ホワイト・ペーパー
ガリアンデル
#0 新都市
拡張に次ぐ拡張によって入り組んだ路地裏は、まるで都市という生物の血管の様に思える。上司から貰った手書きの地図を頼りに、俺は田舎者の如くきょろきょろと首を振り回して路地裏を歩いていた。
「この先の二つ目の路地に入って、突き当りを右に曲がる。更に一つ目の路地を進んだら左に二回曲がって、右斜め前方の路地を突き当りまで進む━━━━ここか」
軽く首を持ち上げると、そこにはかなり年季の入った雑居ビルがあった。しかし、雑居とは名ばかりでそこに入っているのはたった一つのテナントだけだ。
埃を被った看板の文字を読んで、俺は確かに目的地に着いたのだと確信した。
『アラヤ探偵事務所』
そこら中を高層ビルという名の壁に囲まれた路地裏の中にこんな建物があるなんて思いもしなかった。というよりこんな場所で商売が成り立つのか? 疑問はあるがとりあえずビルへと足を踏み入れる事にした。
内部は中々の荒廃具合で、かつてあった店や事務所の名前が刻まれたプレートも掠れて読めなくなっている。そこから得られる情報はこの建物が四階建てであり、目的の場所が四階にある事くらいだ。しかもエレベーターは無く、階段で上がるしかない。
四階に着くと、直ぐ目の前にアラヤ探偵事務所の表札を見つけ、俺はインターホンを押した。
「呂久村さんからの紹介で来ました。蔵敷です」
『…………』
しばらく待ってみたがインターホンからの返答は無い。もしかすると、これだけ年季の入った建物だしインターホンの故障も考えられる。俺は強めにドアをノックしてみる事にした。
どんどんどん、と三度ドアを叩き、すいませんと呼びかける。それでも返答は無い。
「いないのか? いや、でもな……」
俺は呂久村さんから言われていた事を思い出す。
『ヤツは滅多な事では家を出ない。それこそ命の危機だろうとな』
そう言われていたのを思い出し、更に『返事がなければ勝手に入れ』とも言われていたのを思い出した。
女性の家に勝手に入り込むのは気が引けるが、ここは仕方ない。俺は意を決してドアを開いた。
「うっ!?」
ドアが開かれるのと同時に、とてつもない異臭が外へと流れ出してきた。眼前にはゴミの山が築かれており、様々な汚物の臭いが混ざりあった形容し難い臭いを発していた。俺の脳裏に呂久村さんの言葉と嫌な想像が思い浮かぶ。
「まさか、死んでないよな!?」
玄関のゴミ山を掻き分けて、恐らくはリビングであろう広い空間に向かっていく。その時、近くでカサカサという音がした。
「そこに誰かいるんですか!?」
音のした方向を向くと、目の前にあの黒い肢体の昆虫が這っていた。
「うおっ!?」
足場の悪い場所で驚いたせいで、バランスを崩しその場に尻もちをついてしまった。だが、手をついた場所に変な感触があった。
「な、なんだコレ……」
ぐにゅっとした柔らかい感触だが、ほのかに熱を持っておりそれが気色悪い。何度か触って俺は咄嗟に手を引いた。
「生ゴミかよ……!?」
「それは私の胸だよ。女性の胸を揉んでおいて生ゴミとは、失礼なヤツだな」
「うわぁっ!?」
俺が悲鳴を上げた瞬間、手を置いていた場所がどん、と盛り上がってそこに一人の女性が現れた。薄汚い白衣に、黒のタートルネック、くすんだ白い長い髪と間違いなく不健康な白い肌、そしてこちらを不満げに見下ろす赤い瞳。
俺が呂久村さんから聞いていた情報と全く同じの人物がそこにいた。
「あの、貴女が伝説の請負人〈
「んん? あー……そうだよ。私がその伝説そのものさ。そういう君は?」
若干とぼけた調子で荒屋敷さんは俺へと視線を向けた。
「改めまして、警視庁異聞録管理二課の〈蔵敷 宗悟〉と申します」
名乗りながら俺は胸元から警察手帳を取り出して荒屋敷さんの前に提示してみせた。すると荒屋敷さんは俺の警察手帳をまじまじと眺め出した。
「ふんふん、なるほど」
「あの、なにか?」
「いや不法侵入してきた男に胸を揉まれたって通報しようと思ってね」へらへらと笑いながら荒屋敷さんがスマホを取り出すのを見て俺は焦った。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!? アレは事故であって、と言うかあんなところに人がいるなんて思うわけないじゃないですか!?」
「冗談だよ」
そう言いながら唐突に荒屋敷さんの表情は一切の感情がない真顔に変わり冷めた視線を返してきた。俺は何か気に障る様な事をしてしまったのだろうか、と不安が過るも本来の目的を思い出し頭を振るった。
「すいません荒屋敷さん、俺がここに来たのはあるお願いがあっての事なんです」
◇
異聞録番号・八八号
発生は都市第二十八区の路地裏、特段変哲の無い場所で異常な死体が複数発見される。死体は酷く損壊している状態であり、身元の判別は不可能。〈猟犬〉による痕跡の発見も成立しない為、立件されずにこの件の担当は以後二課が担当とする。
「というような事があり、呂久村さんが荒屋敷さんを呼べと俺を遣わせた次第です」
「ふーん」俺の話など興味無いと、荒屋敷さんは事件の資料をペラペラと捲り読み終えるとソレを俺に向かって放り投げた。
「あの、何か分かりましたか?」
「いや何も。それにこんなの都市じゃよくある事じゃない? 警察が出張るほどなのかな?」
「それが、資料には記載されていないのですが、二つほど厄介な事情がありまして……」
「それは分かるよ。猟犬が機能しなかったのは同じ警察官の痕跡には反応しない様になっているせいだろう? 大方、警察官が主犯だから警察は公に出来ない訳だ」
「凄い……! そこまで分かっていたんですね!」
やはり伝説の名は伊達じゃないのだと俺は思い知った。この人ならば犯人が誰なのかも既に推察出来ているのでは、俺は期待して荒屋敷さんに視線を向けた。
「二つ目も当ててみろって顔だね」荒屋敷さんが乾いた笑いを発して頭を搔いた。
「まぁいいよ。それが望みなら当ててあげるよ、簡単な事じゃないか」
俺はこの人が何を言うのか期待に胸を膨らませる。早く、早く答えを言って欲しい。俺ははやる鼓動を抑え、荒屋敷さんをじっと見つめた。
「死体は全部フェイク。一つの殺人の為に、何人もの人を殺して混ぜ合わしたんだ。猟犬が反応しなかったのは死体の中に警察官が混ざっていたから、そしてその死体はきっと━━」
荒屋敷さんの赤い瞳がスッと真っすぐに俺を見た。ああ、本当に凄い。全部、全部、正解だ。この人にハナマルを百個プレゼントしたいほどだ。だけどその前に、俺は頭の中の呂久村さんに感謝を延べた。ありがとう、あなたの脳の中の記憶のお陰で俺はこの人と出会う事が出来ました。だから今度は頭の中で二人を出会わせて上げようと思います。
「荒屋敷さん、正解です。さすがです。素晴らしい貴女には俺の頭の中に住む権利がありますよ!」
俺は服の内側からモーター付きの金属製スポイトと金槌を取り出してみせ、荒屋敷さんに向けた。スポイトの先端は釘のように尖っており相手の頭に先端を刺し、スポイトの尻を金槌で打ち付けて頭蓋を貫通させる。はやく荒屋敷さんを俺の頭の中に住まわせたくてもう我慢出来そうにない。
「呂久村、こんなヤツに殺されるとか……運のないヤツ」
「貴女もすぐその仲間になれますよ!」
俺が前へと踏み出し、スポイトを振り上げた。荒屋敷さんは俺の持つスポイトに注視しているだけで逃げようともしない。ああ、そうか、この人は俺を受け入れてくれたんだ。俺は愛情を以て、スポイトを荒屋敷さんの頭蓋へと振り下ろそうとした。
「?」振り下ろしたはずの腕の感覚が無い。あの頭蓋に刺さった瞬間の固い感触と手の痺れが無い。どころか、視界に俺の腕が、無い。俺は振り下ろせなかったのか? 違う。腕が、無い。どこに行った? 俺の腕は、どこに行った!?
「何が起きたのか分からないってツラだね。生憎、これから死ぬ人間にダラダラ説明するほど私は間抜けじゃないから━━さようなら、どこにでもいる狂人Aさん」
荒屋敷さんがそう告げた瞬間、俺の四肢が一瞬でバラバラになったのだと理解した。
最後に、眼の前の荒屋敷さんの目が赤く輝くのを見た。真っ暗になっていく視界の中で、その赤い光だけが俺の脳を熱く焦がしていた。
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