第8話

 あの夜の捕り物から十日ほど。


「うーん」


リリアナは読んでいた本を閉じて、居間のソファで大きく伸びをした。


 あれから王太子には会っていない。


「あれだけ大きな事件だもの。事後処理が大変なんでしょうね」


それとももう女除けは必要ないのかしら…。ソファに身を投げ出して、ガーディを撫でながらため息を漏らす。


「なんか胸が痛い…」


どうしてなのかはあまり考えたくなくて、ガーディのフサフサの頭に鼻を埋めた。


「お日さまの匂いがする…」

「失礼します、お嬢様…お行儀が悪うございますよ」


家令のネイルが本日の郵便物を手にして入って来た。


「はーい、ごめんなさい。ねえ、私にも手紙が来てる?」

「はい、二通ほど来ておりますよ」


こちらです、と差し出すネイル。


「ありがとう!…マルカからと、こちらはセイルズ卿から…ね」


今日も王家の封蝋付きの手紙は来ていなかった。しょんぼりするリリアナに、ネイルがにっこりとして声をかけた。


「本日は大切なお客様がいらっしゃると伺っております」

「…お客様?どなた…」

「失礼するよ、こんにちは、リリー」

「…殿下!」


戸口には麗しい顔の男性が立っていた。


「お茶の用意をしてまいります」


微笑みを湛えたままネイルが下がる。


「殿下…少しお痩せになりました?」

「ああ、そうかな。ちょっと忙しかったから…リリー、他人行儀な呼び方に戻ってしまったね。会いに来なかったから気を悪くしたのかい?」

「え、いえ、そんなことは…でもお会いしたかったです…マリオン」

「私もだ」


王太子はそう言うとリリアナのつむじに口付けた。


「ふふ、いい匂いだ。お日さまのような…」


それ、さっきガーディに言ったセリフだわ、リリアナは思わず笑ってしまう。


「何?」

「いえ、嬉しくて…それで、あの後どうなったのですか?」

「ああ、あれからイミモケン人は一斉に本来の姿に戻ってしまってね」


 ドートレル家の子供たち、イノアック公子の婚約者、そしてあのエイミン嬢も。エイミンにいたってはガイアスと同衾していたそうで、テイラー家には早朝からガイアスの絶叫が響き渡ったとか。


「彼女ら…でいいのかな、は女王ほどではないが皆か弱くて捕獲は容易だったが、尋問はなかなかはかどらなくてね」

「口をつぐんでいるのですか?」

「いや、彼女らの言っていることが理解できない、というのが大方おおかただ」

「ああ…」

「ただ、やはり彼女らと性的に関係したものは子供を授かる能力を失ったようだ…淑女に聞かせる話ではないが」

「そう…ですか」


 テイラー侯爵家には元婚約者ガイアスしか血縁者がいない。彼に子供が出来なければ侯爵家は消滅する運命にある。


 元婚約者には思うところもあるが、子供の頃から付き合いのある家だ。何とも言えない寂しさを感じた。


「一連の出来事は公式記録には残されないことが決まった。一部の役職者と関係者にしか知らされない…もっとも真相を知らされたところで、すべてを理解できるとも思えないが」

「そうですね」


いたずらに暴露しても民たちは混乱するだけだ。ネコミミ少女たちが姿を消したとしても、所詮は貴族界隈きぞくかいわいでのできごと、民衆にはすぐに忘れ去られるだろう。


「それから、あの地下施設を調べたところ、動力源らしきものが見つかった。ルーベンがたいそう興味を持っていて、君にも意見を聞きたいと言っていたが…」


リリアナは先ほどセイルズ卿から手紙が来ていたことを思い出した。


「無視していいから」

「いいんですか?」


大して役に立たないと思うので、リリアナとしてはありがたいが。


「うん。君は今から忙しくなるからね」

「忙しく?」

「もちろん、私との婚約、結婚の準備だよ」

「あっ…本当に私でよろしいのですか?」

「ああ、逃がさないよ、『救国の乙女』殿?」

(…えっ、これ何て乙女ゲーム?)


                ++++++


 後年、マナデュース王国は劇的な発展を遂げることになる。その先頭に立ったのはマリオナーク王であった。


 王は次々と改革を行った。食糧の増産、国民の生活の向上、都市の整備…彼の偉業は多いが、一番の功績は政治をスリム化したことだろう。


 不正を働く貴族を一掃し、民の声、現場の声がより直接的に届くようにした。記録には残されていないが、王が大規模な粛清を行ったのではないかと考えられている。事実、彼の在位中に、名だたる貴族家がその歴史に幕を下ろすことになった。


 しかしマリオナーク王には別の顔もあった。彼は王妃を深く愛し、信頼していた。決断を迷う時には必ず彼女の意見を求めたそうだ。二人は仲が良く、二男一女に恵まれた。


 王は家族を愛し、犬を慈しんだ。彼と家族の肖像画、そして少し後に発明された写真の中には、必ず犬がいた。


 犬についての造詣も深く、動物学者とも議論が出来るほどだったという。そのため、後に付けられた二つ名は「マリオナーク犬学者王ザ・サイノロジスト」であった。だが彼がそれを知ったとて、気分を害することはないだろう。彼はそれほど犬を愛していた。


 王立公園のそばには、犬を従えたマリオナーク王の像が、街を見守るように立っている。そこは今や観光客にとっては王国を代表する名所であり、市民にとっては有名な待ち合わせ場所として親しまれているのである。

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ねこのみみ 五天ルーシー @lucy3mai

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