第4話 殺人犯の実母だった志乃の新たな贖罪

 志乃は急に蒼白になり、口元を両手で隠した。

 いや、蒼白になったのは、志乃ばかりではなく、より子も同じだった。

 より子は思わず志乃に感情をぶつけた。

「もしかして勇太を殺害した加害者Aというのは、志乃さんの実子じゃないの?

 特別養子縁組をしたから苗字も変わっているが、Aと志乃さんとは口元がそっくっりなのよ」

 

 志乃は、急に号泣しだし、涙ながらに答えた。

「実はそうなのよ。あなたの言う通り。

 メディアで加害者Aと報道されている写真を見たときは、その場で卒倒しそうだった。

 特別養子縁組だから、Aとは十五年以上会っていないの。

 ただ、Aが中学に入学して一週間後、私は中学校の校門前でAを待ち、昔Aの両親に世話になったおばさんと名乗って、ボールペンセットを渡した記憶があるわ。

 Aはいや息子は、とまどったような表情をしていたが、

「えっ、いいんですか? 僕、あまり人からものをもらってはならないときつく言い渡されているんです」

と言いながらも、ボールペンセットの小さな紙包みを受け取ってくれた。

 口元に左のほくろがあったのを、発見したとき、Aは私の実子に違いないと確信したわ。

 そのときの息子は、ただただ大人しい従順な少年といったイメージしかなかった。

 そんな息子が殺人を犯すようになるなんて、よほどいじめか虐待でも受けてきたにちがいない」

 より子は、ただ黙って聞いていた。

 苦しんでいるのはより子ばかりではなく、志乃も同じである。

「Aはまわりから出産するのを反対された不倫の子というだけではなく、殺人犯になってしまった。

 やはり実母である私が育てられなかったから、罰が当たったのだろうか」

 より子は、即座に打ち消した。

「そんなことはありませんよ。人にはそれぞれの事情がある」

 志乃はそれに応答するように言った。

「息子は養子先で、虐待されていたのだろうか?

 仮にそうであったとしても、殺人は取り返しのつかない許されないことよ。

 いくら養子にだしたとはいえ、私とは血のつながりはある。

 私は息子を殺して、自分も死のう、心中を図ろうと思ったほどよ」

 それから志乃の号泣は、五分ほど続いた。

 志乃の泣き声と涙で、より子はAへの憎しみが徐々に薄くなっていくのを感じていた。


 やはりより子は、Aを殺さなくてよかったと実感した。

 殺したら、自分も殺人犯になってしまい、一人息子勇太も天国で悲しむだろう。

 いや、もう天国で勇太に会うことすらもできなくなってしまう。

 すると世間の目は

「勇太は殺人犯の母親をもつ息子だから、いくら被害者とはいえ、殺されて当然のことをしたに違いない」

と今度はこぞって、勇太を悪者扱い、欠陥児扱いするに違いない。

 いずれにせよ、勇太も私も世間の偏見の目にまみれるはずである。


 キリスト教の十戒のなかで

「あなたは殺してはならない」とあるが、殺人は人間の本能なのだろうか。

 そういえば自殺行為も、神とまわりの人間によって生かされているはずの命を自ら断つという行為は、自分自身に対する殺人なのかもしれない。

 しかし、殺人によって幸せになる人は一人もいない。

 被害者、加害者家族、いや親戚縁者に至るまで、苦しみの連鎖となる。


 より子は、勇太のもとにいきたいという自殺願望は不思議と消えていった。

 犯人Aを憎むエネルギーが、生きる糧になっていたが、それも虚しいことである。

 目の前にいる志乃は、Aの実母でありながら、憎む対象にはなりえない。

 大粒の涙を流している志乃の姿を見ていると、不思議とAに対するどす黒い憎しみの炎は弱くなっていくようだった。

 あまり人を憎み続けていると、自分の愛や良心までがどす黒い憎しみに奪われていきそうだった。


 志乃は振り絞るように言った。

「私は苦しみの連鎖を避けたいと思うの。

 私のような加害者家族は、悪者扱いされるのが常だけど、だからこそ、二度とこのような悲劇が繰り返されないようにしたい。

 そのためには、私達大人が子供を導くようにしていかなきゃ。

 ネグレスト(育児放棄)は一種の犯罪ね。

 貧困というのは、金銭や物質だけではなく、孤独な子供が悪い方向へと走っていくことも一種の貧困から生じる犯罪一歩手前よね」

 より子は答えた。

「私の家も生活保護家庭だけど、金銭だけがすべてではないわ。

 いや、金銭があるばかりにギャンブルで大借金をつくり、子供が重症のうつ病になってしまうケースもみてきたわ。

 重症のうつ病は、ただ暗くネガティブだけでなく、まるで酔っ払いのようなフラフラ状態だというわ」

 志乃は遠くを見つめるように言った。

「私は殺人者になってしまった息子の悲劇を、この世から失くしていきたい。

といっても、警官や弁護士のように法的権力をもっていない私は、身近なところから自分のできることから、始めていきたいの。

 それが私にできる、世間に対する贖罪だと思っている」

 より子は深く頷いた。


 一か月後、より子は志乃の経営する渇きもの専門の食堂ー潤愛で働くことになった。

 食中毒を防ぐための乾きもの専門食堂という名の通り、パンとするめ、おかき、スナック菓子がトレイに積まれて販売されていた。

 飲み物は、お白湯であったが、かえってその方がヘルシーで食も進むのだった。

 安全で比較的安価であるというので、地域住民からは喜ばれていた。

 この潤愛カフェは、子供のみならず大人も入場OKだったが、持ち帰りは禁止としていた。

 子供のなかには、アレルギー体質の子もいるが、渇きものだからそう心配することはない。

 大人のなかには、さりげなく家庭の悩みを打ち明けたり、子供の使用済みの問題集や参考書を交換しあう人もいた。 

 ただし、貸し借りはトラブルの元となるので、禁止していた。


 志乃とより子は、もう二度と殺人という悲劇をださないという願いをこめ、

「身も心も愛で潤う安心安全渇きもの専門カフェー潤愛、お白湯でのどを潤して下さい」というキャッチフレーズを名付けることにした。

 より子は今こそ、天国で勇太に再会できると確信する毎日を過ごしていた。

 今はスターとしてメディアに登場しているアイドル岸原敬を、わが子勇太の面影と重ね合わせながら。


 (完)



 

 


 

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亡くなった筈の息子と天国へ すどう零 @kisamatuma

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