第28話 一段落

 星下寄宿が始まって以来悩まされていた、噂による情報戦。

 その正体は、下剋上を狙った中堅派閥による、ある種の罠であった。

 しかし、エリーヌはその正体を看破。彼女たちの作戦は失敗に終わり、上位三派閥は大きなダメージを負うことなく済んだ。


 ついでに言えば、何の妨害も無かったことで資料館巡りは捗り、レポートに関してはテレーズから"優"の評価を得ることができた。

 騒動を事前に防ぐことができなかったのは悔やまれるが、星下寄宿の前半を何とか乗り越えたと言えるだろう。


「それで、貴女の方はどうだった?」


 エリーヌが控えめな声でそう聞く相手は、もちろんクロエ。

 昨日と同じ部屋に、今日はわざとタイミングを合わせて集まった。


「案の定、言い争ってた。それに割って入って、一件落着だな」


 彼女はやれやれと肩を竦めながらそう言った。


 エリーヌが緑葉会の足止めをしたとて、あの二派閥が言い争うことは目に見えていた。

 騒ぎが大きくなれば、どちらにせよシスターの耳に入ってしまう。

 そこで、クロエの出番だ。

 エリーヌの代わりに、その二派閥の喧嘩を止めてもらう。そうすることで、騒ぎを小火のまま終わらしたのだ。


 勿論、平民派閥が間に入ることで、逆にヒートアップしてしまう可能性も考えた。

 そこは、エリーヌの意図をきちんと汲み取って行動した、クロエの裁量がよかったということだろう。


「そんでもって、やっぱりシスターは気づいてたな」

「あら」

「私が仲介してるのを、傍から見られてた。それをあの二人に指摘したら、すんなり資料巡りに戻ったぞ」


 クロエがそう言って、フッと不敵に笑った。


「おかげで、あのシスターからお褒めの言葉をもらった」

「なんて言われたの?」

「『良い心がけだ』ってさ。誰かが止めるのを待ってたんだろうな」


 エリーヌが二派閥の喧嘩において第三者に徹した理由。

 もう一つがテレーズだ。


 彼女は今晩も同じく、部屋長を集めて、彼女たちに班員の状態を聞いていた。

 そんな状況で、『噂』と化していたあれらの嘘が、シスターの耳に入らないわけがないとエリーヌは踏んでいた。

 シスターに報告すれば、それは一種の攻撃となる。


 テレーズが又聞きの噂を、真正面から信じるとは思えない。

 何かしら試すようにして真偽を確認するだろう。というのが、エリーヌの予想であった。

 クロエの言葉からして、それもまた正解だったようだ。


「大丈夫か? 敵に塩を送るような真似をして」


 ニヤリと笑って、クロエがエリーヌにそう言った。


「レポートの評価を鑑みれば、これで五分五分と言ったところ」


 エリーヌもまた不敵に笑った。


「後半戦が楽しみね」





***





「おかえりなさいませ、エリーヌ様」

「ただいま」


 クロエとの密談を終えて部屋に戻ると、ベネディクトがそう言って迎えてくれた。


「本日はお疲れ様でございました。派閥間の問題に気を配りながら、調べ学習をなされるなど、大変だったでしょう」

「そんなことはないわ。有意義な時間だった」


 ベネディクトの労いを受け、エリーヌはそう言った。


「先程、鳥蝶会と湖白会の方への説明を済ませて参りました。沙汰はお任せするとのことです」

「ありがとう。既に釘は刺しておいたから、特に何か沙汰を下すつもりはないと」

「畏まりました。明日の朝食ごろ、そのように伝えておきます」


 美味しいところを戴いたからには、アフターフォローをしておかなければならない。

 鳥蝶会と湖白会に対する今回の噂についての説明を、ベネディクトに任せた。

 緑葉会は既に、エリーヌの圧に屈服している。無駄に報復して、かえって反感を買ってはいけない。


「しかし、今回は風紀会が動いて下さってよかったですね。こればかりは賭けでしたから」

「そうね。でも、耳ざとい彼女たちの事だから、きっと動くとは思っていたわ」


 実際はクロエに頼んで動いてもらったのだが、それをベネディクトに伝えるわけにはいかなかった。

 二派閥の仲裁を、風紀会が見つけて請け負ってくれることに賭ける、とベネディクトにはそう伝えた。


 そんなこんなで今日の反省をしていると、消灯時間を知らせる鐘が鳴った。


「そろそろ寝ましょうか」

「ええ」


 そう言って、二人が布団に入るのを見て、従者二人が部屋の灯りを消した。

 

「……そういえば、エリーヌ様」

「?」


 目を瞑る前に、ベネディクトに声を掛けられて、彼女と向き合うように寝転がった。


「以前おっしゃっていた、"恋文"の件は、あれからどうなったのですか?」


 随分と前のめりに聞いてくるので、何か重要な話かと思えば、ずいぶんと他愛のない話だ。

 エリーヌは声を殺して、くぐもった声で笑った。


「勿論、あの後しっかりと従者たちが追い払ったわ。わたくし、顔も見ていないのよ」


 まだクロエが屋敷にやってくる前、家の門前にエリーヌ宛の手紙を置いていった者が居たのだ。

 何事かと警戒して、使用人たちが開けてみると、そこにはエリーヌへの恋慕の情がつらつら。

 それなりの家柄の者だったが、後日ふたたび手紙を置きに来ようとしたところを、守衛がしっしっと追い払ったのだ。


 そんな話を以前ベネディクトにして、結末を言っていなかったのを思い出した。


「そ、そうなのですか? 結局、何処の者だったのです?」

「わたくしもよく知らないのだけれど、ロザの生徒みたいよ。帰り際に、わたくしの事を見かけたんですって」

「豪胆な方もいた者ですね……」


 友と一つ屋根の下で過ごすのだ。

 こういった話の一つや二つ、いつかしたいと思っていた。

 前日は噂騒動のせいでそんな暇はなかったが、今日はもうそんなことを気にしなくてもいい。


「ベネディクトは、何かないの?」

「わ、わたくしですか?」


 エリーヌがそう聞くと、ベネディクトは恥ずかしそうに、布団で顔を半分ほど隠した。


「相も変わらず、男性の方はあまり得意ではないのです……」

「あらあら。まだ治っていなかったのね」

「はい……お父様が、良い縁談を持ってきてくださるとよいのですが」


 ベネディクトには男兄弟がいない。

 彼女の父親は、彼女の姉に婿入りしてきた人に家督を譲るようだ。

 そんな彼女の父はとても厳しい人物なので、ベネディクトの中で男性とは怖いものという印象が強いのだろう。


「エリーヌ様はきっと、家柄も器量も良い殿方と、縁談なさるのでしょうね」


 ベネディクトが羨望の眼差しを向けながらそう言ってきた。


 公爵であり、現王の側近として名高い父。

 そんな家の者として、そういった羨望は受けて当然だが……。


「……どうかしら。父上は、あまりそういったことには関心がないから」

「そうなのですか?」

「ええ。それに、首席を取ることができたら、また話は変わって来るでしょうし」


 エリーヌはそう言って、ベネディクトに向けていた顔を、天井の方へと向けて仰向けになった。


「そうですね。今は目先の事を考えませんと」

「ふふ、そうよ。その為に、そろそろ寝ましょうか」

「はい。おやすみなさい」


 夜の秘密の恋話はそこで終わり、二人共目を瞑った。


「……」


 ベネディクトの寝息を聞いたのち、エリーヌもまた夢のなかへと落ちていった。

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