影にこがれる

 日本の夏というやつは、年を越すごとに異常さを増している。これは現代を生きる者達にとっては周知の事実……事実であることを心底認めたくないけれど。

「あっつ……」

「次暑いって言ったら罰金」

「くそ、雪菜のやつまだか?」

 自転車置き場に設置された申し訳程度の屋根では、傾いた太陽の光を防ぐには心許ない。自分の自転車の荷台に腰を下ろした純は、邪魔そうに眉にかかっている前髪をかきあげた。鬱陶しいなら切ればいいのに。

「優柔不断な雪菜に『適当に』なんて注文した純が悪いんじゃん」

「だってクソ暑いからアイスなら何でも良かったんだよ。そういう真菜だって『チョコ系で』って雑じゃねぇか。チョコ味のアイスがコンビニに何種類あると思ってんだよ」

「この季節、チョコ系より果実の爽やか系ばっかり並んでるわよ。ど定番くらいしかチョコ味ないんじゃない?」

 コンビニでアイス買わないから知らないけど〜と心の中で付け足しながら手を団扇のように振る。微妙で温い風に縋りながら、太陽を避けるように俯いた。雪菜の身長に合わせてあるサドルは、私には少し高くて踵が浮いてしまう。ローファーの爪先で蟻の行進を邪魔していると、額から流れた汗がぽたりと革の上に落ちた。

「あつ……」

「はい真菜、罰金五百円」

「高いわ」

 ポケットに入っていた十円玉を投げると、受け取った純は「ケチ」と言いながらもちゃっかり財布の中に納めている。せっかく昼に自販機のお釣り口で拾ったのに。

「というか、雪菜について行かなくて良かったわけ?」

「なんで? ジャンケンに負けたのアイツじゃん。妹が心配ならお前が行けよ」

「そうじゃないでしょ……」

 呆れて言葉も出ないと大きな溜息をこぼすと、純は「何だよわざとらしい」と口をへの字に曲げる。わざとなんだから、わざとらしくて当然だ。

「そこは『俺もやっぱ一緒に行くよ』くらい言える甲斐性が欲しいわよねぇやっぱ」

「何それ。お前らはお腹の中からのお付き合いかもしれないけど、俺だってオムツ付けてた時代からの仲なんだぜ? 今更気持ち悪いだけじゃん。ないわ〜」

 そう言って部活用のエナメルバッグから取り出された水筒は、二リットルくらいゆうに入りそうだ。それを両手で持って首を傾ける様子を横目でじっと眺めた。

 バスケ部らしく首までしっかりついた筋肉の凹凸をなぞる様に流れる汗が、西に傾いた陽を受けて存在を主張する。口の端から溢れたスポドリがそれに合流する瞬間までスローモーションのようだったのに、純が勢いよく身体を起こしたせいで時間は正常に戻ってしまった。

「ゲホッコホッ」

「お茶飲むの下手くそか」

「お前、この水筒の水流を舐めやがって」

「容量だけ考えてデカイの買うから悪いんじゃん」

 どうやらスポドリが鼻にも入ったようで、親指の腹で乱暴に鼻の下を拭っている。擦りすぎて鼻は赤くなり、心なしか涙目になっている様子を見て黙ってポケットティッシュを差し出した。

「……サンキュ」

 大人しく私の手から一枚抜き取ると、勢いよく鼻を噛んだ。下唇を突き出し不愉快を前面に押し出した表情は昔から変わらない純の癖。

「ごめーん二人とも! 遅くなった!」

 違和感が拭えないのか、鼻をスンスン鳴らしている純を眺めていると、声と共に自分と同じ顔をした長身が走ってきた。

「遅い。罰金五百円」

「アイスより高いけど⁉」

「何買ってきたの?」

「真菜はパピコで純はピノ」

 小さなコンビニの袋を持ち上げてそう言った雪菜に、純は不服そうな声をあげる。

「何で暑いのに氷系じゃねぇんだよ」

「何でもいいって言うから! 定番なら外さないかなって」

「雪菜のは?」

「ガリガリ君の梨味」

「自分だけ期間限定買いやがって! 寄越せ!」

 純が袋に勢いよく手を伸ばすと、雪菜は予想できたように持つ手を入れ替えた。無様に転びかけた純を見て思わず吹き出す。

「ダッサ」

「おい、クソ雪菜お前!」

「ちょ怖い怖い! てかアイス溶ける! 真菜パス」

「がんば〜」

 辺りが真っ赤に染まる時間帯とはいえ、未だ三十度を超えていそうな日に元気なことだ。バスケ部とバレー部の追いかけっこする影を、テレビの向こう側のように眺めながら袋を探る。冷たいビニールに心地よさを感じながらパピコの袋を取り出した。恐らく二人のアイスは再冷凍しないと食べられないだろうなぁ。

 袋の表面についた水滴を軽く拭って開くと、左右対称をしたお馴染みのフォルムが顔を出した。僅かに指が沈むのを感じながら両手でそれを持つと、捻るようにして切り離す。

 しかし容器は綺麗に割れることなく、頭の部分だけ中途半端にくっ付いてしまった。その隙間からドロリと溶けたアイスが手に流れ出す。

「おっと」

 服に着かないように少し上を向いて舐めとると、最早何で追いかけっこを始めたのか忘れていそうな二人が運動部の意地のようにデッドヒートを繰り広げていた。

「……あまい」

 

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短編集② 卯月 @kyo_shimotsuki

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