第52話「見たままの美少女だって言ってるじゃないですか!」

「ようこそ神の家へ。祝福をお望みでしょうか」



 天使の羽のような翼がついたランドセルを背負った幼げな少女がにこやかに微笑みかけると、コボルトの若い夫婦はこくこくと頷きます。

 巫女が目配せすると、コボルトの奥さんがそっと天使様へとおくるみを差し出しました。

 清潔な布に包まれているのは、つい昨日生まれたばかりの赤子です。まだ目も見えておらず、もちろん自分で歩くこともできず、ぱっと見ただけでは仔犬と見分けがつきません。柔らかな毛に包まれたぷくぷくとした手だけが、この仔が犬ではなくコボルトであることを示していました。


 天使様はおくるみを覗き込むと、蕾が花開くように嬉しそうに笑われます。



「ふわあ……可愛いですねぇ。こんなの絶対守ってあげたくなっちゃいますよぉ」


「……」


「ね、女神様! すっごい可愛いと思いませんか! 思いますよねっ!」


「…………」



 つま先立ちをして天使様の肩越しに赤ちゃんを覗き込もうとしていた黒の女神様は、突然振り返った天使様に話を振られて、無言で数歩下がりました。



「女神様はシャイですね~」



 天使様は肩を竦めると、ニコニコ笑顔のまま赤ちゃんに向き直ります。

 コボルトの若い旦那さんは、困惑した顔で天使様の顔を眺めました。



「あ、あの……。貴方は? 私たちは子供を女神様にご挨拶させようと連れてきたのですが……」


「私は天使ですっ!」


「天使……?」



 未知の概念に、コボルトの夫婦は首を傾げます。

 天使様は左手を自分の未成熟な胸に添えると、宣言するかのようにこうのたまいました。



「そう、別の集落では女神と崇められていた私ですが、黒の女神様の方が偉大な神様なのでこれからは天使としてお仕えすることになりました! 私たちファイアホイールに、女神様は一柱で充分! 私のことは神様の御用聞き的な存在として親しんでください! あ、神様じゃないので神祇官や巫女を通さなくていいですよ! 気軽に天使ちゃんでもスズナちゃんでもすずてんちゃんでも、フレンドリーに呼んでくださいね!」


「は、はあ……」



 目をぱちくりさせるコボルト夫妻の横で、巫女のチッキが死ぬほど渋い顔をしています。宗教関係者以外が勝手に神話体系を作り替えるんじゃないよと言いたげですが、自称天使なので立場は巫女より上なのでした。

 ついでに黒の女神様もいっっっやそうな顔をしています。押しかけ従属神とか新しい概念すぎるだろ。



「それはそれとして祝福ですね! どんどん祝っちゃいましょう!」



 天使様は両手を合わせてへにゃっと笑った後、にわかにキリッとした表情になりました。黙っているとそれはそれは整った顔立ちの美幼女なのです。



「顕界に生まれ出でし新たな命に祝福を。この世は苦難多き世界なれど、この仔に顕界を生き抜く力あれ。そして旅の果てに、幸せを手にせんことを……」



 手を組んで祈りの言葉を口にした天使様は、赤子の額にそっと唇を落としました。

 その感触で目を覚ましたのか、赤子が不思議そうに手をぱたぱたと振ります。天使様はそんな赤子に柔らかな笑みを向けると、数歩下がるのでした。



「ありがとうございます!」



 ぺこぺこと頭を下げるコボルトの夫婦に、天使様はニコニコと手を振ります。

 天使様がどのような存在なのかいまいちわかってないのですが、とにかく黒の女神様の直属の部下で、よその土地では女神様と崇められている方の祝福ですので、それはもうとにかくありがたいに決まっているのでした。



「いえいえ、元気に育ってくれたらいいですねっ! あ、そうだ。折角だから女神様も祝福とかあげちゃったらどうですか?」


「えっ」



 黙って様子を見ていた女神様は、天使様の言葉におどおどと挙動不審な様子を見せます。女神様の代わりにあんたが祝福をあげたんとちゃうんかいと、チッキは内心でツッコミを入れますが、口に出せるわけもありません。文字通り天上の話なので。



「いいじゃないですかー、こんな可愛い赤ちゃんに直接触れられる機会なんてないですよ! ご夫婦も女神様に祝福してほしいですよねっ!」


「え、まあ……。それはそうですが、その、畏れ多い……」


「まあまあまあ! いいじゃないですかー!」



 女神様の背後に回り込んだ天使様は、にこやかに笑いながら女神様の肩をぐいぐい赤子へと押しやります。

 戸惑いながらも赤ちゃんの顔を覗き込んだ女神様は、どうしたものかと唇をもごもごさせました。


 女神様には咄嗟に中二病めいた祝詞を編み出せるようなアドリブ力なんてないし、暴れること以外は基本苦手なのです。破壊神かな? 破壊神だね。

 困り切った女神様は、とりあえず人差し指をそっと赤ちゃんに突き出してみます。と、赤ちゃんは気配を感じたのか、ぎゅーっと女神様の指を握りしめてきました。



「あいたたっ……」



 赤ちゃんならではの力加減を知らない握力に、思わず女神様の口から悲鳴がまろびでます。両親のコボルトは真っ青になりましたが、女神様は慌てて首を横に振りました。



「だ、大丈夫だから」



 別に本当に痛いわけではありません。コボルトと違って神様は痛覚がないので痛覚設定OFFなので、顕界で肉体を失うようなダメージを受けたとしても、痛みを感じることはありません。



「キミ、意外と力強いんだね」



 ただ、このいかにも非力そうな小さな命が、指先を握りつぶしそうなほどの力を秘めていることが、女神様にとっては新鮮な驚きだったのです。

 女神様は左手で少しずつ赤子の指を剥がすと、両手で小さな掌をそっと包み込みました。



「あなたがこれからずっと、その元気に満たされたまま生きていけますように。あなたの生涯が幸せに満ちたものでありますように」



 その言葉の意味がわかったわけではないでしょうが、赤ちゃんは嬉しそうに女神様へ笑い返したのでした。




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「いやー、あのご夫婦も嬉しそうでよかったですね! これからも新しく生まれたコボルトちゃんがいっぱい来てくれないかなー。ね、女神様!」


「いやお前も帰れよ」



 コボルトの夫婦が帰った後でにこやかに笑いかけてきたスズナに、カズハの手加減のないカウンターが繰り出された。スズナはカズハのすげない態度に、えー?と唇を尖らせる。



「でも天使としては女神様のおそばに侍るのが当然のポジションじゃないですか?」


「そもそも天使って何……? さっき初めて聞いたんだけど」


「貴方の忠実な部下です! ほらほら、この“天使のランドセル”も背負ってることですし、私にぴったりだと思いませんか?」



 そう言ってスズナはカズハに背中を向けると、小さな翼のついた赤いランドセルをふりふりと見せつけてくる。女子小学生が自慢げにランドセルを見せびらかしてくる姿は一言で言って超愛らしいのだが、カズハはめっちゃげんなりとした顔になった。



「ロリコン中年に媚びを売られても気持ち悪いだけなんだけど……」


「は? ロリコン中年? 誰がです?」



 きょとんとした顔になる自称天使に、カズハは無言で人差し指を突き付ける。



「えええっ!? 私のことそんなふうに思ってたんですか!? し、心外……! というか名誉棄損レベルなんですが! 私は身も心も見ての通りの完全無欠、まったき無謬の美少女ですよ!!」


「口では何とでも言えるし、そもそも見た通りの年齢の子が“心外”だの“無謬”だの口にするわけないでしょ。明らかに年配の語彙じゃん……」


「そこはそれ、私は賢いので! 並みの大学生なんかよりずっと物知りなんです!」


「どうだか」



 カズハは溜息を吐くと、小さく頭を振った。



「まあどうでもいいけど、さっさと帰ってくれるかな。キミにだって帰る村があるだろう……」


「ああ、集落のことでしたらお気になさらず。この際女神様に献上しちゃいますので、ぜひ<ファイアホイール>の直轄地として使ってください」


「なんだって?」


「私はコボルトちゃんに囲まれて幸せに暮らすのが目的ですから。そのコボルトちゃんの支配者が私だろうが女神様だろうが、どっちでもいいです。むしろ女神様が全部支配してくれてた方がコボルトちゃんにとって益になりますしね! 支配地が増えますよ! やりましたね女神様!」


「いやいや……」



 カズハは額を押さえながら、理解しがたいものを見る目で自称天使を見つめた。



「集落の所有権なんて、キミの一存でどうにかしていい話じゃないでしょ。そんな勝手、本国が頷くわけがない」


「本国? ああ、あの人たちはもうどうでもいいです」



 スズナは鼻筋の通った顔立ちにつまらなさそうな色を浮かべ、吐き捨てる。



「私の本国、征服派なんですよね。守護派になったって言ったとき、なんかすごい責めてきましたよ。コボルトちゃんを搾取して、強い装備品いっぱい作れるように工場作ってキープしとけとかなんとか。自分でやりもしないことを、偉そうに言わないでほしいですよね。私はあなたがたのラジコンじゃないんです。ましてやコボルトちゃんをいじめろなんて言語道断ですよ」


「まあ、それはそうだ」



 その言い分にはカズハも頷かざるを得ない。

 カズハにはエコ猫のラジコンをやってるつもりはないが、コボルトをいじめるなんて言語道断という部分は100%同意できる。

 するとスズナは我が意を得たりとばかりに、ガッと身を乗り出してきた。



「ですよね! もう状況は変わったんです。いつまでも旧大陸にしがみついて、遠くから自分の意を通せると思ってる連中に従ういわれはありません」


「う、うん……?」


「というかですね、もう私たちは別ゲーに来たに等しいんですよ! まっさらな土地でコボルトちゃんを全力で愛せる神ゲー始まったなこれってなもんです! なんで旧大陸での人間関係を引きずらないといけないのか、ワケわかんないですよね。私は旧大陸のしがらみを捨てて、新大陸で新たな人間関係を構築してこっち全振りでいきますよ!」



 それもどうなんだ、とカズハは思う。

 まあコボルトは確かに超可愛いし、彼らを守るために本国と手を切るという主張もわからなくはないのだが。

 新大陸での新たな人間関係に自分を指名してくるのはいったいどういうわけなのか。



「残念だけど、ボクは旧大陸との縁は切らないよ。旧大陸で大事な人が待ってるし、ボクの頭程度じゃ大それたこともできない。ボクはあくまでも、いつか旧大陸に戻ることを前提にして行動する」


「ふーん、そですか」



 スズナはカズハの瞳を覗き込むように体を乗り出したまま、小首を傾げる。



「旧大陸にブレーンがいるわけですね。それで、その方は女神様が守護派についたことに賛同してくださっているのですか?」


「うん、ボクがやりたいようにやれって言ってくれる。ずっとそうなんだ」


「なるほど」



 スズナは朗らかに笑うと、くるりとその場に一回転した。それに合わせて真っ白なワンピースの裾がはためく。



「わかりました、では引き続き女神様にご助力しましょう! 何なら女神様の旧大陸でのクランに加入してもいいですよ! これで私たちは完全に同志になれますよね!」


「え、どさくさに紛れて入って来ないでよ」


「なんでそんなに私を拒むんですか!?」


「だってロリコン中年だし……」


「ですから見たままの美少女だって言ってるじゃないですかー!!」



 自分のアバターを指して美少女を主張する奴の何を信じろというのか。

 というか、だ。



「逆に聞くけど、なんでボクにそんなにすり寄ってくるの?」


「それはもちろん、あなたと友達になりたいからですよ!」



 またまた身を乗り出してくるスズナの言葉に、カズハは眉を寄せる。



「そこが釈然としないんだけど。ボク、愛想悪いし名前隠してるし、仲良くしたい要素なんてどっかある?」


「ありますよ? だってすごい貨幣作ってるし、コボルトちゃん愛に溢れてるし。それに」



 スズナはじっとカズハの瞳を覗き込むように囁いた。



「あなた、“月の子ムーンチルドレン”ですよね?」


「…………」


「あっ、隠さなくていいです! 私もなんです、私たち同胞ですよ!」


「…………」


「ねえねえ、どこにお住まいなんですか? もしかして同セクとか!? 今度一緒に遊びに行きませんか!」


「GMコール。要件はハラスメント、付きまとい行為」


「ちょわーーーーーっ!!」



 冷徹にGM通報に手をかけたカズハに、スズナが体当たりするようにしがみついた。



「離れろロリコン」


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください! 同胞に向かってあまりにも無慈悲じゃないですか!?」


「通報は当然」


「ま、待って待って。確かに通報されても仕方ない言動ではありましたが! 私もこのゲームで初めて仲間に巡り合えて、ちょっと浮かれてしまったので! 大目に見ませんか!? 私、小学生! 子供のやったこと!」


「そういうのは許す側が言うセリフ」



 ジト目で睨み付けてくるカズハに、スズナはあわあわと汗をかきながら頭を巡らせる。

 ちなみに『ケインズガルド・オンライン』のハラスメント行為の基準はかなり厳しい。住所を聞き出そうとするのをはじめ、相手のリアル事情を暴く行為は一律で144時間のログイン制限を課される。ゲーム内でのユーザーの善悪は崩壊してるくせに、そういうところにはやたら厳格なのだ。


 スズナは6日間にも及ぶログイン制限をなんとか回避しようと頭をひねり、おもむろに背負っていた羽根つきランドセルに手を突っ込んだ。用意してきたお土産の存在をようやく思い出したのだ。



「ちょ、ちょっと待ってください。通報する前に私のお土産を見ませんか! これを見れば、私に6日間もログインさせないことが大きな損失だとわかるはずです!」


「いや、正直キミに6日間会わなくて済むなら、ボクにとって大きな利益なんだけど」


「なんで!? 私みたいな美少女に毎日会えるなんて眼福ですよ!」


「だってキミ、距離感バグっててキモいし……」


「私そんなに距離感バグってます!?」



 画面端からスクリューパイルドライバーで掴めそうなバグりっぷりだよ。

 もっとも、本人の主張通りの年齢であれば、こんなたとえは通じないだろうが。


 自称天使の幼女は、ランドセルから取り出したものをカズハに見せつけながら胸を反らした。



「じゃん! どうですか、これ! 我ながらよくできてるでしょう!」


「あー……そうきたか……」



 スズナの手に握られた手のひらサイズの円形の物体に、カズハは口元を歪める。

 それは丸い輪っかの内部に数本の棒を張り巡らせた、木工の工芸物。

 技術史における最高の発明品のひとつ。


 “車輪”のミニチュアだった。


 それの持つ意味がカズハに伝わったことを確信したスズナは、にこやかな中にも不敵さが滲む笑みを向ける。



「私はこれの作り方を、支配下にあった集落のコボルトたちに教えました。私が貴方に献上するのは、その集落です。彼らは大小を問わず、この車輪を増産することができる。……私に6日間もの休暇を取らせるのはもったいない。貴方ならそう思うはずです」


「…………」


「これ、ちょっと苦労したんですよ。ネットで資料を漁って、頑張って手作業で作ったんですから。でも、これを量産する効果は極めて大きい。昨日銀行屋さんが言ってた銀行の支店と合わせれば、この新大陸の隅々まで私たちの貨幣を広めることができるでしょう」



 カズハにもわかる。

 先日、グレイマンが言った銀行戦略に欠けていたパーツがこれだ。

 銀行支店には交換券と引き換えにするアップルパイの材料を大量に運び込まなければならない。それはコボルトがリュックに入れて背負うだけの量では明らかに足りない。どうにかして大量の輸送量をまかなわなければならなかった。荷車であれば、その問題を解決できる。もちろんゆくゆくは馬車や鉄道のような高速かつ大量の輸送手段が必要だろうが、ひとまず荷車があれば銀行戦略は実現できる。


 スズナはニコニコと虫も殺さないような笑顔を浮かべ、車輪を胸元に抱いた。



「もう一度聞きますが……私をお傍に置いてくれますよね?」


「…………」



 カズハは少しの間だけ目をつぶり、やがて言った。



「既にコボルトに製法を伝授してるんなら、キミがいなくても彼らだけで車輪は増産できるよね……?」


「ちょわーーーーっ!?」



 待ってください待ってください、命ばかりは! とまくしたてるスズナに、カズハは小さく笑った。



「……冗談だよ」


「じょ、冗談にしては趣味が悪くありませんか!?」


「それはお互い様だよね」



 そう言って、カズハはスズナの前に手を差し出した。

 スズナは機嫌を直し、その手をぎゅっと握り返す。

 こうして2人の“月の子”の同盟は成立したのだった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

お久しぶりです。

熱中症のダメージがようやく回復してきたので久方ぶりの続きになります。

まあダメージを回復する側からダメージ食らってるんですが……。


皆様もお体にお気をつけてお過ごしください。

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VRMMO経済をぶっ壊します!〜だめだよお姉ちゃん金卵をそんな使い方しちゃ〜 風見ひなた(TS団大首領) @daishuryo

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