人を呪わば穴増える
黄黒真直
人を呪わば穴増える
「ここに死体を埋めに来たのは、お前で百人目だ」
霧島勉はぎょっとして、穴を掘る手を止めた。暗い山の中、聞こえてきた声の主を確かめる。
懐中電灯を向けると、泥だらけの服を着た男が立っていた。男の顔はやつれていて、目は真っ赤に充血していた。
不気味な男を前にして、霧島は立ち尽くした。ここまで誰にも見られずに死体を運んだのに、どうしてこんなところに人がいるのか……。
シャベルを握る手に力を込める。こうなったら、この男も殺すしかない。
「落ち着いて聞け」霧島の反応を見て、男がゆっくり話した。その声は枯れていて、聞き取りづらかった。「お前をどうこうする気はない」
「じゃあ、何の用だ」
男は霧島に近付きながら言った。
「この山は、呪われている。お前はこれから、ここに埋められた死体を山頂の山小屋に運び、埋葬しなくてはいけない。それを、百回。百人の死体を埋葬しなければ、お前はこの山から出られない」
男は手にしていたランタンを落とすと、懇願するように、両手を霧島に差し出した。
「伝えるべきことは伝えた。頼む、俺を殺してくれ」
不気味な男が、どんどん近付いてくる。
逃げ出すべきか。だが、死体はまだ埋めていない。それに見られた以上、生かしておくわけにはいかない。
「……っ!!」
霧島は一思いに、男の頭にシャベルを振り下ろした。
二人の死体を埋め、霧島は山道に止めたままの車を目指した。なんてひどい夜だ。早く帰って、ベッドに飛び込みたい。朝になれば、きっとすべてが元通りになるはずだ……。
(元通りだと? は! それ以上だ! 俺は人を殺した。もう怖いものなんてない。このまま瞳を連れて、どこへでも行ってしまおう。こんな狭い世界に、いつまでも囚われている必要なんて、もうないんだ)
走り出したい気持ちに駆られた。この夜を境に、人生を変えてやろうという決意が芽生えた。
そうだ、走ろう。一刻も早く、瞳のところへ帰ろう。
そう思って踏み出した霧島の足が、何か固いものを蹴飛ばした。それは重量のある人工物だった。霧島の懐中電灯が、その物体の姿をくっきりと映しだした。
ランタンだった。
霧島はそれに見覚えがあった。……あの不気味な男が持っていたものだ。
(なんでこれがこんなところに? 俺は真っ直ぐ歩いていたはずだぞ?)
霧島は再び歩き出した。今度は道をしっかり確認しながら、山道を目指す。
だがまたしても、ランタンが目の前の地面に落ちていた。
霧島の脳裏に、男の声が蘇る。
――この山は呪われている。
――百人の死体を埋葬しなければ、お前はこの山から出られない。
(馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な! そんなこと、あり得ない!)
霧島は今度こそ、走り始めた。
夜通し走り続けて、霧島はすっかり疲れ切っていた。ランタンの前で、木の根に座り込んでいた。
朝日が照らす地面に、不自然に盛り上がった箇所があった。霧島が死体を埋めた場所だ。どのみち、こんな杜撰な隠蔽では、すぐに誰かが死体を見つけただろう。
霧島は諦めて、死体を掘り返した。
昨夜の不気味な男は、30代半ばに見えた。服も髪もぼろぼろで、不潔な男だ。顔には涙を流したような跡があった。
もう一つの死体は、霧島が偶然殺してしまった男だ。名前もわからない。年齢は20代後半だろうか。霧島の恋人、瞳のストーカーをしていた男だ。瞳のアパートで霧島が待ち伏せ、警察に突き出すつもりだったが……もみ合ううちに階段から落ち、死んでしまった。
幸いにして、目撃者はいなかった。瞳も友人の家に泊まっていたから、霧島以外にこの事件を知る者はいない。だから、この夜のうちに死体を処分すれば、何事もなくすべてが終わるはずだった。
霧島は二体の死体を担ごうとしたが、あまりの重さに立てなかった。仕方なく一体ずつ、引きずることにした。
山頂は目と鼻の先だった。そこには木造の小屋が見える。やぶをかき分け、死体を引っ張り、一歩進む。それを繰り返し、山頂を目指した。
小屋の隣には、人ひとりが入れる大きさの焼却炉があった。ここで死体を焼けということだろう。
そして小屋の裏には、墓地らしき場所があった。何かを埋めた跡が無数に見える。誰かが作ったらしい小枝の十字架が、朽ちて倒れていた。
霧島は男の死体を焼却炉に入れると、大きなスイッチを押した。ゴォ、という音がした。窓から覗くと、巨大な炎が死体をみるみる焼いていた。
死体を焼き終えると、あとには砕けた小さい骨だけが残った。霧島はそれをかき集め、裏の墓地に埋めた。
もう一体の死体も、同じように焼いて埋めた。それを終えると、霧島は山小屋に入った。中は十畳ほどの広さで、ベッドとトイレ、炊事場があり、シャワーや電源はなかった。
念のためスマホを確認したが、圏外だった。充電する手段もないため、一日もすれば役に立たなくなるだろう。
霧島はベッドに横になると、すぐに睡魔に襲われた。汚れた服のまま、泥のように眠った。
目を覚ましたのは夕方だった。室内を見渡し、昨夜のことが悪い夢でなかったとわかると、深い絶望に襲われた。
瞳は心配していないだろうか。自分はいつ、瞳のもとへ帰れるのだろうか。
ベッドから下りると、霧島は何か不気味なものが見えた気がした。よく見ると、山小屋の壁に無数の「正」の字が書かれている。これまでに、ここに囚われた人間が書いたものに違いない。
(こんな大量に、この山に死体が埋められたのか……?)
霧島は炊事場の包丁を取ると、壁に線を二本増やした。霧島はすでに二人埋めている。残りは98人だ。
そのとき、外で物音がしたように思えた。山小屋を飛び出したが、風の音や虫の鳴き声が聞こえるだけで、人の気配はない。
しばらく耳を澄ませていると、遠くで車のエンジン音がした。それはあっという間に遠ざかっていった。
(誰かが死体を埋めに来たんだ!)
シャベルを持って、霧島は音のした方へ歩き出した。
数分で、地面が不自然に盛り上がった場所を見つけた。掘り返してみると、そこには男の死体が埋まっていた。
誰がなんの為に殺した何者なのか、霧島には知る由がない。知る必要もない。霧島は、この男を埋葬するしかなかった。
それから数日が過ぎた。そのたった数日で、壁の正の字は増えていた。
死体は毎日、二体か三体は見つかった。それも、ほとんどが殺されたばかりの死体。死後半日も経っていない死体だった。
(まさか、毎日こんなに人が殺されているなんて)
初めは驚いたが、今はむしろ感謝していた。顔も知らない殺人者たちのおかげで、自分は二か月もあればこの山を出られるだろう。そしたら瞳を連れて、どこかへ逃げよう。
瞳は今頃どうしているだろうか。心配しているだろうか。なんとか連絡を取れればいいが、その手段はない。
ナイフとシャベルを持ち、霧島は山の中を歩いていた。
この生活において、ナイフは必需品だった。罠にかかった
70kgもある死体を運ぶのは簡単な仕事ではない。そこで霧島は、死体の首をナイフで切り、血を抜いてから運ぶことにした。死後間もない死体なら、これでかなり重量を減らせる。死後数日経った死体も、頭や手足を落として別々に運べば、そのまま運ぶよりも楽だった。
地面に目を凝らしながら歩くと、土の色が不自然な場所を見つけた。ナイフを置いて、シャベルで掘り返す。この作業も、もはや慣れたものだった。
次の死体はどんな人間だろうか。できれば小柄な人間が良い。頼むから巨漢だけはやめてくれ……。
死体の顔が見えてきた。どうやら女だ。それも、どこかで見たことがある気がする。
「……岩崎?」
記憶をたどって、ひとつの名前を思い出した。大学時代のサークルの後輩だ。しかし、それほど仲が良かったわけでもなく、大学卒業後は一度も会っていない。それがまさか、こんなところで再会するとは。
卒業後、彼女がどこで何をしていたのか、霧島は全く知らない。だから、殺された理由もわからない。
相手が誰であれ、霧島がやることは変わらない。死体の首にナイフを添えた。多少でも知っている人間となると、なかなか力をこめられない。
それでも、これを行わなければ、瞳のもとへ帰れない。霧島は意を決して、首を切った。
……もしこのときに、この山のルールに気が付いていれば。
霧島は、のちにそう後悔することになった。
だが今の霧島は、まだそれを知らない。今まで通り死体を引きずり、燃やし、骨を埋葬するだけだった。
次の死体を探しに出ながら、霧島は大学時代を思い出していた。語学サークルに入り、色んな言語の本を読んだが、今にして思えばママゴトのような活動だった。
瞳と出会ったのもそのサークルだった。瞳は他大学の学生だったが、インカレ制度を利用してこちらのサークルに入っていたのだ。瞳と付き合い始めたのは卒業後だが、実は学生時代からお互い好き合っていたことが、あとでわかった。
(俺達が付き合ってると勘違いしてた先輩もいたな。たしか名前は……そうだ、上村先輩だ)
霧島の思考はそこで中断させられた。車のエンジンの音が聞こえたからだ。
誰かが死体を埋めに来たに違いない。
音のした方へ行くと、地面が掘り返された跡を見つけた。霧島は慣れた様子で地面を掘り返した。
今度は男だった。それもどうやら大柄だ。霧島はうんざりしながら、その顔に見覚えがある気がした。
その男の名前を思い出したとき、霧島はシャベルを取り落とした。
「上村先輩……? どうして。そんな。馬鹿な。こんな偶然、あるはずが……」
一日に二人も、大学のサークルメンバーが殺された。そんなことあり得るのか?
(まさか、この山は……いや、そんなことは……)
霧島は考えを否定するように、死体の首にナイフを突き立てた。
教育ママの母と、エリート気質の父により、霧島と弟の強は、幼い頃から勉強のプレッシャーをかけられ続けていた。
幸いにも、兄弟はそろって一流大学への進学を果たした。霧島はその後証券会社に就職し、もうじき同期の中で最初に昇格するだろうと目されていた。
掘り起こした死体を前にして、霧島は座り込んでいた。
それは会社の同僚だった。プライベートで遊ぶこともある友人だ。彼と彼の恋人、霧島と瞳の四人で、飲みに行ったことだってある。
上村先輩を埋葬してから、正の字がいくつも増えていた。これまでに埋めたのは、サークルのメンバーや、高校時代の友人、瞳の友人。そして、会社の同僚。
間違いない。死体は徐々に、霧島の身近な人間になっている。
そして目の前の死体は、会社で一番仲の良い人間だ。
次からは身内だ。
霧島は身内の人数を数えた。両親、弟、母方の祖父母。近しいと言えるのはこの5人か。あとは瞳の両親。そして、瞳。瞳に兄弟はいないから、これで8人。
今まで埋めた死体は92人。残りはちょうど8人。
(……最後は、瞳だ)
なんとかしなくては。
どうにかして呪いを止めなくては、瞳が殺されてしまう。
「死体だ、死体を探そう」
同僚の首をナイフで裂きながら、霧島はうめくように言った。
「そうだ、前の男。あの男が見落とした死体はないか? それを見つけ出せれば……」
同僚の死体を山頂へ運び、焼却炉に入れる。大きなスイッチを押すと、霧島は再び森に入った。
血眼になって、死体を探す。少しでも怪しいところがあれば、シャベルを突き立てた。だがどこも外れた。地面を掘り返した跡が、あまりにも多いのだ。霧島が90回以上も掘り返してきた山なのだから。
歩きやすい場所は、もはやすべて探している。霧島はやぶの中をかき分けて、地面を調べた。
「くそっ、くそっ、どこかにあるだろ、死体ぐらい! 誰か殺せよ!!」
もはや何ら見当をつけることもなく、霧島は地面を掘り続けた。
やがて夜になり、霧島は新しい死体をようやく見つけた。
それは祖母の死体だった。健啖家で、90歳を過ぎても毎日元気に社交ダンスなぞをやっている老人だった。
翌日には祖父の死体が見つかり、瞳の両親の死体が立て続けに見つかった。
(こっちが先なんだな……)
瞳の母親を焼きながら、霧島は黙祷した。
霧島は、自分の両親のことが好きでなかった。霧島を束縛し、進路にも就職先にも、人生のあらゆる点に口を挟んできたからだ。その上、瞳との交際にも反対していた。瞳の大学の偏差値が霧島より低いのが気に入らなかったらしい。
(……親父たちが死ぬまで、待つのもありだな)
呪いを解く方法は探す。だが脱出するのは両親が死んだあとにする。そうすれば、なんの束縛もなく瞳と結婚できるだろう。
瞳の母親を埋葬すると、霧島は壁に線を引いた。これで96人。
呪いを解く方法はきっとある。霧島にはそう確信する理由があった。壁の正の字に、書きかけのものがあるからだ。呪いを解いた誰かが、途中で山を脱出したに違いない。
(ほとんどが三本目まで引いてある。つまり98人埋めたところで脱出しているんだ。どんな方法だ?)
翌日、ついに父の死体が見つかった。霧島はそれを淡々と焼き、壁の線を増やす。
(次はきっとお袋だ。タイムリミットは近い。明日か明後日には、瞳が殺される。その前に、どうにかして……)
小屋の外から物音が聞こえた。
飛び出して耳を澄ませる。聞こえてきたのは、車のエンジン音だ。
(エンジン……? そうだ、エンジンだ!)
霧島はシャベルを取って、走り出した。
(なんで気付かなかったんだ! 死体はここに、車で運ばれている。つまり、運んできている人間がいるんだ! そいつを殺して埋めればいい!!)
地面を掘り返す。出てきたのは母の死体だった。
霧島は大急ぎでその死体を運んだ。焼けるまでの時間も惜しんで、山の中に走り出す。
(次に運ばれてくるのは強に違いない。それで99人目。強を運んできた奴を殺す。こいつで100人目。これで瞳を助けられる!)
霧島は耳を澄ませた。絶対にエンジン音を聞き逃してはいけない。
きっと、今まで呪いを解いた人たちも、同じことをしたのだろう。だから正の字は98人で止まっていた。99人目と100人目が同時にやってきたから、わざわざ記録しなかったのだ。
やがて夕方にになり、夜になった。
虫の声が響く中、霧島は、かすかに人工的な音を捕えた。
(エンジン音だ! 急げ!)
霧島は音の方へ走った。
暗闇の中、人影が見えた。何か重い物を引きずっている。
「止まれ!」
霧島はその人物にタックルし、組み伏せた。
「お前を殺せば、俺は……っ!?」
その顔を見て、霧島は息を呑んだ。
「強……?」顔を青くした男は、弟の強だった。「お前、なんでこんなところにいるんだ」
「兄貴? 兄貴なのか? 兄貴こそ、なんでこんなところにいるんだ!? 二か月もどこに行ってたんだよ!?」
霧島はふらふらと立ち上がる。
「ま、待て、どうして強が生きてる? じゃあ、お前が運んできた死体は……」
振り返り、地面に横たわる物体を見る。
死体だ。人間の、女の死体だ。スーパーに行くような、ラフなワンピースを着ている。瞳が気に入っていた淡い緑色のワンピースだ。軽くウェーブのかかった茶色い髪は、瞳がしていたように胸元まで伸びている。細いフレームの眼鏡は、瞳が家でかけていたものだ。指の長い手も、小さな唇も、すべて、瞳のものだ。
「瞳!!」
死体に駆け寄り、抱きしめる。だが、瞳はぴくりとも動かない。
「お前が殺したのか!!」
立ち上がって、強に詰め寄る。強は腰を抜かして、あとずさった。
「き、聞いてくれ、兄貴。兄貴がいなくなってから、俺達の周りの人間がどんどんいなくなったんだ! 警察は俺達の誰かの犯行だと考えてたし、俺もそう思った。だから、最後に俺と瞳さんだけ残ったから、きっと瞳さんがみんなを殺してどこかに埋めたんだと思って……」
「それでどうして、瞳が死んでるんだ!」
「だから! ……俺が殺される前に、瞳さんを殺そうと、思って……」
一瞬だった。
頭に血が上ったと思ったら、霧島は、弟の喉をナイフで裂いていた。
これまで何十人もの首を切ってきた霧島は、どこにどうナイフを入れれば最も効率よく血が出るか、体で覚えていた。
強と瞳の死体を前にして、霧島は一晩中泣いていた。
この二人を埋めれば、見事100人の死体を埋めたことになり、自分は山を脱出できる。
だが、脱出してなんになる? もはや、自分には何も残されていない。友人も、家族も、最愛の人も失った。
二人の死体を運び、埋葬する。
瞳の墓に十字架を立てると、霧島は死ぬ決意をした。
ここで待っていれば、またいずれ、誰かが死体を埋めに来る。
そいつに殺してもらって、ここに埋めてもらおう。瞳が眠るこの山で、一緒に眠ろう。
霧島は耳を澄ませた。
エンジン音を、待つ。
人を呪わば穴増える 黄黒真直 @kiguro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます