始祖吸血鬼に転生するはずが紫蘇吸血鬼に転生してしまった転生者の俺の話
サワラジンジャー
前編
俺こと
今日も今日とて、森の奥地の我が家の庭で水をやっている。時刻はよくわからないが、真夜中である。
闇の中で近くの沢まで降り、水を汲んで来られるのは俺が吸血鬼だからだ。
まあそれは普段の話で、今日は良く晴れた満月の夜。普通の人間でも転ばずに歩けるくらいには明るい。
夜に生きるのが基本の吸血鬼に生まれ変わったとはいえ、感性は人間だ。
庭に
水やりを終え、控えめな大きさの古ぼけた屋敷に戻ろうとして異音に気づいた。
接近するのは一人。吸血鬼ならではの超聴覚。
人間の暮らす地域とこの我が家の間は細い獣道しか繋がっていない。
その道の向こうから、マントを着た女が姿を現した。
「こんばんは。あなたがレンさんで間違いありませんか?」
「ええ、俺が連です」
女の醸し出す雰囲気。
その気配は俺がこの森周辺の街や村で見かける女たちとはまるで別物だった。
……というのは嘘で、別に相手の覚悟や技量のほどを一目で見抜くような眼力はない。
単純に普通の女はもっと丸っこくて小さい。この女は背が高いうえに服の上からでもわかるほど筋肉質である。端的に言えば、強そう。
「……こんな夜中に、ご用件は何でしょうか。お嬢さん」
鍔広の帽子をかぶった女はうつむいていた顔を上げた。
赤毛の長い髪、鼻の上にそばかす。緑色の目。
20代と見えるその女は一瞬笑った。楽しいとか面白いとかいうのとは違う、緊張を振り払うかのような無理に作った表情。
派手な動きでマントを
いくつもの節に別れていたそれはカシャカシャと音を立てて接続され、一本の長槍となる。
さらに頭上に持ち上げて一回転、振り回された槍。
輝く穂先の根元にさらに二本の
「この聖十字槍の穂先は銀製だ。きさまらの命を狩るための神の祝福を受けた槍だ! 覚悟しろ、闇に還る時だ、吸血鬼!」
俺は思った。あぁ、これこそまさにヴァンパイアハンターだ、と。
そして自分がこの異世界に転生することになった経緯を思い出した。
少なくとも俺自身の感覚において、それは一年半前の出来事だった。
「つまり、俺は死んだってこと? まだ20歳になったばっかなのに?」
「はい。エンジン音のしない電気自動車のトラックに気づかず、車道に落ちていた硬貨を拾おうとして死んでいます。我々にはそれは160年以上前の出来事として認識されています」
「くそぅ、環境保護的なあれのために死んでしまうとは……」
真っ白な空間。足元には床も地面も存在せず、宙に浮いている感覚。
目の前にある、巨大な真っ黒の墓石のようなもの。
距離感のつかめない空間のため、直方体のそれがどれほどの大きさなのかも把握できなかった。
超普遍的複合思考主体と名乗ったその直方体が1時間かけて説明してくれたところでは、真っ白な空間はいわゆる電脳空間というやつであるらしい。マト○ックスで見たのですぐに理解できた。
それはいいのだが、なぜ死んだはずの俺が電脳空間に居るのか。
黒墓石はさっきからその説明を続けているが、いまいち要領を得ない。
「もう一回最初から言ってくれ」と、3回目に頼んだあと、数秒黙ってから墓石は言った。
「例えるならカレーです」
「カレー……?」
「あなたでもカレーライスを食べれば材料が何で、どういう工程で作られたかはおおむね理解できますね? つまり現存する事象から計算し、過去にあった事象を推認することは、21世紀前半のとるに足りない一般人にもある程度可能なのです」
「とるに足りないって悪口だけど、知ってた?」
「失礼。話の続きですが、もしそのカレーを食べるのが博識なカレーの専門家であれば、料理前の材料、人参や玉ねぎや肉、その産地や品質。スパイス一種一種までも完璧に認識できるでしょう」
「……ふむ……? イモは?」
「私たちは2189年のコンピューター技術の粋を尽くし、2189年の実在世界を完全に認識し、あなたの生涯が世界に与えた影響を全てデータ化。逆算することで死亡時のあなた個人の人格を電脳空間内に再現しているのです」
「マジで?」
俺こと狩生日 連は冴えない地方都市出身の、何のことは無い中流大学の何の特徴も無い学生に過ぎない。過ぎなかった。
SNSのフォロワーは2桁だし、スポーツその他、どんな記録も持っていないしニュースになった事も無い。
俺のたった20年の人生が世界に与えた影響など、無いに等しいのではないか。
「……無いに等しいのではないか?」
「あなたの時代の、チンパンジーとそう変わらない人類の認識能力と、22世紀後半の【超普遍的複合思考主体】の認識能力を一緒にされては困ります。特定の一瞬であれば宇宙に満ちる素粒子一つ一つまで認識できる我々には、あなたの生きた結果、その影響がはっきりわかります。たとえそれが一般社会において無意味なものだったとしても」
「バタフライエフェクトみたいなことか……?」
「正しい意味で言っているわけでは無さそうですが、あなたの知的レベルではそう
14歳から約6年間、
人間の人格が脳みその劣化や損傷で簡単に変わってしまうことを思えば、魂の存在など信じられようはずもない。
だが、人の行動や発言がどこかに影響を残し、その影響が連鎖して世界をわずかでも変化させるのだとしたら。
そのすべてを認識し逆に計算すれば、過去の個人の人格を再現する事はきっと可能なのだろう。
俺の生きた21世紀でも織田信長が何を考えていたのか、いろんな資料から推測する歴史番組などはあった。
量子コンピューターとか、もっといろいろ技術が進めば、何でもない個人の人格を過去から蘇らせることもありえるかもしれない。
なにしろ22世紀といえば万能猫型ロボットも普通に存在するはずなのだ。
「オッケ。じゃあもうなんで俺を蘇らせたのかの話をしてくれ」
「2189年現在、人間の多くが我々こと【超普遍的複合思考主体】と部分的に融合し、自我の主体を電脳世界に置いています」
「ほう」
「その結果、もう実体としての肉体を放棄してもいいのではないか、そういう議論が盛んになされ、人間性とはそもそも何だったのかという疑問が我々の間でテーマになりました」
「それで俺をその、複合? なに?」
「【超普遍的複合思考主体】。Super universal complex thinking subject。略してサクthスと呼んでください」
「サクセス?」
「サクthス」
「発音に厳しいな…… まぁいいや、それに俺を参加させて、人間性ってのの見本をさせようってこと?」
「違います。狩生日 連さん、あなたには我々の用意した疑似世界、電脳異世界イバングムンドで生活してもらいます」
「何↓で↑だよ」
サクthスの言うところでは、俺がサクthスに参加しても物理学学会に3歳児が紛れ込むようなものでまったく何もできず、それどころか逆に22世紀人の思考の圧力に影響されてあっという間に変質してしまうとのこと。
そして俺にとっての現実だった21世紀前半の人間社会を再現し、その中で俺がどう振舞うのかなどはとっくにシミュレート済みなのだとか。
既に俺のコピー1号がそういう事に使われた後だというのは何やらとても怖いが、まぁ知らぬが仏。
現在俺に期待されているのは実在しえない摩訶不思議な環境で原種的(原始的って言った? と問いただしたが違うと言い張った)な人格がどう振舞うのかという、そういうシミュレートなのだそうだ。
「ということは何? 人間的に振舞うことは期待されてるけど、普通ならあり得ないような人間になってもいいわけ?」
「そうですね。特異な状況でのデータこそ有意義かもしれません。なにしろ普通の状況で普通の人間がどう振舞うかは、本物の歴史を見てもう嫌というほどわかっているので」
「オッケ。じゃあ始祖吸血鬼として転生させてください」
いわゆるZ世代でありながら20世紀末のSF映画などを見ていることからわかるように、俺はいささかレトロ好きでもあるのだ。
中古本屋で買った、有名なファンタジー小説が俺のフェイバリットな小説で、その主人公はハードボイルドなヴァンパイアハンターなのだ。
そしてヴァンパイアハンターでありながら実はヴァンパイアとの混血であり、ヴァンパイアの力でヴァンパイアを倒したりするのだ。
どうせファンタジーな世界に生まれ変わるのなら、混血のヴァンパイアハンターになりたいというのが本当である。
だが、そのフェイバリットな小説の中で最強の種族はやはり主人公の父親である始祖吸血鬼なのだ。
主人公が勝ち続けるのはあくまでそれが小説だからであり、また俺よりはるかに知性や根性の点で優れているからだ。
凡人にすぎない俺がわざわざ縛りプレイをすることもない。
せっかくなので、最強の存在たる始祖吸血鬼にしてもらいたい。
「シソ吸血鬼ですね?」
「そう、始祖吸血鬼」
「いまいちよくわかりませんが、わかりました。新しい種族設定として構築してみます」
「うん。それじゃあさっそく、いってみましょう!」
この時の自分のイントネーションを、俺はその後しばらく後悔することになる。
だが仕方ないではないか。「始祖」なんて言葉を日常会話で実際に発音したことがある人間が日本のどこに居るのか。
今となっては本当の正解か分からないが、始祖の正しい発音はシ↗ソ→なのではなかったかと思われる。始末の始もシ↗だ。
それ以外の二字熟語において始はほぼシ→のはずだ。だから俺が始祖を紫蘇と同じ、シ→ソ→で発音したことを、いったい誰が責められるというのか。
俺は俺自身を、後に何度も何度も責めたわけだが。
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