第一章 悪魔にとり憑かれた子供

訪問者


 郁が小夜の家に通い始めてから二週間。毎日ではなかったが、週に三、四回は呼び出され雑用をさせられていた。大学や自宅から中延はそれほど遠くないため、特にアルバイトもサークルもしていない郁は、予定がバッティングすることもなく言われるがままに三〇四号室へと通っていた。

 依頼されることも料理や掃除、洗濯といった家事に加えて、ブルーチーズのお世話、また小夜が作っているという怪しげな〝もの〟の発送など多岐に渡った。ソファーの後ろの部屋が寝室兼小夜の作業部屋になっている。扉側にある大きな棚から売れた商品を取り出して、ものに合わせてレターパックや段ボールに詰めて発送をしていた。依頼はそれっぽくメールで来ることもあれば、ネットの海に建築された怪しげなホームページから購入されることもあり、果てはメ〇カリでも売りさばいているようだった。魔女の道具をそんな簡単に売っていいのかと、郁は一度小夜に聞いてみたが、


「変に使うやつが悪いだろ、道具に罪はない」


 とのことだった。本当に良いのだろうか。メール依頼の中には同業者からの相談もあるようで、時々海外あてに送ることもあった。本当に何者なんだこの人は、と英語やドイツ語やよく分からない言語で荷物を送りだしながら郁は首をかしげるばかりだった(時々某メッセージアプリでの依頼メッセージから送付を頼まれることもあり、さらに気軽なコミュニケーションで危なげなくこういった人たちもやり取りをするのだと郁は妙に感心した)。


 その後も何度か小夜のことをどのくらい信じているのかと郁は考えてみたが、正直よく分からなかった。自分の悩みを自分が知る以上に当てたのは紛れもない事実だが、郁はその目で天使を見たわけではないしペガサスなんぞ助けた記憶もやはり残っていない。自分でも根拠のない何かに、だけども彼女が道しるべになるような気がして、郁は今日もここに勤勉に通っているのだった。

 怪しいもの揃いの棚を漁っているときは何をしているのだろうと我に返るときもあるが。


「小夜さん今日発送予定のアレシオメータがないんですが」

「あれは細かい作業が必要だから特注品にしている。昨日作ったところだから作業台の上にあるだろう。全く最近は物語に影響を受けて変な依頼が多すぎる」


 小夜の最近のお気に入りゲームはポ〇モンらしく、モンスターを戦わせているのに忙しいらしい。ここ一週間は一日中ゲームをしていたいと漏らすことが多い(そうでなくても毎日ゲーム三昧だが)のに、特注の依頼でこの機嫌の悪さの理由がわかった。それでも商売のため必ず完成させるのが、ずぼらなのかしっかりしているのかよく分からないところだ。


「精密機械だ、プチプチで包装してクッション材を巻いておいてくれ」


 職権乱用で宛先を見ると、何度か見たドイツの住所が書かれている。詳細は聞いていないが、魔女が多く集まる場所らしい。丁寧に包装し、少し小さめの箱に緩衝材と合わせて詰め込んだ。あとは簡易的な木製杖が二本に、小瓶に入った毒々しいピンクの薬が一つそれぞれ発送すれば今日の分はおしまいだ。この家で一番魔女らしい棚の上部はガラスの開き扉になっており、完成した薬や道具のストックが並べられている。その下は三段の引き出しになっていて、一段目には完成した道具が、二段目には素材、三段目には容器や紙、発送用の包装材が詰め込まれている。どこもすごい量が押し込まれているため、探すだけでかなり億劫だった。


「キャン!」

「ブルーチーズお腹すいたのか」


 郁の来ていたニットが後ろに引っ張られる。梱包したものをリビングに置くと、キッチンにドッグフードを取りに向かった。水入れもエサ入れもすっからかんになっていたので、どちらも程々に入れておく。


「こんなに商品のストックがあるのに、店を構えて売ったりとかはしないんですか?」

「面倒だろ、人前にそれほど出たくないし。昔は店をしていたこともあったが、これだけ接触なく物が売れる時代だ。わざわざ厄介なことはしたくない」


 ゲーム画面からノールックで答える小夜に「理由はそれだけではないだろう」と喉まで出かかった郁だったが、ぐっとこらえてドックフードの保存容器のふたを固く締めた。


 ピーンポーン


 安っぽいインターホンの音が部屋に響いた。音符マークのついたシンプルなインターホンを、郁は何度も入口の扉で目にしていた。最近はモニターのついたものが主流だが、ここは魔女の家だ。本気を出せば小夜が追い払ってしまうのだろう、多分。


「だから私は来客が嫌いなんだ。大体煩わしいものが舞い込んでくる」

「煩わしい筆頭ですいませんね。とりあえず出ますよ」


 嫌味をいれつつ、小夜に許可を求める。よいとも悪いとも言われることはなかったが、小夜はテレビの電源を落としたため了承を得たと判断し玄関へと向かった。

 ドアを開くとそこにいたのは子連れの夫婦だった。まだ三十代前半に見える夫婦は当惑した表情でそこに立っていた。


「あの……紹介されてきました。ここには相談に乗ってくれる人がいると」


 夫が小さく弱弱しい声でそう言った。あの占い師がまたこの家に困り人を寄越したのだろう、郁はどうぞと言いながら一家を部屋の中に案内した。

 夫は眼鏡をかけた大人し気な男で、わずかに身体を揺らしながらこちらの様子を伺っていた。元々瘦せ型なのかもしれないが、それを差し置いても身体は見るからにやつれていて顔色が悪い。妻の方は少し明るめの茶色の髪にゆるくパーマをかけており、花柄の上品なワンピースを身に着けていた。こちらもとても健康的とは言えず、晒されている腕なども細くあまり食事がとれていないのかもしれない。夫と同じくおびえているのか、自分自身を守るようにして両肘を抱えている。


 その中でも飛びぬけて異様なのは子供だった。郁の三分の一ほどの大きさの子供は全くの無表情で、こちらをじっと見つめている。黒いストレートの髪に大きな瞳を持ち、ピンク色のワンピースを着用している。見目は年齢相応といえるだろう。だがその冷たい視線に郁もまた得体のしれない恐れを抱いていた。




 流石の小夜も今回はソファーを譲ったらしい。三人をソファーに座らせると、自分はローテーブルのそばにあるクッションに腰を下ろした。郁は対面に座り水出しで作るようになった麦茶をグラスに人数分注ぐと、ローテーブルに並べていく。


「で、本日はどのような用件で?」


 いつもはくたびれたTシャツとジャージを着ている小夜が、今日は新しいものにジーンズを着用していたのも来訪者の予感があったのだろうかと、雇い主の姿の違いに郁は気づく。予言か占いか分からないが、なんとなくそんな気がしていた。


「私は田中篤と申します。こちらは妻の夏希。今日はこの子、歩生あゆむのことでお伺いいたしました」


 紹介された歩生は人形のようにピクリとも動かず、ただ真っすぐにソファーに座っていた。小夜が少し眉を顰める。


「見ての通り非常に大人しい子供なのですが、つい半年前までは年相応に笑顔を見せ、よく遊ぶ子供でした。ある日の夜家で倒れ病院に緊急搬送されました。すぐに意識は回復したのですが、しばらくするとこのように全く表情を変えなくなってしまったのです」


 夏希が慈しむように歩生の手を握るも、本人はまるで反応しなかった。あれほど騒がしいブルーチーズはご飯を食べた後にこちらに近寄り、小夜の隣にじっと構えた。その目は歩生を見つめているように見えたが、叫ぶことに特化したこの小動物に考えすぎかもしれない。


「医者にも勿論かかりましたが、特出して異常はないとのことで私たちも途方に暮れています。精神的に何か負荷がかかったような出来事もなく、私たちもどうしたらよいのか分からなくなってしまっていたところに貴女を紹介されたのです。どうか歩生の感情を治していただけないでしょうか」


 小夜はじっと歩生を見つめていた。両親の言葉は全く耳に入っていないのか、じっと向かいの壁を見つめている。焦点は合っていないが、歩いてこのソファーに座ることができることから、身体を動かすことは自由にできるようだ。ただ両親が深刻そうに自分のことを話していても、表情一つ動かすことはなかった。


「会話は?」

「全く。話していることを理解はしているようなのですが、言葉を発することも、意思表示もなくなりました」


 ふーん、と何かを見極めるように歩生を見つめる小夜。特に近寄ることもなくただただ様子を見ているようだ。ふとその視線が正面の郁に向いた。


「君、ガラス戸の右端にある無色の液体が入った透明な小瓶を持ってきてくれ。緑色のタグが付いているはずだ」


 言われるままに小瓶を取り戻った郁が小夜にそれを渡そうとするが、小夜は首を横に振った。


「治療系は君の方が得意だろ? 一度君が診てみるといい」

「え。じゃあこの薬は?」

「大体の君の持つ加護の仕組みは分かったから、軽い反動を抑える薬だ。まあ視力を取られるほどの反動はどうにもならんが、軽い傷くらいなら何とかなるだろう。無理に治そうとせず、まずはどうしたら彼女が治るのか探れ」


 天使の力と引換になる薬……一体この薬は何で出来ているのだろうか、考え始めると恐ろしくなってくるため、郁はわざと思考回路を停止させ目の前の少女に向き直った。


「ええと、あなたは?」

「彼は私の弟子とでも思っておいて頂ければよい」


 郁が答える前に小夜が返事をした。魔女の弟子が天使の加護付きなんぞ訳が分からないが、仕方なく郁はソファーに座る歩生の前に膝をつくと、彼女の手を両掌で包み込んだ。ぞっとするほど冷たい手だった。比較的体温が高い子供とは思えない、冷え性の手なんか比ではなく、人の体温を奪うような底冷えする冷たさだった。


 目を閉じて神経を彼女の手に集中させる。久しぶりに行う治療の手順がなんだか新鮮だった。感覚だが表面上見えない病に対しては相手の手を取り体の中から悪い箇所を感じ取る。そこに自分の力を流し込むイメージで相手の病を濯いでいく。歩生の悪い箇所は身体の中心・心臓だった。郁の身体をめぐる暖かい力をそのまま歩生に流し込んでいくが、ぱっと郁の身体に衝撃が走り郁はそのまま手を放してしまった。傍にいた両親は驚いていたが小夜は想定内だったのかまんじりともせず郁の方を向き所感を待っているようだ。


「……なにかに弾かれて治せないです」

「今までにそんな経験は?」

「ないです。何か壁のようなものを感じました」

「相性が悪いのか?」


 心騒ぎを感じる郁をよけて、今度は小夜が歩生に近づいた。


「治癒の力を弾き、心臓にとりつくねえ……」


 小夜は怪訝な顔をして歩生の瞳を下から覗き込んでいた。望遠鏡を覗いて目当ての星を探すように、じっとその黒い目を眺めている。

 数分後小夜は口を開いた。


「ここで対処を行うのはあまり芳しくなさそうだ。後日ご自宅にお伺いしてもよいか」


 歩生の両側に座る両親に小夜は問いかけた。


「歩生のためなら構いませんが、いったい何をされるのですか?」


 不安そうに夏希が訪ねた。小夜は全く無神経にもニヤリと笑って言った。


「悪魔祓いだよ」

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「中延四丁目 キャトルセゾン三〇四号室」には魔女がいる しーらかんす/空棘魚 @shinkaigyoyo

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