#1ミッシングリンク

「……朝」

 気怠げな声と共に白い手が窓に伸びる。その手が窓の縁を掴んで自らの体を起こすと、そこには白い肌にぼさぼさの白い髪をした赤い瞳の女の顔が映っていた。

 この場所で、外の時間が分かる訳もない。女━━〈荒屋敷 唯〉は頭を搔いて立ち上がった。ゴミに埋もれた部屋をかき分けてPCデスクへと辿り着くと、白衣の胸元を弄り、ひしゃげたタバコの箱を取り出した。

 タバコを咥え、唯は不満げな表情でPCを操作し、メールボックスを開く。三時間前に一件、新しいメールが届いていた。メールの差出人は〈呂久村 真〉となっている。

「この間死んだばかりなのにな」

 つまらなそうに煙を吐いて、唯はメールを確認した。



 ◇



「よう荒屋敷。相変わらずのゴミ部屋だな」

 死んだと思っていた男はなんて事はない様子で唯の前に現れ、呑気な挨拶をしてみせた。何故、呂久村が死んだのに生きているのか、唯は既に理解していた。

「随分良い保険に入ってたんだね」

「ああ。だけどまさかこんな事になるなんてな、おかげで退職金が全部パーになる予定だ。全くふざんじゃねぇ」

「悪いのは呂久村だよ。油断してあんな有り触れた狂人に殺されるのが悪い」

 唯がそう言うと呂久村は舌打ちで返す。そして溜息を吐くと、ぼそりと呟いた。

「……お前の言う通り、だな。俺はもう引退する」

 呂久村の吐いた言葉に唯は頷く。呂久村の年齢は六十七と高齢だ。これまで前線にいた事が奇跡に等しい。それがとうとうつい先日、なんてことは無い木端殺人鬼にまんまと殺されてしまったのだ。もう前線で働く事は難しいのだろう。唯に呂久村の引退を否定する理由は無い。

「だが、俺の後任がまだ決まってねぇから今すぐ辞めるって訳にはいかねぇんだとよ。とりあえずお前の希望があれば、出来るだけ汲んでやれるが?」

 呂久村の後任。つまりは唯の新たなパートナーとなる人材。唯がすぐに思いついた人間は既にこの世にはいなかった。なので少し考え、唯はある事を思い出し、それを口にした。

「蔵敷宗悟。あの男は呂久村の部下だったのか?」

 それは先日、呂久村を殺し、唯を襲った狂人Aの事だ。

「なんでだ?」呂久村は唯の質問を訝しんだ。

猟犬ハウンズが反応しなかったことは知ってる。だからヤツは警官だったんだろ?」

 猟犬ハウンズとは、都市の警官が扱う機器の一つだ。殺人が起きた際、その被害者と加害者の痕跡を明らかにするという代物だが、欠点として警官のモノには一切反応しない。要は先日の一件は警官が警官を殺した場合のみ起こり得た。

「チッ、退職間際に面倒事は避けたかったってのに……」

 呂久村は乱暴に頭を搔いて、唯を睨みつけた。

「んなモンが通るか分からねぇぞ? そもそも、マトモに使えるとも思えねぇ」

「かなり良い保険に入っていたんだろ。ヤツの頭蓋からお前の脳だけを回収するのは骨が折れたんじゃないか?」 

「だからお前は嫌なんだ」

 唯が淡々と告げた事を呂久村は苦虫を噛み潰した様な表情で聞き届け、悪態を吐いて出ていった。





 後日、呂久村は一人の男を連れて唯の前に現れた。

 警官殺しに加えその他殺人による余罪を背負った男、蔵敷宗悟を連れて。

「アンタが荒屋敷か。俺に何をさせるつもりだ?」

 かつての狂人は形を潜め、代わりに唯に対する敵意を以て若い男は口を開いた。眼光は鋭く、無精髭の生えた顔はまるで野犬の様な雰囲気を放ち今にも飛び掛かって来そうな危うさがあった。

「案外行けそうだね」

 蔵敷の問いに答えず、唯は腕を組んで呂久村を見た。

「バカ言え、自分が誰かも分からずに一週間も発狂してたんだぞ。マトモな訳があるか」

 呂久村が心底疲れ切った顔をするのを唯は一笑に付し、少しだけあの時バラバラにし過ぎた事を反省した。

「記憶はどれくらい残ってる?」

「ほとんど残ってねぇよ。さっきも言ったが自分が誰なのかすら分からなかったんだ。もうコイツは全くの別人だよ」

「ふーん、呂久村はそうならなくて良かったね」

「まったくだ」別人と化した蔵敷を見やり、呂久村はため息を吐く。

「イカれたクソッタレどもが、さっきから気色の悪い会話を続けやがって……今度は俺をどうするつもりだ? 俺は簡単には殺されてやらねぇぞ……!」

 四肢を拘束具に繋がれた状態の蔵敷が吠えた。

「そ?」唯が目を細めて笑みを浮かべ、呂久村はすぐに嫌な予感を覚え━━━━

 その瞬間、蔵敷の腹部に唯が本気の膝蹴りをかました。

「おいよせ、荒屋敷!」遅れて叫んだ呂久村が白目を向いて倒れる蔵敷を咄嗟に抱えた。

「えーだって、臆病な犬はよく吠えるって本当なんだと思って。最初の躾は大事でしょ?」

「躾じゃねぇ。ただの暴力だろコレは」眉間を押さえた呂久村がやれやれと項垂れる。唯はまるで気にした様子も見せず、気絶した蔵敷の前にしゃがみ込むと、今度はその頬に平手打ちをした。

「寝てる場合じゃないよ〜起きて〜」

 パンパンパン、と短い間隔で何度も平手打ちをかますのを呂久村はため息だけで黙認していた。そうして、飛び起きるように目を覚ました蔵敷は唯の顔を見るなり強い警戒の色を表情に表していた。

「イカれ女……! いつかぶっ殺してやるからな……!」

「活きがいいねぇ。呂久村、約束通りこの野良犬は私が貰うからね」

「……どうせ今更何言っても聞かねぇだろ。まぁソイツがモノになれば俺も晴れて退職出来る訳だし文句はねぇよ」

「と言う訳だ。よろしくね、野良犬くん」

 唯が邪悪な笑みを浮かべ、蔵敷は舌打ちで答える。


 翌日、二人は最初の事件に遭遇する事となる。 


 被害者は変わり果てた姿の呂久村真だった。

 

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ホワイト・ペーパー ガリアンデル @galliandel

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