時を超えたら「愛してる!」

芳ノごとう

時を超えたら「愛してる!」

(1)

「かな子ちゃん、結婚したんだって」

 昼日中にかかってきた電話が頭の中で反響する。何ヵ月も前に実家に届いていた結婚のお知らせ。届いた時に言ってくれよ。かな子も結婚式呼べよ。というか、かな子好きなヤツいたのか。俺は、てっきり、てっきり……。

 闇雲にそこら中を走り回った。深夜の田舎なのでろくすっぽ人影はない。俺が奇行に走ろうとも、誰にも迷惑はかからない。俺がかな子に影響を与えることがないように。

 気管が機能しなくなっていくのも構わず、俺はひたすらに走り続けた。目的地なんぞない。これが、かな子を奪いに行くための道のりならよかったのに。そうだ、それならば、俺はこんなモタモタしていないだろう。俺は吠え声を上げて足を速めた。

 俺は息を切らしながら地面に転がった。どれ程の距離、どれ位の時間走っただろう。俺の体力では大したことないのは明らかだが、如何せん暗闇でははかり難いのだ。俺は目を閉じた。


(2)

 野宿をする気はさらさらなく、小休止のつもりだったが、殊の外眠り込んでいたようだ。瞼ごしに日の光を感じる。うっすらと目を開ける。無理な体勢で寝たので身体が痛い。

 周囲には、いつの間にやらいくつもテーブルが並んでいた。ぎょっとしたが、徐々に事態を把握し始めた。ここはガーデニングパーティーの会場らしい。しかも皮肉なことに結婚式だ。こんな不審者がいるのによく始められたもんだ。

 幸い、誰も俺を気に留めちゃいなかった。俺は体勢を低くしたままその場から去ろうとし、何とはなしに花嫁らの方に目をやった。丁度、花婿が花嫁のベールを捲ったところだった。

 かな子。美しく着飾っているためか、記憶の中よりも、俺の夢よりも随分大人びて見えた。それともこここそが夢なのだろうか。かな子の結婚式はとうに終わったはずだ。ならばここは過去なのか?

 かなちゃん。

 大声で叫んだつもりだった。2人どころか、近くの参列客にさえ、俺の声は聞こえなかったようだ。2人の唇がそっと触れる。

「かなちゃん!」

 腹から声が出た。2人が弾かれたようにこちらを見る。俺はずんずん歩を進め、かな子を抱き締めた。かな子が戸惑い、周囲が咎めるのも構わず、俺はかな子を抱き抱えて遮二無二走った。


(3)

 やはり夢かもしれない。息も上がらず、足も軽い。感じるのは、かな子1人分の重さと温かさのみだ。俺がふわふわとした心地で走り続けていると、今まで唖然としていたかな子が抵抗を始めた。危ないので慌てて下ろす。

 かな子は俺のことをキッと睨んだ。俺が両手を握っていなければ、平手の1つや2つ、食らわしてきたかもしれない。

 かな子が口を開く前に、俺はありったけの思いをかな子に告げた。縷々と続く愛で、表情は段々和らいでいき、かな子は自ら俺の胸に飛び込んだ。

 勝手知ったると言わんばかりにかな子は俺の手を引き、市役所へと連れて来てくれた。結婚式が終わったら、すぐ入籍しにやって来る予定だったらしい。他の男の辿るはずだった道をそのまま宛がわれているというのは若干癪だが、堪らない優越と愉悦とで帳消しになった。これからかな子は俺のものになるのだから。

 かな子が白紙の婚姻届を前ににこにこしている。かな子の着ているウェディングドレスは簡素なものだったので、市役所にいてもそこまでは目立たなかった。抱えて走りやすかったという点も含め、かな子によく似合っているドレスだ。俺が促すと、かな子はペンを握った。

 遠城かなみ。遠城かなみ?

 俺は、真剣に書き始めたかな子であるはずの人物の顔を盗み見た。遠城はいい。かなみ? 心臓の音がうるさい。俺は必死に記憶を手繰り寄せた。思い当たり、あっと叫びそうになった。

 かな子の母さんだ。とんだ人違いだ。過去に帰れたら、過去を変えられたらとは願ったが、戻り過ぎだ。かなちゃんなんて、昔の呼び名を使うんじゃなかった。

 俺が後悔に苛まれている間に、かな子の母さんは自分の分を書き終わったようだ。集中のとけた、ほわほわした顔をしている。かな子にそっくりだ。正しくは、かな子が母親に似ているのだろうが、そんなことはどうでもいい。

 かな子の母さんがこちらにペンを差し出す。笑顔を見ていられなくなり、俺はペン先を黙って見つめた。

「どうしたの?」

と不思議そうに顔を覗き込まれ、俺は市役所を飛び出した。

 走る、走る、走る。ありとあらゆる障害物や人にぶつかった気がする。身体の内側は酷く熱くて痛いのに、外部からは全く感じない。

 何故俺は走っているのだろう。自責? 羞恥? 逃避? 答えの出ぬまま、俺は目についた歩道橋を駆け上った。一番上まで上がり、ふと思う。

 あの2人が結婚しなければ、かな子は生まれないのではないか?

 俺は踵を返し、市役所へと戻った。いや、戻ろうとした。足を踏み外し、俺は階段を転げ落ちたのだ。

 身体が地面へと無様に叩きつけられる。周りの人が俺を見て騒いでいる。気をつけて見ると皆一様に装いが古い。今更気づいて何になるんだ。

 薄れ行く意識の中で、ああ俺は本当にかな子を愛しているなあと思った。


(4)

「ちょっと、ちょっと」

 怪我人に対して随分な扱いだ。そんな乱暴に揺さぶるなよ。

 そう思ったのも束の間、俺はがばりと身を起こした。呑気に自分自身の心配をしている場合ではない。かな子は? かな子の両親は?

「え、大丈夫?」

 明らかに腫れ物扱いしてくる人におざなりな返事をし、俺はよろよろと立ち上がった。痛みはない。そこで違和感が生じ、俺は周囲を見渡した。

「すみません、今、何年何月何日の何時ですか?」

 声をかけたことを後悔するような表情を隠そうともしなかったが、その人は教えてくれた。性根が親切なのだろう。礼を言い、その場を立ち去った。


(5)

 慎重かつ素早く階段を上る。402号室を開ける。かな子の結婚を聞いて飛び出した時のままだ。あれから1時間程しか経っていなかった。

 逸る心臓を押さえつけながら、ベッドに放られたスマホを手に取った。実家にいる弟に連絡をする。返事が来るかは賭けだったが、流石宵っ張り。すぐに繋がった。かな子の結婚報告を写真に撮って送るよう、要請する。

 俺は送られてきた写真をしげしげと眺めた。幸せそうに微笑んでいるのは確かにかな子だ。旧姓も遠城だ。だが俺の目なんて怪しいもんである。

 弟と1時間程通話し、俺はベッドに倒れ込んだ。迷惑そうにする弟に探りを入れ、すり合わせをしてみたが、かな子は俺の知っているかな子だった。どっと疲れと安堵が湧き、俺は眠りにつくことにした。

 俺はかな子の人生に何の影響も及ぼさないのだ。

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