下水道のロートス

 桜はキレイだ。

 桜はロマンチック。

 この国の人生ドラマは、いつの時代も桜の下で起こることが多い。

 しかし――


 桜が終わる頃、ぼくたちの小学校は悲惨だ。


 多くの人々は、桜の美しさしか語らない。

 だけどこの鶯岬小学校の生徒たちは、みんな知っている。


 桜の花びらが美しく舞い散ったあと、その後始末は――想像以上に過酷だった。


 桜のピンク色が美しいのは、一瞬の出来事。

 散ったあとの掃除は、まさに重労働としか言えない。


「なぁ。これ、一体いつ終わるんだ?」


 掃除時間、をかかえた鈴木が、ぼくの隣で言った。

 彼の箕には、雨に濡れた山盛りの桜の花びらが載せられている。


 箕というのは、竹ひごで編まれた大きなザルのような物だ。

 この時期、ぼくたちの学校では、桜の掃除に使用される。


「花びらが無くなるまでじゃないの?」


「……」


「頑張ろうよ、鈴木」


「もうウンザリだ! いいかげん、業者呼べよ! 時代は令和だぞ!」


 鈴木に肩をすくめ、ぼくは花びらが載った箕を運んでいく。

 これ、一体何往復目だ?

 ぶっちゃけ、この労働、マジでバイト代が欲しい……。


       〇


 帰り道、ぼくと石輪さんは、疲れきっていた。

 さすがにこれは、小学生にやらせる掃除じゃない。

 レベルが違う。

 ぼくたちは、商店街のベンチにどっかりと座る。


「ねぇ、石輪さん。あれって、子どもがやる仕事じゃないよね? キツすぎるよ……」


「私は初めてだったから、まぁ、楽しかったけど?」


「みんな、やけに桜を喜ぶけどさ――ぼくたちみたいに掃除する人にとっては、めちゃくちゃブルーだよ」


「でも桜って、キレイじゃない?」


「いや、もう、そんな気持ちはないね。桜はキツい。それだけ」


「そっか」


「特に今日みたいに花びらが雨に濡れてたら、ずっしりと重い。最悪だ。おまけになんか、薄汚いし」


「じゃあ、キレイな桜でも見に行こっか?」


「わざわざ? いや、メンドいよ。それにキレイな桜なら、こないだサクラ町で見たじゃない」


「サクラ町に咲いてた桜は、フツーの桜でしょ?」


「ん? フツーじゃない桜って、どんなの?」


 ぼくの言葉に、石輪さんがベンチから立ち上がる。

 右の人差し指を地面に向けた。


「ここ」


「ここ……」


 ここって、その、地面の下?

 地下ってこと?


 いや、石輪さん。

 きみは金星人だからよくわかってないんだろうけど、桜って地上に咲くものだよ?


       〇


 石輪さんの家に到着すると、彼女がクローゼットの中から謎のグッズを取り出す。


 ライト付きのヘルメット。

 黒いゴム長靴。

 キメが細かそうなマスクと分厚い手袋。

 懐中電灯。


「あの、石輪さん」


「何?」


「もしかしてアレかな? ぼくたち、これから鉱山にでも入るのかな?」


「違うよ。キレイな桜を見に行くんだ」


「で、この重装備?」


「必要なことだよ」


 石輪さんがリュックを取り、グッズを全部中に詰め込む。

 すぐにフトゥロの階段を下りはじめた。

 ぼくは当然、それに続く。


「一体どこに行くの?」


「さっき言ったでしょ? 地下」


「いや、あのね、石輪さん。桜って、地上に咲く花なんだ。だから地下に行っても――」


「桜はそうでしょうね」


「そうでしょうねって……じゃあ、地下に何を見に行くの?」


はす


「蓮……」


 石輪さんは、タンタンと歩を進めていく。

 ぼくはさらに続けた。


「あの、なんで、蓮?」


「キレイな桜を見たい。だったら蓮だよ」


「だったら、蓮……」


「大丈夫。今からとびっきりキレイな桜を見せてあげる」


「は、はぁ」


「しかもね、太郎」


 石輪さんが、立ち止まる。

 ぼくに向かって、静かにほほ笑んだ。


「私が今から見せる桜は、掃除する必要がないんだ」


 掃除する必要がない、とびっきりキレイな桜。

 なのに、今から探しに行くのは、蓮。


 あの、石輪さん。

 それって一体、どういうことなんでしょう?


       〇


 そのマンホールは、フトゥロから数百メートル離れた地面にぽつんと置かれていた。

 フツーの、丸いフタ。

 フタの表面には、この鶯岬町のシンボルであるウグイスの絵が描かれている。


「まさかとは思うけど……この中に入るって言うんじゃないだろうね?」


「さすが、太郎。今日も冴えてる」


「いや、怒られるでしょ。フツーに」


「見つかんなきゃ、大丈夫だよ」


「見つかったらどうすんの?」


「買い取って、私有地にする。金星人パワー♪」


「……」


 ぼくたちは、その場でゴム長靴に履き替え、準備をする。

 石輪さんが、持ってきた金属棒をマンホールに差し込み、手慣れた感じでフタを開けた。


「すごく、慣れてますね……」


「まぁ、たまに来るから」


「たまに、来るんだ……」


「ねぇ、太郎はなんでマンホールのフタが丸いか、知ってる?」


「いや、考えたこともない」


「四角いとね、角度によってはフタが下に落ちちゃうんだ。だから丸くしてある」


「へ、へぇ……」


「じゃ、降りよ♪」


 石輪さんが、ハシゴの階段を降りていく。

 下水道なので、それなりに覚悟をしていたが、あまり臭いはしなかった。

 石輪さんに続いて、ぼくも下水道内に到着する。


 中は、わりとフツーの道だ。

 下水道と言うより、単なる地下道みたいな感じ。


「なんか思ってた感じと違うなぁ」


「意外?」


 石輪さんがヘルメットのライトを点け、手持ちの懐中電灯を灯す。

 ぼくも、同じようにそうした。


 周囲を照らす。


 下水道の足もと以外の場所には、赤茶色のレンガが埋め込まれている。

 なんだかレトロな感じだ。

 ものすごい、手作り感。


「この下水道はね、明治の時代に作られたんだ。ヨーロッパ式。使われなくなって、もう百年くらいになるのかな?」


「下水道って言うか、地下道だよね」


「まぁ、地域によって、このヨーロッパ式もこの国にはまだ一部残ってるみたいだけどね。ここはもう完全に閉じられてる」


「まさか鶯岬町にこんな下水道があるなんて……」


「行こう。この先に、蓮がある」


「蓮って――桜を見せてくれるんじゃなかったの?」


「まぁまぁ。ついてきたらわかるよ」


 暗闇を懐中電灯で照らしながら、石輪さんが前に進む。

 歩き続けていくと、そこはなんだか、もはや現実じゃないような空間だった。


 まるで海外児童文学に出てくる、本の中の闇。

 どこにたどり着くのかわからないので、めちゃくちゃ不安になってくる。


 下水道の奥に進むと、石輪さんがどうしてゴム長靴を履いてきたのか、その理由がわかった。

 水が、まだ残っている。


 ひょっとしたら、これはこの山の河川から流れてくる水なのだろうか?

 あるいは、山の地面に染み込んだ水がどこかから漏れている。

 水の流れはゆるやかで、高さは数センチのレベルだ。


「なんだか、チビッコが秘密基地にしそうな場所だね」


「ダメだよ。こういうトコにチビッコが入ったら、マジで死ぬ。迷子&行方不明。特にこのあたりは複雑に入り組んでる」


「だったら、ぼくたちも今ここにいちゃいけないんじゃない?」


「太郎は今、誰といっしょにここにいるのかな?」


「金星人」


「いや~ん! 太郎! なんか怖~い!」


 石輪さんが、実にわざとらしくぼくにしがみついてくる。

 それにため息をつき、ぼくはやれやれと続けた。


「あの、たった今まで、フツーに一人で歩いてましたよね? しかも先頭」


「いいじゃん、べつに。私だって、たまにはフツーに、か弱く彼氏にしがみつきたいんだ」


「で、どこまで行くの?」


「もうすぐだよ。ほら、見えてきた」


 石輪さんが、懐中電灯の明かりを消す。

 同時に、ヘルメットのライトも切った。


「ほら、見て」


 石輪さんが指差した方向を見ると、なんだかぼんやりとした光が見える。

 それはピンク色をしていて、まるで淡い電球のように、その周辺をほの明るく浮かび上がらせていた。


「あれは……」


「蓮だ」


 石輪さんがぼくの手を取り、さらに進む。

 ぼくは、その光の前に導かれた。


 な、何だ、これ……。


 下水道内部の、少しだけ開かれた空間。

 そこには小さな池のような、水のたまりが出来ていた。

 その水面に、直径50センチ程度の大きな花が、一つだけ開いている。


 これは、たしかに――蓮だ。


       〇


「蓮は、仏教では極楽浄土に咲く花とされている。だから日本人には『死の世界』を連想させてしまうんだ」


「……」


「だけどギリシャ神話では違う」


「違うの?」


「ギリシャ神話において、蓮はロートス。つまり、その実を食べると、この世の苦しみを忘れ、楽しい夢が見れるという植物になる」


「この世の苦しみを忘れ、楽しい夢が見れる……」


「ねぇ、太郎。今日は、桜の掃除とか、この世界のめんどくさいことを忘れて……少しだけいっしょに桜の夢を見よ♪」


 そう言って、石輪さんが、下水道の水に浸っていない部分に腰を下ろす。

 ぼくに、両手を広げた。

 彼女に吸い込まれるようにして、ぼくはその腕の中に入っていく。


 石輪さんがぼくを抱きしめ、静かに目を閉じた。

 ぼくも、彼女と同じように目を閉じてみる。


 すると――ぼくの目の前に、信じられない光景が広がった。


 場所はどこかわからない。

 だけどぼくの目の前に、たくさんの桜の花びらが舞っていた。


 それは本当に桜吹雪で、いつまでも終わらないようにぼくの前を流れ続ける。

 その向こうに、とても美しい着物姿の女の人が見えた。


 目をこらし、その人に焦点を合わせる。

 その女性は――石輪さんだった。


 着物を着た石輪さんが、ゆっくりとこちらに歩いてきて、ぼくを抱きしめてくれる。

 とてもあたたかい、とてもやさしい、何かすべてを許されたような心地良さが、ぼくの胸に広がっていく。


 幸せだ。

 ぼくはとても幸せだ。

 それまでにあまり感じたことのない感覚に包まれていると、石輪さんがぼくの耳もとで小さくささやく。


『何があっても、あなたは大丈夫だよ』


 そう告げると、着物姿の石輪さんがぼくから離れていく。

 ぼくは彼女に手を伸ばしたが、彼女は桜吹雪の向こうに、ゆっくりと姿を消していった。


 ぼくはしかし、なんだか満ち足りた気持ちでそれを見送る。

 着物姿の石輪さんが、花びらの吹雪の向こうでぼくに手を振っているのが見えた。


 やがてぼくの視界は乱舞する桜の花びらに埋めつくされ、彼女の姿が見えなくなる。

 ぼくはその時、桜の花びらの本当の美しさを知った。


 桜の花びらが美しいのではない。

 桜の花びらは、美しいものをさらに美しく引き立ててくれるのだ。


       〇


「どんな桜が見えた?」


 下水道を戻りながら、石輪さんが言った。

 ぼくはなんだかまだ夢心地で、ハッキリしない頭で答える。


「あのね、石輪さんに会ったよ」


「私に? 夢の中で?」


「うん。なんかね、桜吹雪の向こうに、石輪さんが立ってた。なんでかわかんないけど、着物を着てた」


「へぇ。何だろ、それ? 着物が太郎の萌えポインツなのかな?」


「いや、そんなことは……」


 ぼくたちは、マンホールから地上に戻る。

 ゴム長靴からフツーの靴に履き替え、フトゥロに向かって歩きはじめた。


「あのロートスの花って、いつからあそこにあるんだろうか?」


「さぁ、いつからだろう? 私が地球に来た時には、すでにあそこにあったけど」


「その実を食べると、この世の苦しみを忘れ、楽しい夢が見れる花か……でも、ぼくたち、花の実は食べてないよね?」


「日本の蓮は花粉を吸い込むだけで夢が見れるんだ。他国のより便利」


「そっか」


「ねぇ、太郎。こう考えたら、面白くない?」


 石輪さんが立ち止まり、風に吹かれながら目を細める。

 彼女の視線の先には、この山から見下ろせるぼくたちの町・鶯岬町が広がっていた。


「この町に住んでいる人たちは、みんなあのロートスから飛散した花粉を吸い込んでる。そしてこの世の苦しみを忘れ、楽しい夢を見続けている」


「……」


「誰かのことを好きになる。誰かといっしょにいると楽しい。それってひょっとしたら、あのロートスが見せてる、ただの幸せな夢なのかもね」


「じゃあ……今、ぼくといっしょにいる金星人の彼女も、ぼくが見てる夢なのかな?」


 ぼくが言うと、石輪さんが肩をすくめ、ぼくの手を握りしめた。


「私はここにいるよ。太郎もここにいる。もしこの現実がロートスが見せてる夢なら、夢の中で夢を見ようよ。とても幸せで、とても楽しい夢を」


「夢の中で夢を見る、か。なんだかこんがらがっちゃうね」


「ねぇ、太郎」


「ん?」


「これ、とてもとても幸せな夢だね」


 そう言って、石輪さんがぼくの腕にしがみついてくる。

 ぼくは、そんな彼女にほほ笑みを向けた。

 たぶんこの調子だと、今日は石輪さんちに泊まることになる。


 ぼくたちは夕食を作り、食べ、ゲームでもして、お風呂に入り、眠りにつく。

 そして夢を見る。


 ぼくたちが暮らすこの現実という夢の中――夢の中で、夢を見る。

 夢の夢を見続ける。

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病み闇ファンタスマゴリー 貴船弘海 @Hiromi_Kibune

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