権少将ごんのしょうしょうが犯人だと仮定するならば、凶器はどこに消えたのか。あるいは──」





    ◇◆◇


「いいわ。じゃあいったん前提を変えてみよう。仮に、権少将ごんのしょうしょうが犯人じゃないとする」

「はい」


 光る君は心得たように頷く。

 脩子も小さく頷いて、言葉を続けた。


「権少将が西の対屋たいのやに忍び込んだ時点で、本当に六の君は亡くなっていたのなら。それ以前に西の対屋を訪れた人間に対する検証を、行うべきよね」

 脩子はふむ、と一瞬思案するために黙してから、すぐに口を開く。


「きみが目撃したっていう和歌の贈答だけど……それには何らかの仕掛けがあって、実際にはそれより前に、右馬頭が六の君を殺害していた──とか」

「いえ。それは残念ながら、無理だと思います」


 脩子の言葉を、光る君はあっさりと否定した。

 曰く、宴を中座したのは、右馬頭うまのかみよりも光る君の方が先だったというのである。


「つまり僕は、右馬頭どのが母屋もやを抜け出して来るところから、宴席の場に戻るところまで、終始見ていたってことになります。でも、彼は御簾みすの内側に立ち入ってはいませんでした」


 御簾越しでも、人をくびり殺す方法があるとするなら、話は別ですけど。

 そう付け加えて、光る君は肩を竦めてみせる。


「じゃあ、右馬頭の詠み掛けた歌に応じたのは、本当に六の君本人だったのかしら」

「あぁ、これに関しては、右馬頭どのが断言しています。『間違いなく、六の君のお手蹟だった』と」

「なら、六の君が過去に書いた和歌を、何者かが御簾内から手渡した可能性は?」

「それもあり得ません。……というか宮さま。贈られた和歌に、返すのが和歌なら内容は何でもいいと思っていません?」


 光る君はすぐさま否定して、じとっと呆れたような視線を寄越してくる。

 光る君の指摘に、脩子はそっと視線を逸らして咳払いをした。


「あー……まあ、それは一旦置いておくとして」

「置くんですね」

「……分かっているわよ、失言でした。もらった贈歌の中心になっている言葉を借りて、別の観点から切り返すのが答歌の基本なんでしょう。筆跡が同じなら、過去のものでも誤魔化せたんじゃないかなんて、間抜けな質問して悪かったね」


 そう早口にまくし立てて、脩子は明後日の方角を向いて、唇を尖らせる。

 だが、とんちんかんな質問をしてしまった自覚はあるので、仕方がなかった。


 たとえば『源氏物語』の空蝉うつせみじょうには、こんな贈答歌がある。

 光源氏が空蝉の君に送った歌と、その返歌だ。


   の身をかへてけるのもとに

         なほ人がらのなつかしき


   の羽に置く露の隠れて

         忍び忍びに濡るる袖


 これらは、贈られた和歌に対して、答歌は先頭・中心・最後(空蝉/木/かな)が対句になっており、おまけに「かな・かな」と揃った末尾が、ひぐらしの鳴き声に掛かったものであるとされる。

 正しい贈答歌というものは、本来これくらい修辞しゅうじに凝っているものなのだ。

 それを、過去に詠まれた和歌で代用しようというのは、確かに無理があると言わざるを得なかった。

 つくづく、知識として知ってはいても、身についてはいないものだと思い知らされる。やはり和歌は苦手だと、脩子は深々とため息をついた。


「……つまり、こういうことよね」

 脩子は気を取り直して、話を仕切り直す。


「右馬頭が『間違いなく六の君のお手蹟だった』と主張するその和歌は、確かに御簾の内で詠まれ、その場で書き記されたものだった。それは、宴の中盤のこと」

「えぇ、そうですね」

「けれど、宴の終盤になって。権少将が西の対屋に忍び込んだ時には、六の君はすでに亡くなっていた……。つまり、権少将を犯人とするならば、凶器消失の困難さが。右馬頭を犯人とするならば、御簾の内に入らず殺害する困難さが、それぞれ生じることになるというわけよね」

「えぇ、そういうことになります」


 光る君は、ゆるりと首肯しながら、脩子の言葉に同意を示した。

 脩子は去来する嫌な予感に、思わず渋面を作って眉間を揉みほぐす。

 経験則上、もはや嫌というほどに知っているのだ。

 ある程度の不可解さが重なると、彼らは『物の怪のせい』という超理論を持ち出してしまうことを。


「……それで、今回は何の仕業だって?」


 険のある眼差しでそう問えば、光る君は困ったように眉尻を下げて笑った。

 その反応で、脩子は己の嫌な予感が的中したことを悟ったのである。


ぬえが、その尾でくびり殺したんじゃ、なんてことを言い出す人たちも、現れ始めましたよね」


 光る君はそう言って、小さく肩を竦めてみせた。

 ぬえとは、猿の頭に虎の四肢、狸の胴体に蛇の尾を持つとされる、空想の化け物である。

 翼を持たずして空を飛び、陰気な声で人々を悩ませると言われるが、その実、鳴き声の主はトラツグミという野鳥だった。

 確かに鳥とは思えないほど陰鬱いんうつな声で鳴くが、断じて怪しげな物の怪ではない。


「何でも昨夜、ちょうど宮中警固の滝口の武士が、鵺の啼き声を聞いたのだとか。ちょうど同日の晩に起こったことだから、六の君殺しと結びつけちゃったみたいですね」

 光る君はそう話しながら、眉尻を下げて笑った。




 

****


 第10回角川キャラクター小説大賞

 5月9日 23時59分 応募締め切り

 余っ裕で間に合わなかった!!!!!!!!笑笑

 祓い屋令嬢2月完結から、ひと月まるっと燃え尽きたのが敗因だなぁ。

 反省!!

 

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藤壺の宮は〝物の怪のせい〟にしたくない 伊井野いと『祓い屋令嬢 3巻』2月発売 @purple0421

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