だった。


 視界がはっきりすると、そこにいるのがアキだということが分かった。足元でしゃがんで泣きっ面を見上げていた。

 すぐにアキを抱き寄せた。アキの優しい鼓動が伝わってくる。これまでの心配を伝えようとするが嗚咽でうまく言葉にできない。


 「は、、、は、、、」


 アキは分かっているよと言うかのように、頬をよせる。

 暖かな風が僕らを包み、髪や肌をなぞる。このまま浮き上がってどこかへ行ってしまいそうなほど身体が軽い。心地よい陽光に照らされ、僕らは静かに目を閉じる。


 いい顔するじゃないか。君はこんなにも美しい



 朝、目が覚めると、熱は下がっていた。

 母は一日休んで様子を見るように言うが、なんともないから学校へ行くことにする。というより、僕はどうしても学校へ行きたい。


 今日は昨日と打って変わって、気持ちが良すぎるほど快晴だ。

 たまにはちゃんと哲学を読んでみるか。

 そう思い。救急箱から盗んだ包帯と余っていたキャットフードをカバンにつめる。

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