第23話

「声、出してみ。少し力を込めてな」

「はい。……杜和さん、できてますか」


 向かい合ってソファに座る杜和に言われるままに力を使う。外はまさにお散歩日和といった具合に晴れ渡っており、窓から差し込む光が眩しい。雪に反射してきらきらと輝いていた。

 誉の力の込めた声に杜和が「……、おー、ばっちり」と言いながら眠たそうに目を眇める。


「でもちょっと強すぎるから、試験のときはもう少し抑えろ」

「わかりました」


 一月十六日。杜和の誕生日まで一月を切った現在。誉はあっさりとアンチ・ホルダーとしての力が使えるようになった。いま誉が行っているのは、力をできるだけ抑えて能力を使用する訓練だ。制御自体はできるようになったため、もうマスクは卒業している。

 杜和が言うには、誉は流風を凌ぐほどのアンチ・ホルダーらしい。しかしそれを知っているのは杜和を始めとする数人のみ。相談した結果、隠すことになったのだ。

 優斗の襲撃があったあの日、とまり木で久我や司を交えて話し合い、そう決まった。

 ――絶対に利用しようとするひとは出てくるよ。厳重に管理されて、ここにもそうそう来れなくなるだろう。なにより杜和くんたちと気軽に会えなくなる。

 真剣な表情の久我にそう言われてしまえば、従う以外の選択肢はない。みんなに会えなくなるなんて絶対にいやだった。そんなの死んでいるのと同じだ。


「杜和さん、気分は悪くないですか?」


 思考を戻し、杜和に問いかける。杜和は「大丈夫」と笑った。


「むしろすげえいいよ。やっぱ俺とおまえは相性いいのかもな」


 それならよかったと思いつつ、誉はもじもじする。今日は杜和に言わなければならないことがあるのだ。


「あの、杜和さん」

「ん?」

「その……俺、明日認定試験受けるじゃないですか」

「おう。さっきも言ったけど力はギリギリまで抑えること」

「は、はい。それは、わかってます。そうじゃなくて、その……」


 そわそわと落ち着きなく目を泳がせ口の開閉を繰り返す誉を、杜和は静かに待ってくれた。ごくりとつばを飲み込むと拳を握りしめる。そうして誉は意を決して口を開いた。


「その、認定受かったら、杜和さん……俺のヒーリング受けてくれませんか? も、もちろん気分が悪くなったらやめます!」


 杜和は目をまたたかせた。やがてふんわりと蕾が綻んだように柔らかく微笑む。


「俺のときは力抑えなくていいからな」

「それって……」

「場所はバレるとまずいから、とまり木で、な?」

「っ、はい!」


 そんな会話をした翌日、誉はじつにあっさりと、ヒーリング認定試験に合格した。五段階中の評価はDだ。力は下の上と弱いほうだが安定したヒーリングを行うことができ、日々のちょっとした癒やし程度には使える――とのことだった。認定書を受け取り、感動していると職員に「よかったね」と言われつい涙ぐんでしまったのは、杜和たちには内緒だ。

 制御ができると杜和に太鼓判を押されてから、誉はひとりでも外出できるようになった。とはいえ優斗のこともあり、一度もひとりで出かけてはいないのだけれど。杜和たちにも出かけるときは彼らを頼るよう言われている。

 杜和とは夕方の五時に、ロビーで待ち合わせをしていた。気が急いてしまって、三十分も前に到着してしまった。カバンから取り出した認定証を何度も取り出して確認するさまは、端から見てもたいそう浮かれているだろう。

 何度確認したころだろうか、やってきた杜和は「ご機嫌だな」と笑みを浮かべて声をかけてきた。


「杜和さん!」

「ん、その様子だと問題なく受かったみてえだな。おめでと」

「はい! ありがとうございますっ」


 そうして認定証を見せると、彼はまるで自分のことのように喜んでくれた。


「認定取ったの俺じゃねえのに、なんかめちゃくちゃ嬉しいわ」

「俺が認定取れたのは杜和さんのおかげです。ずっとつき合ってくれて、本当にありがとうございました」


 いままでの感謝をこめて深く頭を下げる。杜和は顔を上げた誉のことをひどく優しい顔で見下ろしながらふわふわと頭をなでた。


「おまえが諦めずに頑張ったからだよ。……いま思えば体調がよくなってたのはおまえのおかげかもな。だから俺のほうこそありがとう、だ。おまえの訓練相手になるよう薦めてくれた涼二にも感謝しねえとな」

「ですね。あとでお礼を言いましょう」


 だな、と杜和がうなずいた。

 いつものように歩いてとまり木へと向かう。誉の足裏の怪我がまだ完治していないため、亀の歩みだ。横に並んでいる杜和が折れていないほうの腕を支えてくれるから歩きやすい。杜和は背負うことを提案してくれたのだけれど、申し訳ないし、なによりさすがに恥ずかしいので断った。

 ゆっくりと、支え合って、とまり木へ。薄暗かった夕暮れはあっという間に月明かりの美しい夜の闇に包まれた。

 とまり木に着いたころにはまだ開店前だったが、久我が快く入れてくれた。常連客の特権といたずらめいた微笑みで。

 久我には予め杜和が話を通しておいてくれたので、そのまま奥の部屋へと案内された。司が客をヒーリングするために使っている四畳ほどの小さな和室だ。

 押入れから布団を一組出すと、照明を落とし、布団の足元のほうに置かれた間接照明をつけた。ぷかりと布団の周辺だけが暗闇に浮き上がる。


「杜和さん、準備できたので、ここに寝転がってください」

「おう」


 杜和はどことなく緊張しているように見えた。もしかしたら失敗するかもしれないと思うと誉も緊張するが、頭を振ってうしろ向きの考えは吹き飛ばす。絶対に成功させるということだけを考えた。それでも指先が震えてしまって、それに目ざとく気づいた杜和がくすりと笑う。


「緊張してるか?」

「……う、はい」


 素直にうなずく誉に杜和が「俺も、してる」と同意した。「でも」と続ける。


「同じくらい期待してんだ。絶対大丈夫だって。俺はいままで誉が頑張ってきたのずっと見てきて、誉がどれだけすごいやつか一番知ってるからさ」

「……!」

「だから大丈夫。絶対にできるよ。俺が保証してやる」


 自信満々の笑みで鼓舞されて、奮い立たないやつがいるなら見てみたい。少なくとも誉の震えは完全に止まって、少しずつ落ち着きを取り戻していた。

 寝転んだ杜和の頭元へと膝をつく。彼の逆さから見ても端正な顔を、暗闇で輝いている目を見つめながら「始めます」と言った。


(大丈夫、絶対にできる)


 まずは自分の心を落ち着かせる。すうっと息を深く吸い込んでから、ゆっくりと時間をかけて吐いた。それを数度繰り返すと、「杜和さん」と力を込めた。ぴくっと杜和の指先が動く。


「杜和さん、俺の声だけを聞いてください。俺のことだけを見ていて。だいじょうぶ、とわさん、だいじょうぶですから、ちからをぬいて――」


 ゆっくり、ゆったりと。まるで静かに浜辺を揺らす波のように、決して足を掬い取る激しい波にならないように声をかけ続ける。

 そうしているうちに徐々に杜和の目がとろけていく。またたいた星がじわじわと明滅する。しかしふと我に返ったかのように、その目の奥が揺れる瞬間があった。そうすると誉は一度、言葉を紡ぐのをやめる。焦らないように少しずつ杜和の緊張をほぐしながら声をかけて、彼の意識を深いところへと静めていく。浅瀬から深海へ。


「とわさん、だいじょうぶですからね、ゆっくり、ゆっくり」


 大丈夫。怖くない。寂しくない。大丈夫。

 深海と言っても、そこは誉の暖かな腕の中。誉の声に誘われ、微睡んでいた杜和はついに深い眠りにつく。寝息もかかないほどの熟睡だ。


(よかった、成功した)


 しばらく杜和の様子を観察したあと、ほっと胸を撫で下ろす。彼の眠りを妨げてはいけない。誉は間接照明を消すと、できるだけ音を立てないよう気をつけながら部屋をあとにした。


「お疲れさま。その様子だとうまくいったのかな」

「はい! あ、その、たぶん……」


 部屋から出るなり久我に優しい笑顔で迎えられ、一瞬顔を明るくするもすぐにしおしおと自信を失ってしまう。そんな誉に久我はくすりと微笑み「杜和くんは寝た?」と聞いてきた。


「は、はい」

「ふふ、じゃあ大丈夫だよ。誉くんは自信を持って杜和くんが目を覚ますのを待ってようね」


 ほらこっちに座って、とカウンター席を指される。誉の指定席だ。


「飲み物は紅茶でいいかな? デザートはサービスだから、好きなのを選んで」

「えっ」

「ヒーリング成功のお祝いだよ」


 辞退するよりさきにそう言われてしまえば受け取るしかない。そばに寄ってきた司にも「クマさんの好意を無下にすんじゃねえよ」と言われてしまった。


「あ、あの、じゃあ……これを」

「はい、かしこまりました」


 そうして紅茶とデザートを提供されてから二時間ほど経った、八時を回ったころだ。杜和が部屋から出てきた。

 一時間前に来店した季央とカウンター席で話していた誉は、立ち上がって彼を迎えた。


「その、どうでしたか? 気分とか」


 恐る恐る問う誉の背後から季央が勢いよく顔を出す。杜和の顔をじっと見つめたあと、「めちゃくちゃ顔色いいじゃないっすか!」と騒いだ。杜和が神妙な顔つきでうなずく。


「やべえ、すげえよかったわ。相性のいいやつのヒーリングって気持ちいいんだな。……あの優斗とか言うやつが自分のもんにするって言ってた気持ちがちょっとわかった。ぜってーさせねえけど」

「いいなああ! 俺もしてほしい!」


 季央が誉を自身のほうに向かせる。「ね、ね」とはしゃぎたりない子犬のような上目遣いをした。


「誉くん、俺にも今度ヒーリングして!」

「え、あ、はい。俺でよければ……」


 目を丸くしながら首を縦に振ると「やったー!」と歓声があがる。こんなに喜んでもらえるなんて。嬉しくて、そして成功したことが誇らしくてじわじわと喜びが胸を落ち着かなくさせる。こんなに乱れた心境ではヒーリングなど絶対に成功しない。今度季央にヒーリングをするときはまた落ち着いてやらなくちゃと気を引き締めた。

 席に戻ると杜和はいつもと同じように隣に座った。


「あっ、そこ俺が座ってたのに!」

「うっせー、ここは俺の指定席。おまえは自分のとこ戻れ」


 食器を移動させられ、季央はとぼとぼと杜和からひとつ離れた席に座った。杜和の隣はいまはいない涼二が座る場所として残しているのだろう。律儀だなあと思った。


「クマさん、いつもの」

「はいはい。ちょっと待っててね。誉くんはなにか飲み物いる?」

「はい。じゃあさっきのと同じので」


 先に誉の飲み物を準備すると、久我は厨房へと入っていった。それを横目に見ていると、つんつんと杜和の指がテーブルに置いていたギプスのあいだから覗いた右手の甲をつつく。

 振り向くと穏やかな笑みを浮かべた杜和がいた。こちらを伺うように首をくてんと傾けている。


「ありがとな。ヒーリングしてくれて」

「いえ、杜和さんの調子がよくなったらよかったです」

「めちゃくちゃいいよ。……またしてくれる?」


 甘えるような声音で杜和が言った。頼ってくれるのが嬉しくて、誉は「はい!」と満面の笑みを浮かべたのだった。

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