エピローグ
ぺらり、ぺらりと本をめくる音が静謐な図書館内に響いていた。誉が首を傾けるたびに、ふんわりとした黒髪が揺れる。目が疲れ数度まばたきを繰り返す。窓の外と同じ紫の瞳が潤った。
きゃっきゃと姦しい女性の声がした。そちらを一瞥すると、学校帰りだろうか、制服に身を包んだ高校生らしき少女が二人、近くのテーブルにやってきた。テーブルの上にずしりと重そうなリュックを置く。
少女が館内を動き回る音と、誉が読書をする音、そして彼女たちが小声で話す音が館内に木霊する。
ふと、少女たちがなにかに気づいたように押し黙った。ややしてきゃあっと黄色い声を上げる。
「ねえ、あの子可愛くない?」
「え、あの黒髪の子? 可愛いっていうか、綺麗系じゃない? あんな子いたんだ」
「ねえねえ、ちょっと話しかけてみようよ」
「えー、邪魔しちゃ悪いよ」
少女たちの声をBGMに本を読み終わった。すくっと立ち上がった誉は、本を棚に戻そうと歩き出す。そのとき、なにやらこちらを見ていた少女たちと目が合った。愛想笑いをしながら小さく会釈をすると、「きゃあ」と彼女たちは目を輝かせはしゃいだ。その反応の意味がわからず思わず首を捻った。
本を戻すとそのまま図書館を出た。今日は五時半からバイトだからだ。
誉のバイト先はとまり木だ。認定を取ってすぐのころに、久我に誘われたのだった。
きっかけは彼に今後の進路を相談したことだった。誉は最弱レベルのアンチ・ホルダーとして登録されているため、財団での仕事はめったにない。仕事がないときにどう過ごそうか、高校に通うべきかを悩んでいた誉に、久我が言った。
――とりあえず財団での仕事がないときはうちでバイトしてみない?
バイト内容といえば、メインは接客だ。そしてギフト・ホルダー相手のヒーリング。
いますぐ答えを出さなくてもいいから、考えてみてよと言われ、誉はその場でお願いしますと言った。提案してくれた久我と、温かく迎え入れてくれた司には感謝しかない。
接客業はもちろんはじめてで、他人と関わることも少ないからかはじめは苦戦したがとてもやりがいがあった。ほとんど顔見知りのため変なクレーマーがいないことも働きやすい要因だ。司も久我も、お客さんたちもみんな優しくて、誉は毎日が充実している。
開店準備を終え、客が来店するのを待ちながら、カウンターの脇に置いた小さな箱を見つめる。今日はバレンタイン、杜和の誕生日だ。この箱は誉が用意した杜和への誕生日プレゼントだった。明日はバイトが休みで、杜和は午後は休みのようなので一緒に出かける約束をしている。
六時半ごろに杜和が来店した。いつものようにカウンター席につく。
「杜和さん、お疲れさまです」
「ん、誉もお疲れさま」
杜和もここのところ忙しく働いている。詳細は教えられないが、なにやら怪しい動きをしている裏の組織があるらしい。身辺には十分に気をつけるように何度も忠告された。
「ふふ」
「ん? どうした」
「いえ、なんでもないです」
生き生きとしている杜和を見ると誉まで嬉しくなってしまう。
(力が使えるようになって、ほんとによかった)
妙に晴れ晴れとした心地が続いている。まるで無理やり抑えていたものがようやく解き放たれたような、不思議な感覚がつきまとう。もしかしたらアンチ・ホルダーが能力を使えるようになったときに起こる特有の感覚なのかもしれない。いずれはそんな感覚も薄らいでいくだろう。
「あ、杜和さん、これ。誕生日おめでとうございます」
用意していたプレゼントを杜和の前に置く。中身はバレンタインらしくチョコレートだ。季央につき合ってもらって買いに行ったのだった。誉にはいまだにひとりでの外出許可が出ていなかった。もちろん不満などない。むしろ杜和たちに大事にされているのがわかっているので嬉しかった。
「お、ありがとな」
「はい、僕からもプレゼントのケーキ。おめでとう、杜和くん」
「クマさんもありがとうございます」
そのあとしばらくすると涼二や季央もやってきた。めいめい杜和の誕生日を祝い、プレゼントを渡している。季央もチョコレートだというのは誉だけが知っていた。
わいわい、がやがや。にぎやかな、いつもの光景だ。楽しくて眺めていたら「誉」と杜和に声をかけられた。
「悪いんだけど、このあとヒーリングしてもらっていいか? 今日は軽くでいいんだけど」
誉の仕事のひとつであるヒーリングを受けられる相手は誉の力を知っている者に限られる。当然杜和は対象者なので、誉は「はい! もちろんです」とにこにこして言った。
「ん、いつもありがとな」
「……」
誉は一瞬だけ固まると、ふにゃりと顔をほころばせた。そうして噛みしめるようにして口を開く。
「ありがとうは、俺のセリフです。いつも……ずっと、ありがとう、ございます」
あなたのおかげで俺はいまここにいる。夜空に星がまたたいているかのような瞳が、ぱちくりとまばたきをする。
きっと杜和はあの日のことなど覚えてはいないだろう。彼にとっては誉など大勢助けた内のひとりだろうから。けれどそれでいいのだ。
だって誉は忘れない。あの美しい目を、あの夜の輝きを、あの日伸ばされた手を。
誉は一生忘れないのだから。
とある異能力者の溺愛 花房いちろ @hanabusa16
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