第29話 冷水

「本日は皆さまに、治療院、孤児院へと赴いてもらいます」


 慣れてきた朝食を終えると、今日は部屋に戻される前に、テレーズから話があった。


「部屋に戻ったら、前日部屋長にお渡しした修道服に着替えてもらいます。その後、治療院で療養の手伝い、孤児院で子供たちの世話を体験してもらいます」


 以前から伝えられていた話だが、周囲は少しばかり騒めいた。


 傷病者の療養、子供の保育、すべて従者がやって当たり前の世界で生きてきた者達にとっては、あまりに慣れない活動である。


「どういったことをするのか、具体的には現地でお話しします。準備ができ次第、講堂に集まってください」


 テレーズはそう言うと、少しばかり視線を鋭くした。


「傷病者、及び孤児たちはとても繊細です。どんな立場であろうと、くれぐれも、失礼のないように。良いですね?」


 その厳しい言葉は、主に騒めいている人たちに向けられており、周囲は一気にしんと静まり返った。


「午後は、ちょっとした野外実習を準備しております」


 視線を普通のものに戻して、テレーズはそう言った。


「それでは、解散してください」


 その合図を聞いて、再び周囲は騒がしくなった。





***





「"具体的"の部分を、今話しておいてほしかったですね」


 部屋に戻るなり、二人は従者の手を借りながら、早速修道服へと着替え始めた。

 この修道院のあちらこちらにいる修道女たちとは違って、頭巾の無い簡易的なものだ。


「そうね。今日は、二人の手をたくさん借りることになるかもしれないわ」


 そう言ってエリーヌが見るのは、カミーユと、ベネディクトに付いている従者だ。


「問題ありません。その為に付いておりますので」


 カミーユが淡々とそう述べ、もう一人の従者もそれに追従するよう頷いた。

 こういったときの為にペアを組んだと言っても過言ではない。

 看病や子供の世話など、エリーヌ達にとっては未知の領域。

 彼女達従者の手を、積極的に借りる必要がある。


「我々が主となって活動をし、簡単な仕事をお任せしたいと思っております。お二方の理念に背いてしまうことになりますが……」

「こればかりはどうしようもないわ。できる限りのことを、積極的に行いましょう」


 慣れないことを積極的にやって、結果失敗して醜態をさらすよりも、できることを少しでもやった方が良い。

 そう結論付けて、エリーヌ達は準備に勤しむ。


 思えば、エリーヌは自分のすぐ近くに、病人の母を持つ人物が一人いる。

 まるで、彼女の為に用意された場のようだ。


(……それぐらい、優遇されていてもいいでしょう)


 クロエは今まで、母の看病を積極的に行ってきただろう。

 だが、そもそも最愛の母が病に侵されるなんて不幸が訪れなければ、そんなことはしなくて済む話。

 やらなくていいのなら、それに越したことはない。

 そんな彼女にささやかながら報われる機会がやってきた。

 そう結論付けて、エリーヌは準備に勤しむのだった。





***





 教会は協会。そんな言葉が生まれたのは、この治療院があるからと言っても過言ではない。

 教会が複合施設になったのは、とある神父がそういった活動をして信仰を広めたことがきっかけだ。

 とはいえ、すべての教会にあるわけではない。

 王都では、人が集まりすぎて管理しきれず、やむなく廃止となっている。

 それだけ、金が無くて病院にかかることができない貧困層の拠り所となっているのだろう。


「ここから先は、負傷した方々が集まっている病床です」


 テレーズによって治療院のなかへ連れてこられ、一つの部屋の前に着いた。


「病に罹っているわけではないので、安心してください。皆様には、ここから先にいる患者の方々の看護を体験していただきたいと思います」


 そう言って、彼女は病室の扉を開けた。

 ベッドが左右一列に並んでおり、そこには体に包帯を巻いた人が多数いる。


「おはようございます、皆様」


 手をパンパンと叩き注目を集めたのち、彼女は視線をこちらに向けてきた患者たちに向かって、行儀よく挨拶をした。


「今日はステイム領からはるばるいらっしゃった、聖リリアム女学園の生徒たちに来ていただきました。よろしければ、彼女たちに有意義な時間を分けてあげてください」


 さすがは、王都で有名な修道女の言。あるいは、前々から話を聞いていたのか。

 患者たちは現れた生徒たちに向かって拍手を送ってきた。


「歓迎してくださっています。話を聞くだけでも構いません。自らすべきことを見つけて、彼らに寄り添ってください」


 それが看護というものだ、と言った様子で、彼女はそう言った。

 てっきり看病の手伝いをする者だと思っていた生徒たちは、周囲と目を合わせて戸惑う様子を見せた。

 しかし、クロエを中心とした、看病に多少の知識がありそうな面々が徐々に動き始めた。


「なにか、お手伝いすることはありますか?」

「おっ、ありがてぇ。それじゃあ――」


 彼女たちに声を掛けられた患者たちは、各々彼女たちができそうなことを手伝いとして挙げてきた。

 それに従って、肩や足を揉んだり、足浴の準備に手を貸したりし始めた。

 その様子を見て、エリーヌ達も動き出した。


「お手伝いすることはありますか?」


 ベッドに足を延ばして座っている一人の男性に、カミーユがそう言って声を掛けた。

 ベネディクトたちは、他の患者に声を掛けに行ったようだ。


「ああ、そうだな……包帯を変えてくれるか? 一人じゃ難しくてな」

「分かりました」


 その言葉を聞いて、新しいさらしを看護婦であるシスターからもらい、男の足に巻き始めた。

 どうやら骨折をしているようだ。棒で固定しながら、足にぐるぐると包帯を巻く。


「……どっか、良いところのお嬢さんなのか?」


 カミーユに教えられながら、手慣れない様子で包帯を巻いているエリーヌを見て、男はそう聞いてきた。


「ごめんなさい。あまり上手にできなくて」

「いや……」

 

 半ば彼の言葉を肯定するように謝罪してきたエリーヌに対し、男は肩を竦めた。


「嬢ちゃん、名前は?」


 他愛の無い会話をしようと思ったのだろう。男はそう聞いてきた。


「エリーヌ・リクニス・シャントルイユと申します」


 ひとつ前の質問の答えにもなるだろう。

 エリーヌは家名を含んだフルネームで名乗った。


「シャントルイユ……」


 その名前を聞いて、男は目を見開いた。


 バシャッ!


 そんな音がして、エリーヌの頭は唐突に冷えた。

 比喩ではない。

 前髪と後れ毛の先から、ポタポタと水が滴り落ちる。


 水をかけられたことに気が付くのに、刹那でも時間がかかった。


「エリーヌさまッ!」


 唐突に向けられた鋭い悪意からエリーヌを守るように、カミーユがエリーヌの前に飛び出してきた。

 だが遅い。水を掛けられた時点で、悪意の剣先は既にエリーヌの元に届いたも同然。


「俺は……俺はなぁッ! お前のとこの大臣の政策で、職を失ったんだよ!!」


 怒りを露にした男が、手に持っていた水差しを床に叩きつけ、カァン!という音が辺りに響く。

 掴みかかろうとするが、己の足が自由に動かないために手は届かなかった。


「そのせいでまともに養えなくなって、もう娘の顔も見られねぇ!! それを、何だぁ? わざわざこんなところにまで来て、俺を笑いに来たのかッ!!」


 怒声と水差しが転ぶ音を聞いて、周囲にいた生徒も患者も、皆一斉にこちらを見た。


「この方に、それらの如何を決める権はございません。どうかお許しください」


 その注目は、否応なくエリーヌの身体に刺さった。

 彼を宥めるカミーユの声は、あまり耳に入らなかった。


「何事ですか!?」


 騒ぎを聞きつけたシスターたちが、エリーヌ達と患者の間に割って入った。


「ジョスさん、落ち着いて下さい」

「離せっ! あいつは……」

「貴女達は一度、外に出てください」


 男の尋常でない様子を見て、ひとりのシスターがエリーヌ達にそう言った。


「はい。エリーヌ様、行きましょう」

「……」


 カミーユに引っ張られるようにして、エリーヌは病室を出た。

 自分に罵声を浴びせる男の言葉と周囲の喧騒は、段々と離れていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎週 土曜日 18:00 予定は変更される可能性があります

魔女と狼は月下で笑う 庄司 篁 @hatsukanezumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画