マリンノーツ(第1話)最後の凱旋

早風 司

エピローグ

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  ― サン・セバスチャン近郊の海岸 ―


十九時。特務艇メイフラーがバスク党の委員長たちをフンス巡洋艦ジャンヌ・ダルクに引き渡し、再び我々のいる漁村近くの海岸に戻ってきてくれた。メイフラワーはホバークラフト機能があり、海岸の砂浜まで乗り上げることができるので、我々が待っていたすぐそばまで横付けしてくれた。海に目をやると、カンタブリア海の夕日は水平線に沈みその上空は赤く太陽の残照だけが残っていた。


我々は、あわただしく過ぎた昨日からの一日の緊張感から解き放たれ、メイフラワーの艇底から噴射される圧搾空気を浴びながら、みんなリラックスした表情で一人ずつタラップを登り、艇内のデッキに乗り込んだ。


「艦長、ご苦労様でした。皆さんお怪我もなく安心しました。シンデンのニミッツ中尉も既に無事帰還しております。」

メイフラワーの操縦士が着座したまま振り向いて、我々を笑顔で迎えてくれた。


「そうか、ご苦労。では帰ろう、ポセイドンへ」


ティエール艦長は操縦士の左肩をポンポンと軽くたたいて言った。


メイフラワーは海岸を離れ、ポセイドンへと進路を取り、次第に速力を上げていった。デッキの小さな窓から私は海を見ていた。海岸についさっきまでいた時と空の色、海の色が変化しているのに気付いた。

この景色をみていると自分がその中に吸い込まれ、地球と一体になるような感覚があった。それは、今日の演習場跡地での戦闘など無かったような、記録を残せてもいつかは記憶から取り払われていくのではとも感じられた。光と影が入れ替わり、時間が過ぎていくのは間違いのないことであるが、この瞬間、時刻は止まっているかのような感覚がした。


特務艇メイフラワーはポセイドンの右舷後部格納庫入り口に入ると、ジェットコースターが発進する時のように上り坂の滑面台を引っ張られて格納庫に収容された。

メイフラワーから格納庫に降り立った私は、ゆっくり閉まり出したハッチ越しにバスク地方の陸地を見ていた。その時、パンプローナの文化センターでのサラサーテの言葉が頭の中をよぎった。バスクは大地にじっといつまでも動かないで横たわる牡牛のような存在であると。こうしているとその意味するところが心で感じ取ることができた。


彼女やフランスへ一時退避したバスク党幹部の人たちはこの先どうしていくのだろうか。我々が再びバスクへ来ることがあるかどうかは分からないが、バスクの民族問題は今までと同様に短期間で解決されるほど単純なものではないし、彼女たちの内なる戦いは継続されるだろう。その先に待ち受けているものは何なのだろうか?

私がいくら心配したところで、それとは無関係にバスクを取り巻く人々にもまだ見えぬ運命が待ち受けているのだ。


そんなことを考えているうちに、右舷格納庫のハッチは閉まってしまい、心地よい海風と潮の香り、艦の外郭に打ち寄せる波の音が遮られてしまった。もう少しこの心地良さにひたっていたかったが、潜水艦である以上速やかにハッチを閉めて潜航しなければならない。周りの整備員は手早く防水遮蔽のチェックをしてブリッジに遮蔽完了を報告している。


我に返ったように格納庫の辺りを見回すと艦長だけが私と同じようにハッチ越しに陸地を見ていたようだった。ふと、艦長と目が合い沈黙したまま格納庫を後にしてブリッジに向った。艦長も私と同じことを考えていたのか。それとも・・・・・。



― 二〇時 ポセイドンのブリッジ ―


ブリッジに上陸班の全員がそろった。たった一日の出来事だったが、私にとって初めてのポセイドンでの任務であり、忘れ得ぬ日となるだろう。それにしても、このポセイドンの任務では今日のようなことがしょっちゅう起こるのだろうか。上陸班のメンバーの様子を見ても、任務から開放された安堵感からの笑顔やおしゃべりするなど今回の出来事は特別だったような雰囲気は全く無い。クルー全員が淡々と自分の持ち場の仕事をしているだけである。私だけが少し興奮気味なのだ。


三日前に“緊急着任“した時は、いきなりスペインへの全速航行に始まり、あわただしく上陸。その後は、ETA(バスク祖国と自由)の戦闘部隊との銃撃戦。バスク党大会の安全を確保。そして、そのメンバーとの別れ。たった一日でこれだけの事態が発生し、その都度我々は選択を迫られた。失われた命は、セルバンテスの命(自殺)だけに終わったので、いちおう任務は成功といえるだろう。

この一連の出来事のあらましをUFF(国際連邦艦隊)本部に報告するのが私の仕事である。


任務の内容が単なる調査、観測といった類のものであれば、報告書も書きやすいのだが、今回のように複雑な人間関係が絡み合い、正と悪、愛情と憎悪、同一民族間の確執、それに戦闘が加わると報告書の書き方に頭を悩ませることになる。


本当に我々の行った行為は、複数の価値観の中で、一方にだけ肩入れしてやっただけなのではないか、という自責の念さえ湧き上がってくる。しかし、それが正しか否かは問題ではなく、UFFの基本理念が地球環境保全と人間尊重であるから、その理念のもとに下される任務に対しては、それを確実に実行しなければならない。私情や迷いは誤った結果を導くか、自分や他のクルーの命取りにもなりかねない。要するに任務を遂行するに当たり、ポセイドンの艦長指揮下のクルーがいかに行動したかを客観的に報告しなければならない。そう割り切らなくては、報告書は堂々巡りをするだけで自分の価値観だけで記述したものになってしまう。


 そのように自分に言い聞かせながらも、心のどこかでこちらの立場でみたらこうだし、あちらの立場で見たらこうなるしとの自問自答している自分に気が付く。


 気分を変えてから報告書を書こうと、疲れた身体をベッドに横たえ、何気なく制服の上着の内ポケットに手を入れてみて、中に入っているものに気付いた。取り出してみると、それは、サン・セバスチャン近郊の漁村で、市長のソローリャさんから別れ際にお土産にと手渡された赤いネッカチーフであった。

 ネッカチーフを広げてみると、隅っこにスペイン語の文字で何か書かれていた。スペイン語が不得手な私は、言語変換スキャナーで意味を翻訳してみるとこう書かれてあった。


「山は高く、渓は暗し。岩は黒ずみ、狭道はすさまじ。その日フランス勢。困難重ねて通り過ぎたり。そのざわめき、十里の彼方より聞こえぬ。『ローランの歌』より」


 バスク地方の場所は、今のスペインとフランスにまたがる地域であり、国境などという概念がない時代には、侵略、通商も含めた人の往来はごく普通にあったはずだ。政治的、軍事的に翻弄され辛い時代もあれば、安定した政治体制の下で豊かさを享受できた時代もあったはずだ。

その中でバスク地方の先祖は、異なる価値観にさらされながら何らかの選択をして現代に至っているのだ。その結果はまさにサラサーテらが生きていいる今の世代に受け継がれている。その選択が良かったとか、悪かったとかは後になれば何とでも評価できるし、また、未だに評価が定まらない選択もあるだろう。


 長い歴史の積み重ねの中では、それらはジグソーパズルのワンピースに過ぎないのだ。選択肢を突きつけられた時、右を選ぶもよし、左を選ぶもよし、選択せずに時に身をゆだねるもよし。そこでの選択に対する当事者の努力と英知がどれだけ注がれるかが重要なのだ。それに比べれば、私の報告書など軽いものだ。そう考えるとさっきまで悩んでいたことが何だかバカらしく思えてきた。


昨日からのたった一日の任務の間ではあったが、その間中、足が地についていない感じがした。しかし、今はこの艦にいるだけで何だか自分の度量、能力が少し成長したような感覚が湧き出てくる。


なるほど、これが”ポセイドン“か。この瞬間が、私がこの艦の任務の意義を理解し始めた第一歩となった。



  ― ソフィア王妃美術館の『ゲルニカ』の絵の展示室 ―


 現在の時刻は二十一時頃。ポセイドンがスペイン沖から離れていって数時間が経った。ETA(バスク祖国と自由)のラミレスをリーダーとするチームによる『ゲルニカ』強奪作戦が事前に発覚したため、スペイン公安当局は彼らを欺く計画をたてた。オリンピック開催を記念して一時的にバレンシア市のサン・ピオ五世美術館に展示させることになっていた『ゲルニカ』を守ることとあわせて、強奪犯人グループを逮捕してしまう計画である。具体的には、本物は秘密裏に美術館の保管倉庫に仮置きし、贋作を運搬車両に運び込んで予定通り移動させた。結果はスペイン公安当局の思惑通りラミレスたちを逮捕することができた。

 スペイン公安当局の幹部は彼らの逮捕を大いに喜んだが、『ゲルニカ』が再びETAに狙われないとも限らないのでバレンシアでの臨時展示を中止し、元のマドリードのソフィア王妃美術館に展示することになった。贋作はすぐに裁断され本物は何事もなかったように展示場に戻ってきた。


 今日もソフィア王妃美術館には多くの美術ファンや観光客たちが入館し、いくつもある美術工芸品の中でもひときわ『ゲルニカ』の前では足を止めてじっくり鑑賞していく人が多い。『ゲルニカ』はソフィア王妃美術館の“目玉”展示品なのだ。これは一種の引力のようなものだ。人々がそれに引き付けられ、連日休むことなく、多くの人々に足を運ばせるパワーが『ゲルニカ』にはある。

 『ゲルニカ』はバスクにこそ移らなかったが昔からスペインに留まり、バスクを、偉大なるヨーロッパ大陸を見守っている。この先、何世紀にもわたって。ビーナス像、ダビテ像などと同じように世紀を越えて色あせることなく、輝きを失うことなく存在し続けるだろう。


 美術館の夜警の時刻になった。一人の警備員が懐中電灯を持って誰一人いない展示場の点検巡視に回っていた。夜の美術館の中は初めての人だと恐怖心に襲われるが、美術館の警備担当の仕事をして三十年以上の経験を持つ彼にとっては、暗闇の中の展示物に囲まれても何の違和感も感じていなかった。ただし、ささいな展示物の位置の変化も見逃さない注意力を持っていた。

 彼は『ゲルニカ』の前で立ち止まり、古い友人にでも語りかけるような口調で独り言を言った。


「ウム、ちゃんと元通りの場所に戻ったな。・・それにしても今日は一日だけの貸出しだったが、無事に戻ってきてホッとしているよ。巨大なお前がこの壁面にいないと、ここの展示場自体が様にならないからな。・・それにしても運搬係の気の使いようは並みのものじゃなかったな。やはり、これだけの名画となると扱われ方が違うな。・・・お前が羨ましいよ。ワシも一度でいいからあんな風に大切にされてみたいよ。・・でも、まあ、お前とワシじゃ格が違いすぎるから叶わぬ夢だな。」と、年齢が六十歳近くの警備員は展示品に語りかけるクセがあった。


「今日みたいにあんまりどこにも行かずに、ずっとここにいておくれ。警備の仕事はワシの次の者、さらに次の者に引き継がれるだろうが、お前は誰から引き継いだわけではなく、また、誰かに引き継ぐわけでもなく、ずっと永遠にお前自身が変わらずにスペインの地にいてくれるだけでワシは満足じゃ。もし、仮におまえに試練が訪れるとしたら、それはおまえ自身の価値が落ちるというものではなく、人間がお前をおとしめることによるものだろう。それだけが気がかりじゃ。この先、どんな時代になるのかワシなんかには予想もつかないからな。」

警備員は腕組をして独り言を続けた。


「ともかく今日は珍しい貸し出しに遭ってご苦労さん。今夜はゆっくり休んでくれ。・・・そしてお前の永遠の輝きを保ち続けてくれ。また明日から大勢のお客さんがやってくるからな。」

 そして、その警備員は腕組を解き、入ってきた扉の方に向って歩き出した。


カッ、カッ、カッと警備員の靴音が『ゲルニカ』から遠ざかっていき、靴音が止まってこの展示場の扉の鍵がかけられたガチャンという金属音が真っ暗な空間に響いた。その後には無音で光のない世界が存在しているだけだった。


『ゲルニカ』は見ている。

自ら動くことはないが、バスクを、スペインを、そして偉大なるヨーロッパ大陸を見ている。搾取と無関心によって我々の大切なものが失われないことを願って真っ直ぐに前を見ている。




海中の潜航航路


常に替わらない漆黒の世界


この航路の行く先に

何が待ち受けているのだろう。


この航路の行く先に

        果たして終わりがあるのだろうか。 


  答えをみつけるため

        人は古より航海に出るのか。


  ポセイドンは進んでいく。


私の意思とは無関係に


  静かに穏やかに、そして遠くまで。


我らが答えを見つけ出すその日まで。



第一話「最後の凱旋」完

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