後編

 満月が煌々と照らす我が家の庭。十字槍を構えたヴァンパイアハンターの女が俺こと狩生日かりおび れんに迫る。


 俺の見た目はどうなっているのかというと、服装は近隣の街で買って来た近世ヨーロッパ風の物。あと犬歯が大きく鋭くなっている。それ以外は生前と何も変わっていない。


 この異世界イバングムンドには犬猫と人間が混じったような者もいればエルフとかドワーフのような存在も居るため、東洋人っぽいというだけの俺のことを奇異の目で見る者は居なかった。


「一つ聞かせてくれ、何で俺のことを吸血鬼だと思った?」

「貴様が辺りに売り払っている、毒々しい赤いハーブ。今まで誰も見たことが無いハーブを売る者が、常に大きなローブで日光を避けるように行動している。それだけ分かればヴァンパイアハンターでなくとも気付くさ」



 この世界には、シソが無かった。

 あるいはずっと東に行って中国っぽいところまで探せばあるのかもしれないが、俺が生まれ変わったこの地域には無い。


 服やロウソクや、森で採れない食材である塩や穀物。

 そう言ったものを手に入れるために俺は我が眷属たる赤ジソおよび青ジソを栽培して近隣に売り歩いていた。



 始祖吸血鬼ならぬシソ吸血鬼が何なのかと言えば、それはシソができる事なら大体何でもできる吸血鬼らしい。

 シソができる事ってなんだよ、と最初は思ったが時間をかけて自分にできることを一つ一つ確認して、現在の俺がある。


 シソなら当然シソの種を作り出すことは可能なのだ。具体的にいうと、デリケートな部分からニキビのように生える。種だけに。



「もう一つ聞きたい。さっき俺のことを吸血鬼って呼んだよな?」

「それがなんだ」

「吸血鬼って語彙があるのに、なんでヴァンパイアハンターって言葉もあるんだ? 実はどっちの単語も今日初めて聞いたんだ」

「あぁ?」

「……嫌なら、別に答えなくてもいいけどさ」





 この世界に俺が転生して最初の日。

 小さな屋敷の地下室。棺の中で目を覚ます直前。夢のお告げのようにしてサクthスの言葉を聞いた。


<無事にシソ吸血鬼への転生が完了しました。われわれ【超普遍的複合思考主体】はあなたの人格を保護するためにこれ以上の干渉は行いません。


 この世界の言語はあなたの知るどの言葉とも違う独自の物ですが、聞けばまるで過去を思い出すかのように意味がわかるはずです。そのようにあなたの大脳言語野に当たる部分をいじっておきました。

 それ以外の干渉は行っていません。それでは頑張って、いい異世界ライフを。


 ああ、それと、自分でシソ吸血鬼になりたいと言っておきながらシソに関する知識をあまり持っていなかったようなので、それも脳に刻んでおきました。

 それ以外の干渉はしていません。以上です>


 そうして俺は、真正双子葉類シソ目シソ科シソ属のエキスパート識者になっている自覚と共に自分の失敗を理解したのだ。


 俺はワクワクドキドキの異世界冒険ライフを放棄。与えられた誰も住んでいない屋敷に引きこもり、1年半森とその周辺で過ごして今に至る。


 そもそもシソが存在しなかった世界なので、俺が街に売りに行っている赤ジソや青ジソのことを客たちは「シソ」と呼んでいる。

 だが「始祖」にあたる言葉は当然まるで発音が違う。

 もしこの異世界イバングムンド出身の吸血鬼仲間に出会っても「いやー、始祖とシソを聞き間違えたバカのせいでこんなことになっちゃったんですよ」という身の上話が出来ないのだ。

 しても、「え、何? どういうこと?」と言われてしまうだろう。




 そんなわけで、赤毛の吸血鬼狩人ヴァンパイアハンターに命を狙われて現在。

 赤毛が何か語っている。


「私の両親は貴様ら吸血鬼に襲われ、下僕とされて連れて行かれた。殺されているならまだマシだ、今もどこかで貴様らのエサにされているのかもしれない!」

「うわ、ちゃんと重い……」

「そうして私は師の元でヴァンパイアハンターとして修業を積み、修業の締めくくりとして獲物を探索、貴様を突き止めたのだ、吸血鬼!」


 屋敷は小さいが庭はそこそこ広い。その庭一面に広がるシソ畑を蹴散らして女がつっこんできた。遠慮も無く振り回される十字槍の刃に赤ジソ、青ジソが次々切り払われ、ペリラアルデヒドを中心とした香り成分が庭に満ちてゆく。



 吸血鬼なので人よりは力が大きく、繰り出される連続突きを脚力任せのバック走でかわし続ける。

 だが武術の経験など無い俺と、吸血鬼を狩るために修業を重ねてきただろう女とでは勝負になるはずも無かった。

 自分の屋敷の壁際に追い込まれ、逃げ場のなくなった俺の腹に、女の槍が突き刺さる。


「んぐぁあっ!!」

「勝った! これで私も一人前として認められる!」


 未だかつて経験のない痛みに涙がこぼれる。

 傷口からもう300mlくらいの血が出たのではなかろうか。


 歯を食いしばって穂先の根元を掴む。

 引き抜こうとしたら、女の押し込もうとする力と俺の力がぶつかり合って槍の柄が折れてしまった。

 折り畳み式なんかにするから構造が脆くなるのだと思う。



「バカな! なぜ! なぜ銀で出来た聖十字槍が効かないんだ!」

「クソ、こんなに痛いとは思わなかった…… どうせ一回転生してるし、もう一回リセットしてやり直してもいいかと思ったが、痛すぎる……」


 傷に俺の吸血鬼の血が集まり、細胞が再生、修復されていく。

 ちなみに女および俺の使っているこの世界の言語は漢字がないので、十字槍の「十字」というのは、なんかクロス的な意味合いの単語である。




 慎重派の俺は街に出て銀製のナイフを買って自分の弱点を確かめている。

 最悪失う覚悟で小指の先端を傷つけてみたり、ナイフを舌で舐めてみたりした。


 結果としてわかったのは、おそらく吸血鬼は銀イオンアレルギーであるということだ。

 普通の武器で傷つけられても傷はすぐ再生されるわけだが、銀イオンに触れた部分では白血球的な何かが暴走して幹細胞的な何かを食ってしまい、再生ができなくなる。のだと思う。

 医学・生物学に関する知識は一般的なものとシソ関連しかないので、これ以上くわしくは分からない。


 ともかく、自分の銀アレルギーに気づいた俺は日常的にシソを摂取し、ロスマリン酸やフラボノイドの一種であるルテオリンといったアレルギー抑制効果のある成分のおかげで銀を克服しているのである。

 なおシソの成分がアレルギーにいいと言うのはシソ吸血鬼たる俺個人の感想であり効果・効能を保証するものではないのだ。




「……ちくしょう、よくもやってくれたな! 合わせて500mlくらい血が出ちゃったぞ! 責任取ってもらう!」


 うまい具合に雲が満月を隠して夜は本来の暗さを取り戻した。俺は吸血鬼として与えられた能力を十全に発揮。自分だけ見える状態で、相手は既に武器が無い。


 背後に回り込み、足を引っかけて転ばせる。前のめりに膝を着いた女の腕を拘束。

 いくら鍛えていようが、しょせんは人間。吸血鬼の力に対し、女の抵抗はむなしかった。

 白い首筋に左右の犬歯を突き立てる。



 俺は唯物主義者兼悲観主義者ペシミストであるので、予想していた事ではあったが、やはりそんなに血は出ない。

 脳に直接血を送っている頸動脈や、脳から血の帰ってくる頸静脈を噛み破れば普通にほとんど即死だろう。そもそもそんな奥にある血管に2センチ少々の俺の犬歯が刺さるはずもない。

 首の表面に浮き出している血管はおそらく皮膚とかその辺を巡った血が帰ってきている静脈だ。血流量はそれほどない。


 吸血鬼なので俺の体温は低いらしく、相対的に女の血はかなり熱く感じた。立ち食いそば屋のかけそばのつゆくらいの感じである。

 ちょっとずつしか出ない血を頑張って吸っていたら、女が何かぶつぶつと唱えている。

 俺は女を突き飛ばして離れようとしたが、一歩遅かった。


『——星々を統べる太陽の恩寵よ この右手に宿り悪を滅ぼせ! 紫外線照射ハイシュ・トローム!』


 うつぶせの状態から転がって、俺に掲げた女の右手。広げた掌の先にピンポン玉くらいの光球が出現したと思ったら、それこそ太陽のように一気に光量が増加した。


「ぐぁああああ!!」

「まいったか! 私は貴様の下僕になどならん! 死なばもろともだ!」

「嫌ぁあああ……!!」

「死ね! 死んでちりに帰るが良い! 吸血鬼!」

「……かゆいぃいっ……」

「なん、だとっ……!」



 女の光魔法を受けた俺の腕や顔にぶつぶつが出来ている。日光湿疹である。

 夜目にもわかるほどに、腕の皮膚がとんでもない色になっていた。


「なぜだ! なぜ私の紫外線照射ハイシュ・トロームが効かない⁉」

「ふぅ、ふぅ…… 抗アレルギー成分のおかげで、かゆみが収まって来たぞ……」

「その肌の色、その姿。まるで悪魔のような…… 貴様…… ただの吸血鬼ではないのか……」

「これはポリフェノールだ…… 赤ジソが赤紫の色素を作るのは、強すぎる太陽の光から自分を守るためなのだ。俺はシソができる事なら何でもできるし、さらに毎朝シソジュースを飲んでポリフェノールを補給しているからな……」


 話しているうちに俺の体から赤紫の色は消えていった。

 もともとシソは赤ジソが原種であり、青ジソはポリフェノールを作らない変異種である。色素を無くすことで弱い日光にも適応したのだ。


 赤ジソ青ジソ両方の能力を持っている俺はポリフェノールを作り、また消すこともできるのだ。

 この能力を俺は『反転するシソの生存戦略フリリーウィル・ミューテーション』と呼んでいる。



 俺は辺りに散らばっている我が眷属の死体。赤ジソや青ジソの葉を拾って何枚か口に入れた。よく噛み潰すと新鮮な香り成分が口いっぱいに広がる。


「なんだ、貴様、何をしている」

「……いや、血って思ってたよりも血っぽかったから…… いや君が生臭いって言いたいわけじゃなく……」


 赤みの強いステーキは転生してから好物になっていたから、血も行けるかと思ったが、駄目だったようだ。

 初めて吸った生き血の味は吸血鬼になっても普通に気持ち悪かった。その辺の感性は人間の時のままなのだ。



 吸血鬼になったのに血を飲まなくても生きていけると知って、最初はちょっと驚き、また安心もした。そもそも基本的に不老不死だというのが吸血鬼の売りのはずだ。空腹で死んではたまらない。

 他の吸血鬼がどうなのか知らないが、俺は普通の食べ物を食べるだけで健康に生きられた。さらにシソ吸血鬼たる俺は、日光湿疹を我慢しながらなら光合成さえできた。

 なにしろシソができることは何でもできるのだ。やろうと思えば動物はおろか植物の命さえ奪わずに生きられる。



「くそ…… まさかポリフェノールをもった吸血鬼が現れるなんて……」

「あ、ポリフェノールは通じるんだ、この世界」

「吸血鬼を許さないと誓ってヴァンパイアハンターになったこの私が、吸血鬼の下僕にされるなんて……」

「あー、その。血を吸って相手を吸血鬼にしたり、または言うことを聞かせるっていう能力? 多分俺は使えないような気がする、今やってみたけど」

「何?」

「多分、始祖吸血鬼じゃないと使えないんじゃないかな。俺は始祖吸血鬼じゃなくシソ吸血鬼だから。不本意ながら」

「え、何? どういうこと?」




 ヴァンパイアハンターの女にはとりあえず帰ってもらった。

 後になって他の仲間と一緒になって俺を討伐しに来たとしても、それはそれでもうどうでもよかった。

 転生者の死生観なんてものは基本的にめちゃくちゃなのだ。


 しかし女はそういった行動には出ず、週一で手紙を送ってきて俺が人を襲っていないかを問いただしてくる。

 襲っていないむねと、その他いろいろな近況を書いて俺は返信している。


 ひと月経って、手紙に首の傷がようやく完治したとの記載があった。「おまえの口が汚いから化膿して大変だった」と書かれていたが、それは知らない。

 きっと治療の仕方まずかったのであって俺のせいではない。


 俺は女の血を吸う際にきちんと自分の牙を除菌していた。シソの香り成分ぺリルアルデヒドには強い抗菌作用がある事で有名なのだ。

 まあそんな言い訳をしても始まらない。「完治してよかったですね」と書いて、俺は4度目の返信の手紙を締めくくった。



 異世界イバングムンドにはアンズに似た果物がある。

 去年の今頃、その中で酸味の強い品種が街で安く売られていた。

 シソをたっぷり使った梅干しもどきを作るため、俺はそのアンズと塩を買いに街に出かける支度を始めた。手紙の返信も街の郵便屋に出す。

 空には厚く雲が立ち込め、絶好のお出かけ日和である。

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始祖吸血鬼に転生するはずが紫蘇吸血鬼に転生してしまった転生者の俺の話 サワラジンジャー @sawarajinjer

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