お気に入りの水平線

犀川 よう

🌊

 女子力は満点だったのに健康面で落第したため、わたしは高校を二年で中退した。本来ならば高校三年生だったはずの夏前、わたしは血液のがんとやらで死んだ。


 その一か月前くらいだっただろうか。マーク・トウェインの何の本だかは忘れたけれど、「まず事実をつかめ、それから思うままに曲解せよ」という名言を知った。生前の終盤、若い身空で本を読むかスマホくらいしか出来なかったわたしであったが、そのフレーズを知っておいて良かったと思った。今わたしが見ているのは、霊安室で保管されていたと思われるわたしの棺桶が、病院の外へと運ばれていくシーンだ。葬儀屋の業者さんらしい男性数名と入院中いつも親切にしてくれていた新人看護師の女性とその先輩が、ストレッチャーに乗せられたわたしの棺桶に従って歩いている。そしてわたしはそれを斜め上から眺めているのだ。――よし。これが事実というやつだ。


 さて、曲解するまでもなく、わたしは幽霊とやらになっている。棺桶はピカピカでちょっとおしゃれな霊柩車に入れられ、女性看護師は泣いてくれている。仕事で死を見るのは初めてなのだろうか。先輩はわたしの亡骸に手を合わせてから女性看護師の肩を軽く叩いた。女性看護師は涙を拭って去り行く霊柩車を見送ると、一礼して先輩と病院の中へと入っていった。誰もいなくなった駐車場で、わたしだけがいつもの二倍以上高い視点で、病院の裏口らしきこの場所を見下ろしていた。


 とりえあず、目の前の事象にさほど驚くこともなく、やることもないことに気がついたわたしは、曲解を始めてみようと思った。自分の葬儀を見るのもなんか嫌だし、いつ、このですらなくなってしまうのかわからない。だから、わたしは一番やりたいことをやっておこうと思った。お仲間を探すのだ。

 わたしがいるのなら、わたしみたいな存在も複数いるということだ。それが自然の理であろう。わたしだけが特別に幽霊である方が不自然というものだ。たしかにクラスで一番かわいい存在だったわたしでも、そこまで自分を特別視はしてはいない。

 死ぬまで過ごした病院に一礼(概念)をしてから街の坂を下っていく。どうせなら海辺にいる人(?)がいいと思った。山にいる幽霊はなんとく陰気そうだ。痴漢も多そうだし、開放的な海なら、素敵なイケメンがいるかもしれない。「そこのお嬢さん。僕と一緒に成仏しませんか?」なんて誘ってくるのだろうか。あ、実体がないから、そもそもイケメンであるかもわからないのか。


 苦もなく海岸に着くと、案の定というか、予想以上にがお集まりになっていた。見た目は霧状の火の玉型なのだが、なんとなく老若男女の区別がつく。意外にも若者が多いのが驚きだ。

「なにアンタ。新入り?」

 声をかけてきたのは、残念ながら女性で二十代前半くらいだろうか。すごいね幽霊。なんでも感覚で物事が把握できる。アニメ好きな叔父がよく言っていた、ニュータイプってヤツ?

「はい。えっと、今日から幽霊になりました」

「そう。それは残念ね。ご愁傷様」

「ありがとうございます。あ、でもまだ成仏してませんけど」

 女性はフンッと高めな声を出すと、視線を海の向こうに投げた。

「普通はさ、三途の川よね。こういうとき。こんな綺麗な水平線ではなく」

「ええ、確かにそうですね」

「なんで海にこんなにいるんだろうね。あたしたち」

 女性は遠い目をして水平線を見たままだ。

「それは……気持ちがいいからですかね」

「死んだのに海を見たいとか、馬鹿みたいじゃない」

「地獄見るよりは正常だと思いますよ」

 わたしはそう言うと、女性に聞いてみたくて質問してみた。

「ここの海、お気に入りだったんですか?」

「……昔の事よ」

「どれくらい?」

「さぁ。八十年前くらいかしらね」

 その一言で色々な情報を得たが、何の役にも立たなそうだ。

「水平線って、どのくらい向こうまで見えるか知ってますか?」

「そんなこと、知らないわ。視力のあるかぎりじゃないの?」

「――えっと、だいたい四キロくらいです。計算法は高校生でもわかるんですよ」

「すごいわね。女学校を出ているのかしら?」

「まぁ、そんな感じです。中退ですけど」

 わたしも水平線を見る。晴天の海は靄もなく、限りなく向こうまで見える。それこそ、視力がある限りだ。

「あのもしよかったら、これからわたしがお気に入りにしたい水平線を、一緒に見に行きませんか?」

「どこなの、それ?」

 わたしは海のできるだけ遠くを差す。指はないけれど。

「ドレーク海峡。船も飛行機も寄りつかない、南米大陸と南極の間にある荒海です。こんな格好でなければ、水平線なんて拝めないところなんですよ」

 女性は何もわかっていないようだ。だけど、なんとなくだけど、一緒に行ってくれそうな気がする。そんな優しい気配をわたしは感じた。

「それは、この水平線のずっと向こうなのかしら?」

「はい。だから、途中で成仏するのはナシですからね」

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