第2話 ひとり息子勇太は都会の闇へと紛れ込んでいった
より子の彼氏である悟志には、裏の顔があるのではないか。
勇太は、そんな不信感を抱くようになっていた。
母親より子が、悟志と付き合うということが、勇太にとっては不浄なものを感じ、自分だけの愛する「かあちゃん」が勇太のなかで、汚れていくような気がした。
悟志と結婚しても、うまくいく筈がない予感が芽生えた。
いや、もしかして悟志は、かあちゃんの稼ぐ金が目的に違いない。
しかし、悟志は表面上は母親に甘い言葉で接していた。
「今日もお疲れだったね。でも僕が付いてるから大丈夫だよ。
僕はきっと君を幸せにしてみせる。一生をかけても誓うよ」
などと、女性客を風俗に陥れたホストの如く、やさしく肩を抱き、勇太だけの母親より子は悟志の腕にもたれかかっている。
勇太は、悟志に対して嫉妬心を抱くようになり、この光景を毎日見るのが、苦痛になっていった。
勇太はその憂さを晴らすように、毎日、近所の公園に出かけていった。
走り込みと、バスケットボールの練習をしているときだけが、すべてを忘れられるときだった。
夏休みになってから、勇太は夜中に帰宅するようになっていた。
こんなことは、以前は考えられなかった。
しかし、より子は家では明るく振舞っている勇太に、このことは一過性のものであり、また昔の勉学にいそしむ勇太に戻るに違いないと、希望的観測をしていた。
より子は勇太が、小学校は優等生の学級委員なんだとタカをくくっていたのが間違いの元だった。
勇太は、夏休みの終わり頃、顔を腫らして帰宅するようになった。
より子が問いただしても、転んだだけだと口をつぐんだままだった。
しかし、勇太に転んだときの光景ーどこで転んだの? 何にぶつかったの?ーをいくら問いただしても、勇太は口ごもるだけであった。
どうやら勇太は、半グレ未満の不良と付き合いだしているらしかった。
半グレになるほどの度胸も度量もなく、かといって働きもせず、高校へ行こうともしない中途半端な行き場のない不良。
そんな不良にとって、勇太はねたみといじめのターゲットだったかもしれない。
より子は、悟志に相談すると、
「児童相談所に行ってみたらどうかな。なんなら、僕が付き添ってあげるよ」
とアドバイスされた。
より子は悟志を信頼し、勇太に将来は三人で親子として住むことを提案した。
勇太は浮かぬ顔で、無言のままだった。
日曜日、より子の勤務先のスナックは休日である。
より子は勇太のために、二人の好物である焼きそばをつくった。
勇太はより子を手伝い、玉ねぎや魚肉ソーセージを切ってくれたりした。
親子水入らずで、共通の作業をすることは幸せなひとときだった。
味は、勇太好みのかつお節のきいた少し甘めのポン酢味。
お茶を入れてさあ、一緒に食べようとしたときだった。
勇太は時計を見て「ゴメン。行かなきゃならないんだ。三十分で帰ってくるよ」とお茶も飲まずに、ドアを開けて出かけていった。
より子は、力づくでも勇太の腕を引っ張って止めたかったが、日頃の疲れがでて、椅子に座り込んだままだった。
これが勇太との最後の会話になろうとは、夢にも想像していなかった。
より子は、一人で焼きそばを食べ、疲労のあまり眠りについた。
その日の明け方になっても、勇太は帰宅することはなく、何の連絡もなかった。
翌日の朝、警察から電話があった。
なんと勇太が、廃墟となった空き家で死体で見つかったというのである。
嘘だろう。より子はそう信じたかった。
昨日の晩まで、一緒に焼きそばをつくっていた勇太が?!
思わず倒れそうになるより子を、内縁の夫悟志は背中を支えた。
より子は、悟志と一緒に警察に指示された廃墟に向かっていった。
廃墟となった空き家の前で、勇太は首を絞められて死んでいた。
勇太の首には、四カ所の切り傷があった。
このことは自殺ではなくて、どうみても殺人状態であった。
犯人は誰? 誰が勇太の首を絞めたのだろう?
勇太は明るくて、以前の学校ではバスケットボールのキャプテンを務め、大人からの信頼も厚かった。
ときおり汚れた服を着たりしていたが、親切な大人がTシャツをプレゼントしてくれていた。
遠足のとき、おかずを分けてくれるクラスメートもいた。
勇太は、美味しそうに食べるので、みなこぞっておかずを差し出すほどだった。
もちろん勇太の方から、ねだることなどはなかったが。
勇太を悪くいう人は、誰もいなかった。
笑顔が天使のようにまぶしいムードメーカーだった。
転校してからは、勇太の家庭はなかば困窮状態にあった。
しかし、人のものに手をつけたことは一度もなかった。
むしろ、クラスメートが洋服を貸してやるといっても、あえて断るほどであり、断られたクラスメートは、淋しい気がしたという。
夏休み頃、勇太は夜中に帰宅してくるようになった。
より子自身も夜の仕事をしていたので、勇太に文句を言うことはなかった。
二学期になった十月頃、勇太はときおりアザをつくって帰宅するようになった。
より子がいくら問いただしても、答えることはなかった。
それから学校には行かないと言い出した。
理由を問いただしても、相変わらず何も言わない。
より子は悟志と一緒に条件を出した。
一、人に迷惑をかけることなく、人のものを欲しがったりはするな。
一、夕食は家でとること。
一、毎日三時間は、教科書を読むこと。
勇太は、快くそれに応じた。
より子は、勇太が登校することを願って、弁当を用意していた。
ときおり、朝になると学校に行くそぶりをみせたが、やはり行かずじまいに終わり、弁当は昼食がわりとなった。
そんな人情家である勇太がなぜ、殺されなければならないのだろう?!
より子は、驚きと悲しみと絶望のあまり失神しそうになるのを、悟志が腕を組んで支えて言った。
「君は母親としてなにも欠けたところはない。すべては犯人が悪いんだ」
その一言で、より子は失神して倒れずにすんだ。
いい人が好かれ、悪人が嫌われるという保証はどこにもない。
まさに勇太にあてはまることである。
しかし、なぜ命を奪われなければならないのか?
より子は、そんな疑問と怒りに身体が震えていた。
しかし、いつか牧師から聞いた
「子供の頃、亡くなった子は全員が天国に行ける」という言葉に、闇の中に細く輝く光を見出していた。
そして自分もいずれは、天国にいって勇太に再会できるとする希望も見出していた。
勇太が殺害された二日後、犯人が逮捕された。
地元の十八歳の不良まがいの少年Aだという。
本来、未成年者は顔と本名を公けに公開してはならないが、あまりにも無惨な殺され方だったため、マスメディアはこぞって雑誌に取り上げた。
加害者Aは、勇太の通っていた中学の五歳先輩であった。
中学時代はおとなしい無口ないじめられっ子で、ときおりパシリなどをやらされていたという。
もちろん成績も芳しくなく、かといってスポーツや音楽ができるといったわけでもなく、休み時間はマンガを見て過ごすことが多かったという。
口下手で面白い会話ができるわけでもなく、ただただ無口でしかなかった。
加害者Aは中学卒業後、定時制高校に入学したが、成績は芳しくなく、半グレまがいと付き合いだし、学校も休みがちだったので一年後、退学になったという。
Aは半グレに勧められるままに、缶チューハイを飲むようになった。
つきあい出して、一週間後、半グレから酔っ払った冗談まがいで
「お前は頭もよくないし、何の取り柄もない奴だな。
しかし、俺たちはいつ、殺されるかわからない。
いや、こうしている間でも、命を狙われているかもしれないんだ」
もう一人の半グレまがいは
「本当にそうだよな。だかれ俺は以前は「死ね」と言われると傷ついていたが、この頃は、その言葉に救いを見出すようになってきたよ。
「なんなら殺してくれないか。できたら前からじゃなくて、背中からそっと刺してくれないか。前から襲われたら、やはり恐怖で身構えてしまうからな」
そう思うようになってきたよ」
Aは、別世界の出来事として、ハアとポカンと口をあけて聞いていた。
しかしそれと同時に、殺人というものが必ずしも悪だという意識が薄れるようだった。
この世間で、自分を必要としてくれる人などいるのだろうか?
現在は学校にも属していないし、将来はどうやって生きていったらいいんだろう。
半グレまがいは、泥酔した状態で勇太に訴えかけるように言った。
「お前に殺人をする、いやできる度胸があれば、俺もお前を認め、半グレの仲間に加えてやるよ。
やるなら未成年のうちにしなよ。世の中には、殺してほしいと思っている人も存在している筈だ」
その話が終わった瞬間、Aも含めて泥酔状態になった半グレまがい三人は、声をあげて笑い出した。
その瞬間にAは、なぜか勇太の顔が浮かんだ。
勇太は自分よりも身体も小さく、自分のいいなりになってくれるに違いない。
度胸試しに勇太を殺害すれば、自分も半グレとして一人前に認められるかもしれない。
Aは幼い頃から、人になじめないいじめられっ子であり、定時制高校も退学になり、バイト先も解雇され、どこにも所属先はなかった。
半グレだけが、自分を受け入れてくれる唯一の組織だと思い始めた。
Aは勇太を殺害する計画を立て始めた。
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