第2話 鬱陶しいほどの雨音を聞きながら



      1



 この街には絶えず雨が降っている。



 暗鬱とした空と、陰気なのような街の景色。

 ケンイチは生まれてこの方二十六年、この街が嫌いだった。


「また雨だ、この街はどうなってる。雨、雨、雨、なぜこんなに振り続く」

 理由ははっきりしている、しかしついそう口にしてしまう。


 生まれた日から今日まで、空から雨が降ってこないことなど一瞬もなかった。

 貧民街の薄汚れた路地を歩きながら、ケンイチは今日も自分の運命を罵っていた。


 みすぼらしいトタン屋根を叩く雨音を聞きながら、彼は生きて来た。

 最初に覚えている音は、トタンを叩く雨音だった。



 ケンイチの棲む街〝バランティ・シティ〟は、白鳥座星系の第七太陽系第四惑星〝ハーク〟の南半球にあった。

 気候維持装置の初期設定ミスにより、常に雨が降り続く街である。



 地球人類が外宇宙に進出してから二千三百年、こんな遠くにまで居住域を広げていた。


 しかし、いわゆる宇宙人という存在との接触は一度もなかった。

 極々原始的な生物が棲息している惑星はたまに発見されたが、文明と言えるほどのものを持つ知的生命体は皆無だった。


 その結果として、地球という星に誕生した人類というのは〝奇蹟〟であると断定された。



 外宇宙へと進出した者は、母星である地球など一度も見ずに生まれ死んでゆく。

 地球人という言葉は、もはや死語に近い。

 ただ〝人類〟と言う言葉が使われるだけだ。



 このハークという星に、人類が先遣入植し始めたのは約四百年前だった。


 初めの百年間は、気候を安定させるために費やされた。

 次の百年で、居住星としてのインフラが整備された。


 そうやって二百年の年月を費やし、やっとハークは一般の入植者の棲める星となった。


 こういった入植星事業は巨大企業体の手で行われ、そこから得られる利益は計り知れないものであった。


 そして現在ハークでは地域ごとの格差が広がり、裕福な者の棲む地域と、このバランティ・シティのような貧民街とに色分けされていた。




 ケンイチの仕事は、どこからか運ばれて来る不要物を分別する作業員であった。

 毎日油や汚物相手に、一日中汗を流す。


 不法投棄された危険物質も紛れており、下手に触って一生を不具者として過ごすことになる者や、死んでしまうものが出るのも日常茶飯事だ。

 それでも鉱物採掘場の肉体労働者より、随分とましな待遇だ。


 一応労働保険は完備されており死亡やけがの程度により、一定の保険金が支払われるからだ。

 きまった休暇もあるし、ボーナスも支給される。

 最底辺ではあるが、企業の一員であるのだ。


 それが日雇いの肉体労働者には、一切適用されない。

 怪我をすればお払い箱、死んでしまえば無縁墓地に廃棄される。

 人として扱われない階級だ。


 ケンイチの父親は、そんな肉体労働者として生涯を生き死んで行った。



「今日も油まみれの一日だった。しかし親父と比べりゃまだましだな」

 独り言ちながら、家路へと向かう。


 帰りの露店街へさしかかると、大きな声で呼ばれた。


「おいケンイチ、たまには一緒に飲まねえか」

 ケンイチが声の方を見ると、同じ職場のガナフィーだった。

 四十絡みの男だ。


 むかしは黒人又はアフリカ系と呼ばれていたらしいが、いまでは肌の色も、顔の造りも、髪の色も人間を区別する基準ではない。

 裕福か貧しいかだけが、人間を区別する材料だ。


「悪いなガナフィー、彼女が待ってるんだ。また誘ってくれ」

 そういうケンイチに、彼は軽く手を上げて笑った。


「そうかい、じゃあ邪魔はしないでおこう」

 そう言って、手にしたグラスをグイっと傾けた。


 露店街のトタン屋根に、今夜も絶え間ない雨音が響いている。


「鬱陶しい雨だ」

 憎々し気にケンイチは路傍へ唾を吐いた。




      2



 まるで要塞のようなターミナルを背にして、ケンイチは大きな交差点に出た。

『MSBC(メガステーション バランティ・シティ)前』と呼ばれる九本の道が集まっている、巨大スクランブル交差点だ。


 ごみ集積場やさまざまな工場群が密集する地域へ続く道から歩いて来たケンイチは、毎日この交差点を渡り向かって一番左の道路へと歩を進める。

 その道が最も貧しい者たちが住む貧民街〝ガラガラ・タウン〟へ続く道だからだ。


 信号が変わるのを待ちながら、右手のメガモニターに目を留めた。


 映し出されていたのは『砂の海ナルディア』の風景だった。

 年間を通しての降雨量は十ミリ以下、広大なる砂に覆われた地域だという。


〝沙漠〟と言うやつだ。


「雨が降り止まないのも嫌だが、ナルディアという所もなんとも嫌らしい所だな」

 ケンイチが呟いた。


 徒歩でナルディアを踏破するのは、死を選ぶのと同義語だとテロップが流れている。


「この街で宿無しになっても生きちゃ行けるが、この砂の海じゃ生きて行けねえ。まだ俺たちの方が恵まれてる」

 砂だらけの画面を見ながら、しみじみとそう思った。


 日中の風景から映像が切り替わり、夕日が沈みかけている沙漠の丘が映し出された。

 赤く染まった無機質の景色は、それはそれで美しかった。



 信号が変わり、人々が一斉に歩き出す。


 いつものように左方向へと歩くと、別のモニターがけたたましい音と共に派手な映像を流している。


〝さあ、ナインルーレットを購入してセレブになろう、副賞は『パル・アイランド』旅行だ〟

 耳障りな甲高い声が叫んでいる。


 美しい白砂のビーチとエメラルドグリーンの海へ臨み、サマーベッドで寛ぐ若い男女の姿があった。

 背後には個建タイプのバンガローが点在し、南国の花々が咲き乱れていた。


 最近流行りのロタリー(宝くじ)のコマーシャル動画だ。


〝現在十二週連続キャリーオーバー中、当選金は五十一億クレジット。一枚0.3クレジットで夢を掴もう。今週の締め切り日は本日二十六時まで〟

 購買意欲を煽るメッセージを、黄色い声で連呼している。


「五十億か、夢のような金額だ──」

 どこからか、そんな声が聞こえた。


 横目でそのCMを見ながら、ケンイチは足早に交差点を渡り切った。


〝どうせ当たりっこない〟

 心の中で彼はうそぶいた。


 0.3クレジットあれば、二人で外食が出来る金額だ。

 彼は金をそんな事に使う気にはなれなかった。


 しかし恋人のレイミーはロタリーを買うのが好きで、ナインルーレットを毎週一枚だけ購入していた。




「ただいま」

 六軒長屋の右から二番目の粗末なドアを開け、ケンイチが中へ声を掛ける。


 路地裏の片隅にある、バラックに毛の生えたような建物だ。

 屋根はトタンを被せただけの、安普請とも呼べぬぼろ屋である。


 今夜もトタンを叩く雨音が、延々と響いている。


「おかえりケンイチ。真っ直ぐ帰って来たわね、偉いぞ」

 長い髪の二十歳代半ばの女が、笑いながら抱きついて来る。


「おいおい、汗臭いだろ。すぐにシャワーを浴びるから、それからにしてくれないか」

 ケンイチは華奢なその身体を引きはがし、軽くキスをする。


 付き合い始めて三年近くになるレイミーだ。

 同棲を始めて、もうじき一年になる。


 二人ともすでに親はいない。

 この貧民街に住む人間の平均寿命は、五十歳半ばだと言われている。


 日雇いの労働者たちはさらに短く四十歳前半、早い者は三十歳後半で死んでしまう。


 それに引き換え、特権階級の人間たちは概ね百三十歳。

 金さえ掛ければ、延々と生きられるという。


 技術の発達により、見掛けさえ自由に出来るらしい。

 まさに人間の区別は、貧富で決められる世界だ。


 ケンイチは現在二十六歳、レイミーは二十四歳。

 平均寿命からいけば、残りの人生はあと半分ほどだ。


 シャワーを浴びてタオルで髪を乾かしているケンイチへ、レイミーが再び体をくっつけて来る。


「ねえ、ケンイチ。来週末にラーラーストリートへご飯を食べに行こうよ、一緒に棲み始めた一年の記念日だよ」

 レイミーが甘えるように上目遣いになる。


 ラーラーストリートというのは高級ショップが立ち並ぶ一角で、庶民の憧れの場所である。


「そうか、一年になるんだな。──よし、うんとお洒落して贅沢するか」

「わーい、ケンイチ大好き」

 レイミーが抱きつき、キスの雨を降らせた。





     3



 今日は週末と言うこともあり、みな早々と着替えを済ませ職場を離れる。


 ケンイチもいつもとは違う余所行きの服を着こみ、自分のロッカーに鍵をかけた。

 レイミーと約束した、デートの日なのだ。


「おいケンイチよ、今日も真っ直ぐ帰んのか。よっぽど彼女が可愛いんだな、妬けちまうぞ」

 出ようとした所で、ガナフィーが声をかけて来た。


「可愛いだなんて、ただ二人とも親兄弟がいないんで大事にしたいんだ。こんなささやかな生活でもね」

 そういうケンイチを優し気な眼差しで見ながら、ガナフィーはポケットから小さな箱を取り出し突きつけた。


「えっ、なんですこれ──」

「俺から二人へのプレゼントだ、いいからとっとと結婚しちまえ。早く子どもを作らなきゃ、生きてるうちに成人した姿を見れねえぞ。俺みたいな家庭も持たねえ人間になっちゃいけねえ、お前には幸せになってもらいてえんだ」

 それだけ言うと、ケンイチからの礼も聞かずに去って行く。


 ケンイチは渡された箱を開けてみた。


「ガナフィーさん・・・」

 そこにはひと組の指輪が入っていた。

 小さいが、ちゃんと石もついている。


「ありがとう、ガナフィーさん」

 去って行く影へケンイチが大声で叫んだ。


 後姿の男は少しだけ右手を上げると、振り向きもせず雑踏へと消えた。




 それから半年、ケンイチはいつものように家路を急いでいた。


 左手の薬指には、ガナフィーからもらった指輪が光っている。

 意識するともなく親指で指輪の感触を確かめ、あの日の彼の面影を思い出していた。


 週明け作業場へ出勤して、あの夜ガナフィーが死んだことを知った。

 四、五人の男たちに絡まれている若いカップルを救け、そいつらに刺されて呆気なく死んでしまったというのだ。


〝ガナフィーさん、俺きっと幸せになるよ〟

 歩きながらケンイチは心でそう呟いた。




 ぼろ長屋の扉を開けると、レイミーが抱きついて来た。


「やったよケンイチ、あたしたち大金持ちだよ。なんだって買える、どこにだって行ける。百歳だろうが二百歳だろうが、このままの姿で生きて行けるんだよ」

 レイミーは顔中にキスをしまくる。


「一体なんの話しだ。分かるように説明してくれないか」

「当たったのよ、ナインルーレット。八十三億クレジットが当たったのよ」

 再びキスの嵐がケンイチを襲った。


 買い続けていた宝くじが、当たっていたのだ。

 当選金額は八十三億クレジット。


 ケンイチ達貧困層からしてみれば、生涯収入の六十倍の額になる。


 それからの一か月間は、目まぐるしいほど雑多な手続きが待っていた。

 身元の正式な確認から、メガバンクの口座開設。


 一週間の徹底した金銭に関する教育が義務付けられ、泊りがけで講義が行われた。


 金が口座に振り込まれるには、二か月かかるとの事だった。

 しかし、仮想口座のお陰でクレジットカードの使用は自由だった。


 新居を選び高価な家具調度品を買い、車のライセンスも取得した。

 そうして、副賞である『パル・アイランド』への一か月のリゾート旅行が始まった。


 空港へ出発する日、彼らは今まで棲んでいた粗末な長屋に別れを告げた。


「もうこんな、トタン屋根に降る鬱陶しい雨音ともおさらばだ」

 ケンイチは生まれた時から聞いていた、雨音に最後の別れを告げた。


 帰還先は、セレブが住む北半球の高級居住都市になる。

 豪華な邸が、二人の帰りを待っているのだ。



 青い空とエメラルドグリーンの海、燦燦と降り注ぐ太陽と贅沢な料理を堪能して、あっという間に一か月が過ぎた。


 南の島に別れを告げ、二人は中型ジェット機で帰途に就いた。

 機内には彼らのほかに、六人の乗客と操縦士を含めた八人の客室乗務員が乗っている。


 十二時間で、目的地である上流都市『ファビュラシュ・シティ』へ到着予定だ。


 離陸して三時間ほど経過したころ、機体が大きく揺れ急降下を始めた。

「わあーっ、事故か?」

 ケンイチが叫んだ。


「こわいケンイチ」

 レイミーがケンイチにしがみ付く。


 機体はぐんぐんと高度を下げ、凄まじい衝撃が彼らを襲った。





      4



「おい大丈夫か、しっかりしろ」

 頬を叩かれ、ケンイチは目を覚ました。


 見慣れない男の顔があった。

 恰好からしてパイロットのようだ。


「よかった、気が付いたのねケンイチ」

 半泣き状態のレイミーが、笑いかける。


「い、一体どうしたんだ──」

 上体を起こしながら、ケンイチが呟く。


「エンジントラブルでジェットが落ちてしまった、わたしは副操縦士のエリックです」

「落ちてしまったって、墜落か?」

「ああ、そのようだ」

 少し離れた所から、別の声が聞こえた。


「生き残ったのは、俺たち四人だけだ」

 中年の男が言った。


「ここはどの辺りなんです・・・」

「たぶんナルディアだと思う」

 エリックが応える。


「ナルディアって、あの沙漠の──」

 いつか街角のモニターで見た、映像を思い出す。


「そう、ここは沙漠のど真ん中だ。周りには砂しか見えない」

 中年男が言葉を吐き捨てる。


 ケンイチが横たわっているのも砂の上である。


「墜落前に緊急回線でSOS発信はしてあります、下手に動かず救助を待ちましょう」

「おいパイロット、本当に救助は来るのか。こんな所に居たらあっという間に干上がっちまうぞ」

「仕方ないじゃないのペルシュさん、ここは沙漠なんだから。歩き回ったってどうにもならないわ」

 レイミーがエリックを庇うように言う。


 中年男の名はペルシュというらしい。


「いいか言っておくぞ、救助されたらお前の会社を訴えるからな。俺の女房は死んじまった。メガ企業クラークグループの会長だったんだ、百億や二百億で済むと思うな。最低でも五千億は支払わせる。いやそれ以上だ」

「どうぞいくらでも請求して下さい、会社は保険に入ってるでしょうからね。それに支払うのはわたしじゃない」

 こんな状態で金の話しを始めるペルシュに、呆れたようにエリックが返す。


 墜落したジェット機は爆発したらしく、無残な姿を砂の上に晒している。


「ケンイチ、エリックさんが息をしてるあなたを機外に連れ出してくれたのよ。あのままだったら、爆発に巻き込まれて死んじゃってたわ」

「そうだったんですか、ありがとうございますエリックさん」

「乗務員として当然の行動ですから、礼は要りません」

 実直そうな顔が笑っている。



 やがて辺りは夕闇に包まれ、沙漠に夜が訪れた。

 陽が落ちると気温は低下し、幾分過ごしやすい。

 疲れもあり、四人はすぐに眠りに就いた。




 ケンイチは灼け付くような暑さで目覚めた。


 爆発前に機外へ運び出していた水のペットボトル二十四本のうち、すでに十本は昨日のうちに飲んでしまっている。


「念の為、節約しながら計画的に飲むようにしましょう」

 エリックの提案で、水は管理されることになった。


 そうしてその日も暮れ、二回目の夜が来た。


 そして太陽が昇り、灼熱の地獄が始まる。


「救助なんて来ないじゃないか、どうしてくれるんだ」

 暑さにたまりかね、ペルシュがエリックへ喰ってかかる。


「彼に当たってもしょうがないだろ、苛々してるのはあなただけじゃないんだ。いい加減怒鳴るのを止めろ」

 ケンイチが四六時中エリックへ文句を云っている、ペルシュを注意をする。


「うるさい、宝くじを当てただけの偽物セレブが。俺に意見するな」

 小馬鹿にするように毒づく。


「争うのはやめて下さい、余計に体力を消耗するだけです」

 冷静にエリックがたしなめる。


「救助が来ないということは、ここで待ってても意味がないんじゃないかな。移動してみてはどうでしょう、オアシスが見つかるかもしれない」

「そうですね。まだ水のある内に歩いてみますか」

 ケンイチの提案にエリックが頷く。


「そう都合よくオアシスなんてあるものか」

 ペルシュが嗤う。


「ならあなたはここに残れば、わたしたちは行くから」

 そう言って、レイミーが歩き出す。


「待てよ、俺を置いていくのか。この馬鹿どもめ」

 悪態を吐きながらも後をついて来る。





     5



 それから三日間、四人は砂の中を歩いた。


 砂丘を越える度に、緑のオアシスがあるのではないかという期待をなんど抱いたろうか。

 そのすべては裏切られ続けた。


 救助のための飛行機やヘリもやって来ない。

 そうして最悪の時が訪れた。

 夜になり、とうとう水が尽きたのだ。


「このままじゃ俺たちは死んじまう、どうしてくれる」

 ペルシュがエリックに掴み掛る。

「やめろよ、争ったって体力を消耗するだけだ」

 ケンイチのもっともな意見に、すぐに諍いも終わりみなそれぞれ睡眠を取り始める。



「ねえケンイチ、起きてる」

 明け方に、レイミーが耳に口を当て小さな声で囁いた。

 眠りから覚めたケンイチが目を開けると、目の前にレイミーの顔がある。


「こっちに来て」

 少し離れた所へレイミーが這って行く。

 黎明の沙漠の空が、紫に色づいている。


「どうしたんだい」

 ケンイチが訊く。

「えへへっ」

 レイミーは悪戯っぽく笑みを浮かべた。


 首から下げているポーチから、一本のペットボトルを取り出した。

「貧乏癖が直らずに、ホテルから出る時に入れといたの」

 首をすくめ、小さく舌を出す。


「レイミー」

 思わず彼はキスをした。




 歩き始めて四日目になってもオアシスは見つからないし、救助も来ない。


 それでも歩き続けるしかなかった。

 止まれば、死を意味する。


 今日なん度目かの休憩を取ることとなった。

 ケンイチとレイミーは、ほかの二人から少し離れ背を向けるようにして抱き合っている。

 こっそりと水を飲んでいるのだ。


「ケンイチも飲んで」

「いいや、俺はまだいい。君こそあと一口飲みな」

 小さな声で囁き合っていると、突然ケンイチの背中が蹴り上げられた。


「なにコソコソしてるかと思えば、自分たちだけ水を飲みやがって。俺に渡せ」

 鬼のような形相で、ペルシュがレイミーからボトルを取り上げる。


「なにするの、それはあたしのよ」

 取り戻そうとするレイミーの顔を、情け容赦なく思いっきり蹴り飛ばす。

 彼女はそのまま砂に突っ伏し、ぴくりとも動かない。


「レイミーどうした、しっかりしろ」

 ケンイチが抱きあげ、身体を揺さぶるが目は開かない。

 左耳から血が流れ出ていた。


「貴様、なんということをしたんだ。許さんぞ」

 エリックはいままでの不満を吐き出すかのように、ペルシュを殴りつけた。


 倒れているペルシュを立たせ、再度殴ろうとした瞬間彼の喉から血飛沫が噴き上がった。

「俺を怒らせるな、貧乏人どもめ」

 その手にはナイフが握られている。


 エリックはそのまま砂の上へ斃れ込んだ。

 砂が赤黒く染まって行く。


「いいか、俺は大金持ちだ。お前ら貧乏人など死んでも構わん、ざまあみろ」

 手に持った水をごくごくと飲み干し、歩き去って行く。



 ケンイチはそのまま何時間もレイミーを抱き続けた。

 しかし彼女が目を覚ますことはなかった。


 やがて沙漠の唯一の自然現象が起きた。


 砂嵐だ。


 前さえ見えない中、ケンイチはふらふらと立ち上がり歩き出した。

 どのくらい歩いたろうか、なにかに足を取られた。

 それはペルシュの遺体だった。


 微かに前方になにかが見えた。

 それを頼りに進むと、小さな小屋があった。


 沙漠の住民の、砂除けか休憩所なのだろう。

 薄っぺらい板とトタン屋根だけの、扉さえない小屋だ。





      6



 ケンイチは精も根も尽き果て、小屋の中に横たわった。

 意識は朦朧としており、自分の命が長くないことを悟った。


 眠りかけた彼の耳に、生まれた時から聞き馴れたトタン屋根を叩く雨音が聞こえた。


 実際には砂粒が屋根に当たる音なのだが、彼にはもうそれさえ分からない。


「うるせえ雨音だな・・・」


 砂の海の真ん中で鬱陶しいほどの雨音を聞きながら、彼の意識はこの世から離れて行った。




 その日の夕方、救助隊は墜落したジェット機内の損傷した十人の遺体と、沙漠の中で砂に埋もれかけ倒れていた三人の亡骸を回収した。


 最後に発見されたケンイチが冥った沙漠の砂除け小屋は、大きなオアシスの町へ砂丘一つ越えれば辿り着ける場所にあった。



 ケンイチがいつも見上げていた交差点のメガモニターに、飛行機事故のニュースがほんの僅か報道された。


 砂の海ナルディアから遠く離れた貧民街〝ガラガラ・タウン〟には、きょうも変わらずに鬱陶しいほどの雨音がトタン屋根に響いていた。




                    了

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