第24話
パン、と頬を張られた。小さな身体が吹き飛ばされる。
ぼさぼさの黒髪にやせ細った枯れ枝のような手足。誉の小さいころの姿だ。
「おぞましい悪魔が、あの子に近づくんじゃないわよ!」
ヒステリックな声を上げたのは母だ。口裂け女のような大きな口で誉を罵倒する。誉は「ごめんなさい」と身を小さくして暴力をやり過ごすしかなかった。
「またあの子のことを普通の人間に戻して! いい加減にしなさい! あの子はね、あんたみたいな悪魔がそばにいちゃいけない神の子なのよ!」
「ごめ、なさい。ごめんなさい、ごめんなさっぃ」
腹を蹴られてフローリングを転がる。止まったところで頭を踏みつけられた。頭上から父の低い声が降ってくる。
「本当ならいますぐ殺してやりたいが、優しいあの子はおまえみたいな悪魔でも弟だからと大事にしてるからなあ。感謝して力を使わないってことが、どうしてできないのかなあ」
「ごめ、なさ、ごめん、なさぃ」
ぐりぐりと足に力を込められる。ぽろぽろと涙がこぼれた。「泣きたいのは、あんたみたいな悪魔を育てなきゃいけないこっちよ!」と母が金切り声を上げて誉の小さな身体を踏みつける。
泣いてはいけない。泣くのは我慢しろ。奥歯を噛みながら、誉はどうしたらいいのか考える。どうしたら嫌われないんだろう? どうしたら両親の言うように兄のためになるんだろう?
誉は悪魔である自分に対してもいつだって優しい兄が誰よりも大好きだった。
(こんなちからがあるからだめなのかな。おとうさんもおかあさんもそういってるし。おにいちゃんだって、いつかぼくのことがきらいになるかもしれない。そんなのやだ)
だから、こんな力いらない。強く、強く願ったからか、この日から誉は能力が使えなくなった。そしていつしか使えていたことすら忘れてしまった。
能力を使えなくなった誉を、両親は兄が見ていないところでそれでも毛嫌いした。兄は変わらず優しくて、だから使えないのはいいことなのだと思った。これで兄に嫌われることはないのだと、安堵した。
能力が使えなくなって、使えなくなったことすら忘れて数年。誉が九歳になったころだった。
兄が学校の行事でいないその日に、誉は両親の手で裏社会に売られた。能力が使えない落ちこぼれの誉は二束三文だった。
けれどそれ以上に誉のことを傷つけたのは、両親から聞かされた言葉だ。
「あの子も本当はあんたのこと嫌いだったのよ。知らなかったでしょう」
「あの子は優しいからなあ、おまえのことが邪魔だったが我慢してたんだ」
兄はいつだって誉に優しかった。いや、誉だけでなく両親にも優しかった。本当に優しいひとだったのだ。いやなことをいやだと言えない、ある意味残酷なひと。
ぎゅうぎゅうと兄に抱きしめられた記憶が蘇る。夜はよく一緒に眠ったなあ、と涙が滲んだ。あれも本当はいやだったのかなと思うと申し訳なかった。
両親に対しては恨む気持ちもあるが、不思議と兄に対しては申し訳なさしかなかった。もう誉はいないから、迷惑をかける邪魔者はいないから、幸せになってくれと心底から願った。
そうして売られた先で、絶望しきった誉は、けれど生きる意味を見出す。
檻の中から救出されても闇の中にいた誉をまだ若い男が――杜和が助けてくれたのだ。頭を撫でた彼は、誉が生きていることを、無事であることを喜んでくれた。生きていていいんだと涙が溢れた。杜和は慌てていた。
黒い前髪から覗く、星がまたたいた夜のような瞳が滲む視界の中でもはっきりと見えた。あの日から、誉の一番好きな色は夜のような黒になったのだ。
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