第3話 白い道
1
未来へと続く道。
終着へと至る道。
名も知らぬ道。
果てしもない道。
あなたの前の道は、果たしてどこへあなたを
わたしは一本の道を歩いていた。
いったいいつからこの道を歩いていたのか、なにも思い出せない。
気付いたときには歩いていた。
どこまで行けば道は終わるのか、そもそもわたしはどこを目指して歩いているのか。
なにもかもがわからないまま、ただひたすら道を歩いている。
もうなん日も、なん十日も歩いているようにも感じるし、まだ十分ほどしか経ってないようにも思える。
周りの景色にも一切変化はなく、ただ広陵とした荒れ野が目に入るだけである。
目印になるような山も、大きな木も一切なかった。
歩いている道同様に、ただひたすら変わらず続いているだけだ。
そう広くもない道は白っぽい土を固めたように整然としており、なめらかで綺麗で真っ直ぐにどこまでも続いている。
埃どころか、小石ひとつ落ちてはいない。
いままで誰とも出会っていないし、交差する道も分かれ道もなかった。
そう思った瞬間、目の前に十字路が出現した。
これほど見通しがいいのに、さっきまでまったく気付かなかった。
そうして、そこには人がうずくまっているような陰があった。
十字路の真ん中のそれは、ピクリとも動かずそこにあった。
「あ、あのぅ。ここはどこですか」
わたしは恐るおそる、その陰に声を掛けてみた。
陰はわたしの声に応えるように、むっくりと立ち上がった。
四十歳代半ばくらいの、やや頭髪の薄い痩せぎすの中年男性である。
はて、どこかで見た覚えのある顔であった。
「あなたは、笠井先生ではありませんか」
それは中学三年の時に担任だった、教師の笠井に間違いなかった。
受験問題で悩んでいたわたしに、あれこれとアドバイスをしてくれた。
その結果、受けた高校に合格し進学したのだった。
あのとき本来ゆくはずだった学校を選んでいれば、自分の人生はどうなっていたのだろう。
笠井に勧められるまま、ワンランク上の高校を目指した選択は正しかったのだろうか。
いままで思い出しもしなかったが、こうして顔を見て当時の記憶が甦ってきた。
「笠井? そんな気もするがよく分からん」
感情のない声で応える。
「こんな所で、なにをしているんですか」
「決まっているだろ、道案内だよ」
「道案内? ちょうどよかった、わたしはどこへゆこうとしているのでしょうか。この十字路のどの道をゆけばいいのですか、おしえてください」
「どこへ? どの道を? そんなものわたしが知るはずがないじゃないか、どこへでも好きなところへゆけばいいし、好きな道を歩けばいい」
「なんですって、それじゃ道案内になっていないじゃありませんか」
わたしはあまりな答えに、食ってかかった。
「しょうがないだろ、これがわたしの仕事なんだから。いいか、ここで交差している四つの道のなにが違っている。見てみろ、きみが歩いてきた道はどれだ、歩いてゆくべき道はどれだ。みな同じじゃないか、先は行ってみなけりゃ分かるものか」
そう言われてわたしは気付いた、前後左右どれもまったく同じ幅と色で見分けがつかない。
自分がどの道をどちらから歩いてきたのか、見分けがつかなくなってしまっていた。
周りの景色にも目印になるようなものはなく、確認することも出来ない。
「あなたは案内人なのでしょ、無責任すぎるじゃありませんか」
「だから言ってるだろ、これがわたしの仕事なんだよ。きみも行きたい方へゆけばいい、しかし言っておくが引き返すことはできない。この道はそういうモノなんだから」
しょうがなくわたしは、いま自分が向いている方向へと歩き出した。
振り返るとそこにはもう笠井の姿も十字路も、まるで消え去ったかのようにありはしなかった。
それどころか、歩いてきたはずの道さえ暗くおぼろげにかすみ見えていない。
〝引き返すことは出来ない〟
笠井の言葉が頭の中でこだまする。
2
わたしは再び道を歩き始めた、さっきまでとなんの変わりもない白い道。
空を見上げると、蒼穹に所々真っ白な雲が浮かんでいる。
〝こんなところで雨が降ってきたら困るな〟
そう考えていると、ぽつりぽつりと雨粒が肩に落ちてきた。
あいかわらず空は晴れている。
「狐の嫁入り?――」
わたしは小さく呟いた。
確かあの時もこんな天気雨だった。
足下を見ると一匹の黒い仔猫が身体をこすりつけながら、よちよちと歩いている。
「あら、あなたいつからいたの? お母さんはいないの?」
わたしはその場にしゃがみ込み、仔猫の額を人差し指でそっとなでた。
「ねえ、おねえちゃん、なんで迎えに来てくれなかったの。ボクずっと待ってたんだよ」
猫が哀しげな目でそう話しかけてきた。
「おねえちゃん? あ、そうか」
わたしは今まで、自分の性別さえ気にならないでいた。
「そうか、わたし女だったんだ――」
仔猫の言葉でそう気付かされた。
まだ小学生だった頃、そう確か三年生の秋だった。
あの日も下校途中で、天気雨が降り出した。
そこで小さな空き箱に入れられた仔猫を見つけた。
「ニャー、ニャーニャー、ニャー」
道ばたの藪から鳴き声がするので、繁っている草を掻き分けると箱に入った真っ黒で可愛らしい仔猫が一匹、弱々しい声で必死に泣いていた。
「わあ可愛い」
わたしはひと目見て、その可愛らしさに目を奪われた。
「クロちゃん、どうしてこんな所にいるの? 捨てられたの?」
しゃがみ込み、仔猫に顔を近づける。
するとその小さな生き物は、さらに泣き声を強くした。
そう、それは鳴き声ではなく泣き声だった。
「助けて、ボクを助けて、ボクはここに居るよ、助けて」
まるでそう訴えているようだ。
口を開け必死に泣いている。
小さな犬歯が覗き、まん丸の瞳がなにかを訴え掛けている。
箱の縁に掛けられたか弱い前脚は、力一杯爪を剥き出して頼れるものにすがろうとしていた。
わたしは仔猫を抱き上げ、そっと両手で支え胸に抱いた。
「ニャー、ニャー、ニャー」
腕の中でも泣き声は止まない。
額を撫で顎の下を人差し指でこすってやると、心地よさそうに目を細める。
指を放すと、もっと撫でてと言うようにまた泣き始める。
わたしは学校に持っていった水筒の水を、仔猫に飲ませることを思いついた。
「クロちゃん、ちょっと待ってね」
いったん仔猫を元に戻そうと箱を確認した瞬間、わたしは驚きのあまり尻餅をついた。
その箱の中には、三匹の仔猫が横たわっていた。
明らかに息をしていないのが分かる。
〝この子の兄弟は、みんな死んじゃったんだ〟
子供心にそう悟った。
息をしているかしていないかだけの違いのはずなのに、ほかの三匹には触れてはいけないような気がした。
死んだ生き物には触っちゃ行けない、誰かに教わったのではないがそう直感していた。
斜め掛けの水筒から掌に水を溜め差し出すと、仔猫はピチャピチャとそれを舐めるように飲んでゆく。
水筒に残っていた水をすべて飲み干しても、仔猫は水をねだり泣き続けた。
「ごめんねクロちゃん、お水はもうないの。あとでミルクをあげるから待ってて」
わたしは立ち上がると、仔猫にそう声を掛けた。
あいかわらず仔猫は泣き続けている。
〝置いていかないで、ボクをひとりにしないで。抱っこしてよ、ひとりは嫌だよ〟
仔猫の泣き声はそう聞こえた。
「おうちに帰ってお母さんに言うから、仔猫を飼いたいって言ってくるから。それまで待っててね、きっと戻ってくるよ」
でも結局わたしは母にそのことを言い出せなくて、仔猫を迎えに行くことはなかった。
「ずっと待ってたんだよ、ボクはお姉ちゃんを待ってたんだよ。でも来てくれなかった、寂しかったよ、怖かったよ。なぜ来てくれなかったの」
目の前の仔猫がそう言って、哀しそうな目でわたしを見上げる。
「ごめんね、でもしょうがなかったの。お母さんは生き物が嫌いで、言いたかったけどどうしても言えなかったの。ごめん――」
わたしは心の底から仔猫に謝った。
「あの時ボクの前には、ふたつの道があったんだよ。そのひとつはお姉ちゃんの弟になって、温かい家の中で倖せに暮らす生活。そしたらきっと、いまでもボクはお姉ちゃんの側に居ただろうな。そしてもうひとつが、あの日ボクが小さな足で歩いた道」
「もうひとつの道? でも朝おなじ所を通ったけど、箱の中にはもうあなたは居なかった。きっと誰かに拾われたんだと思ったわ」
「嘘つき、お姉ちゃんは嘘つきだ。ホントは知ってたでしょ、ボクが死んじゃったこと」
澄んだ真摯な目でそう言われ、わたしの心は動揺した。
「ボクはあの日、いくら待っても迎えに来てくれないお姉ちゃんを探して、箱から外の世界へ足を踏み出したんだ。怖かったよ、心細かったよ。でも優しくしてくれたお姉ちゃんに、どうしても会いたかったんだ」
仔猫の目が潤んでいる。
「ボクの前の道は土と草から、冷たくて固いものに変わっていた。その冷たい道が、ボクが歩いた道だった。お姉ちゃんどこにいるの、怖いよ、そう言ってずっと泣きながら音のする方へ歩いて行った。そうしてなにが起きたかも分からないまま、ボクは死んじゃったんだ。凄い衝撃がボクを包んだ瞬間、ボクの命は終わっちゃった」
「でも、でもわたし――」
「あの時お姉ちゃんの前にも、ふたつの道があったんだよ。お姉ちゃんが選んだのは都合の悪いことは見なかったことにするって言う、大人になるための狡い道。あの朝、お姉ちゃんはボクを見なかったことにしたんだよ」
わたしはその時、まざまざとあの朝の光景を思い出していた。
アスファルトに黒いなにかの残骸があった。
昨日仔猫を見つけた辺りの道路上だ。
それはなん度も、なん十度も車に轢かれ、ぺったんこになった黒い仔猫の死骸だった。
「本当にごめんなさい、でも今度は一緒にいるよ。今度はもう離さない」
わたしはその仔猫を抱きかかえようとした。
その瞬間、仔猫の姿は消えていた。
〝ボクはお姉ちゃんと一緒の道は歩けない、一度手放してしまった道はもう戻って来ないんだよ。出来ればボクも、お姉ちゃんの弟になりたかったな〟
そんな声だけがわたしの耳に残った。
3
わたしは沈んだ気持ちのまま、目の前の白い道を歩いてゆく。
すると百メートルほど先に、幼稚園児くらいの少年が立っていた。
近づくと少年は嬉しそうに微笑んだ。
「ボク、こんな所でなにをしてるの? どこから来たの?」
そう訊くわたしに、少年は困ったような顔で答えた。
「わかんない」
「わかんないって、キミ迷子なの」
「多分そんなものかな」
大人びた言葉で返す。
大きな目をした、可愛らしい顔つきの少年である。
三つ下の弟によく似ていた。
「そっか、困ったね。実はお姉さんもどこへいけばいいのか分かんないんだ、キミとおなじ迷子なの」
「大人なのに迷子? へんなの」
笑っている。
「大人だって迷子になるんだよ、だってこんな道初めてなんだもん」
「ふーん。じゃ一緒だね、ボクたち」
「そうね」
人見知りをしないこの子を見てると、逢ったばかりなのになんだかよく知っているように思えるから不思議だ。
「キミ名前はなんて言うの」
少年は少し頭を捻りながら、満面の笑みを浮かべた。
「海斗、ボクは海斗だよ」
言いながら、自慢げに胸を張る。
「へーえ、海斗くんか。いい名前だね、お姉さんも大好きだよ」
「へへへ」
褒めると気恥ずかしそうに、それでもとても嬉しそうに笑顔を見せる。
海斗っていうのは、わたしの好きなアニメの主人公の名前だった。
もし息子が生まれたら、海斗にしようなんて考えていたくらいだった。
「じゃあ、お姉さんと一緒に行く? 一本道だもん、一緒に行くしかないけどね」
「いいの? ボク一緒に歩いていいの――」
真剣な眼差しを向けられ、わたしは一瞬ドキリとした。
「当たり前じゃない、さあ一緒にいこ」
「やったー」
海斗は心から嬉しそうに小躍りし、わたしの手を握った。
その手が触れた刹那、身体の底から熱いなにかが湧き出てきたような気がした。
わたしも、その小さな手を思いっきり握り返す。
わたしたちは白い一本道を、並んで手を繋ぎながら歩いた。
「ねえ、海斗くんは幼稚園?」
「ううん、行ってみたいけど無理なんだ」
悲しそうに首を横に振る。
「そっか、でもその分お母さんと遊べるじゃない。どんな遊びが好きなの」
また海斗の眉が曇る。
「いいから、言ってごらんよ」
もじもじしている海斗に、もう一度訊く。
「あのね、しりとりがしてみたい」
上目遣いに答えた。
「しりとりかいいよ、じゃあお姉さんから言うね。でんしゃのや」
「や? ヤンバルクイナのな」
意表を衝いた言葉が飛び出し、わたしは思わず笑いそうになる。
先日テレビの動物番組で、ヤンバルクイナを見たばかりだったのだ。
まさかこんな小さな子が、そんな名前を知ってるとは思いもしなかった。
「あっ、海斗くんもこの前のテレビ見てた?」
「うん、なんとなくそんな言葉が遠くから聞こえたの」
そのまましりとり遊びを続けながら、わたしの頭の中にモヤモヤとした違和感が生じ始めていた。
この子の答えはさっきから、すべてわたしが最近経験したこと、興味のある事ばかりなのである。
「ねえ、海斗くんのお母さんってどんな人」
わたしは訊いてみた。
「すっごく優しいよ、綺麗で誰よりもボクを愛してくれるの。ボクもお母さんが大好きなんだ、いっぱい抱っこしてもらいたいな」
「抱っこしてもらったことないの」
思わず訊き返す。
「まだね――」
「自分の子どもを抱かないなんて、酷いお母さんね」
思わず感情が口にでてしまう。
「そうじゃないんだ、お母さんの悪口言わないで。まだボクが小さいから無理なんだ、でもいつも一緒にいてくれてる」
「綺麗って言ってたけど、お母さんって誰に似てるの。背は高い? 太ってる、痩せてる」
矢継ぎ早に質問する。
「わかんないよ、まだ顔を見たことないから。でもさっきわかったよ、すごく可愛い顔をしてた。思った通り優しい顔だった」
「――――」
わたしはもうなにも言葉を出せなくなっていた。
「ボクもう帰らなきゃ」
突然海斗がぼそりと言った。
「帰るってどこに、ほかに道なんかないよ。お姉さんと一緒に行こう」
「ほんとはボク、まだ道を歩けないんだ。でも特別にここに来させてもらったの」
「誰に?」
「わかんないけど、きっといい人だよ」
「どこに帰るの?」
「知らないとこ、もうすぐボクはいなくなっちゃうんだ。だから最後に会ってみたいってお願いしたら、ここに連れてきてくれたの」
わたしは心が震え出すのを感じていた。
「ねえ、またどこかで会える?」
「多分もう会えない、ボクからは会いに来れないんだ」
悲しそうにわたしを見詰める海斗に、いままで経験したことのないなにかを感じた。
「いくつも道はあるんだって。でもいまのボクには道は繋がってない、歩き出す前に消えちゃうんだ」
「そんなことない、頑張ればきっとどうにかなるよ。またきっと会えるよ」
わたしは海斗の身体をぎゅっと抱きしめていた。
「その道はね、お姉ちゃんが自分が決めるんだよ。ボクはなにも出来ない」
海斗が泣きじゃくっているのがわかる。
「ねえ、最後にひとつだけお願いがあるんだ」
小さな唇が、躊躇いながらそう囁く。
「なに、言ってみて」
わたしは応える。
「一回だけ、お母さんって呼んでもいい」
「もちろん」
そう言うわたしに、海斗がしがみつき胸に顔をうずめた。
「お母さん、ぎゅってして」
力の限りわたしは小さな身体を抱きしめた。
確かに腕にも、胸にも海斗の身体の感触があった。
次の瞬間、そのすべては幻のように消え去っていた。
〝大好きだよ、お母さん〟
頭の中に海斗の声が響き、目の前にはおなじ白い道が延びていた。
わたしは心の中が空っぽになったようなとてつもない寂しさを感じ、そのまま倒れ込んでしまった。
やがて意識が遠のき、眠りに落ちていた。
「結城さん、結城希美さん。三番へお入りください」
遠くで自分の名前が呼ばれるのが聞こえた。
夢うつつ状態で、自分がどこでなにをしているのかわからない。
「おい、呼ばれたぞ」
身体を揺すられ、わたしは浅い眠りから目覚めた。
どうやらうたた寝をしていたらしい。
周りを見回すと、ここが病院であることがわかった。
「頑張って行ってこい、俺たちの将来のためだ」
そう声を掛けているのは、同棲をしている晴彦だった。
バイト先で知り合い、半年前からおなじ部屋で暮らしている。
少々頼りないが、優しい男の子だった。
「結城希美さん、いらっしゃいませんか」
今度はスピーカーではなく、実際の看護師の声がする。
「は、はい、います」
わたしは手を上げ立ち上がった。
「結城希美さんですね、三番の診察室へお入りください。その後ですぐに処置に移ります」
事務的な看護師の言葉に促され、わたしは歩を進める
。
「安心して、すぐに終わるわ。十五分くらいよ、緊張しないで危険はない」
そっと看護師が声を掛けてくる。
その日わたしは中絶手術を受けるために、病院へ来ていたのだった。
お互いに二十歳のわたしと晴彦は話し合った結果、子どもを堕ろすことにしたのだ。
振り返るとそこには、少し不安そうな顔で笑っている恋人の顔があった。
目の前には③と書かれた扉へと続く通路。
わたしが自分で決めた道だった。
「――――」
わたしは無言のまま病室へと入った。
七ヶ月後、わたしはおなじ病院のベッドの上にいた。
窓際のベッドの横には両親の顔がある。
そして反対側には優しく笑う、晴彦の顔があった。
結局わたしは、あの日中絶をすることはなかった。
その場で出産することを伝え、翌日には役所で妊娠手帳を発給してもらっていた。
その決断により、晴彦とは別れる覚悟をしていた。
しかし意に反して〝なら俺も覚悟を決める、結婚しよう〟そう言ってくれた。
猛烈な就活の末、二月後には晴彦は正社員として働き出した。
一度切迫流産の危機があったが、なんとか乗り切り今日の出産へと辿り着いた。
「お母さん、赤ちゃんですよ」
看護師が小猿のようにしわくちゃな生き物を連れてきた。
わたしはその顔を見てすぐに思った。
「ねえ、雄馬の顔に似てない」
「あらそうね、そういえば似てる」
母が同意する。
雄馬というのは、わたしの三つ下の弟だ。
ここにも顔を出している。
「似てねえよ、俺こんなサル顔じゃねえし」
照れたように否定する。
「やっと逢えたね、お母さんでちゅよ」
赤ちゃんの顔が笑ったように見える。
「よかった、無事に生まれて本当によかった」
わが子を見ながら、晴彦が泣いている。
〝やさしいお父さんでよかったね〟
わたしは心の中で呟く。
「名前はなんにするかな、よかったら俺に決めさせてもらえんだろうか」
晴彦のお義父さんが遠慮がちに言う。
それを義母さんがたしなめている。
「海斗、この子の名前は絶対に海斗よ」
わたしはそう宣言する。
いくつもある道の中から、こうして出逢えた。
〝また逢えたね、海斗。ずっと逢いたかった〟
〝あなたの道はこれから始まるんだよ、頑張っていこうね〟
わたしは倖せに包まれながら、横で笑っている赤ちゃんにそう伝えた。
おわり
「短篇小説」は硝子細工のように(短編集) 泗水 眞刀 @T-mack
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