第27話 噂の正体
朝。廊下に響く鐘の音によって目が覚めた。
いつもと寝心地の違うベッドで、良い眠りであったとは言い難い。
だが、暑くなってきたこの季節に、涼やかな空気と共に起きることができて、良い目覚めであったとは言えよう。
「おはようございます、エリーヌ様。早速ですが、お支度を」
「ええ」
星下寄宿では、いつもの朝ほど余裕はない。
素早く用意を済ませて、次の鐘が鳴ったらすぐに部屋から出るようにと言われている。
顔を洗った後、制服に着替えさせられ、髪を整えてもらう。
エリーヌの横では、ベネディクトも同じように従者の手を借りて支度をはじめようとしていた。
「おはよう、ベネディクト」
「おはようございます、エリーヌ様」
いつもと違う朝から、今日が始まる。
朝の支度を終えて部屋の外に出ると、同じく準備を終えた者達が部屋から出てくるところだった。
だが、エリーヌ達よりも早くに準備を終えた者達も多く、廊下には既に多くの人がいた。
そして、何やら騒がしい様子。
「――だから、どうして我々がそのようなことをする必要があるのですか!」
「で、でも、湖白会の人達が……」
「っ! やはりあの者達の陰謀ですか……!」
聞き耳を立ててその騒動を聞くと、どうやら騒ぎの中心にいるのは鳥蝶会のようだ。
声を荒げているイヴェットや他の鳥蝶会中心人物たちを、彼女たちの派閥に属している他の者達が宥めているようだ。
「エリーヌ様」
「ええ。予想通りになったわね」
二人は静かに耳打ちをしつつ、あえてその騒ぎを避けるようにして、食堂へと向かい始めた。
これは、エリーヌの予想の範疇。むしろ、彼女が考えているシナリオ通りに動いていると言っても過言ではない。
そして、今この場では行動を起こさず、様子見に徹する。
食堂に人が集まり始めた頃には、騒がしかった者も落ち着いて、静かに席についた。
此処ではシスターの目がある。注意を恐れて、この場では沈黙を取らざるを得ない。
だが、鳥蝶会の表情は苦々しく、それが食事の質から来るものではないことがはっきり分かった。
「食事を終えた者は早急に部屋に戻り、前日部屋長に伝えた通りに、外出の準備をしてください」
そんな声掛けがされて、食事を終えた者達はそそくさと部屋に戻った。
昨日の夕食後ほど時間の余裕はなく、先ほどの騒ぎも再び起こることはなかった。
***
旧フィーコス教会遺構保存館。およそ300年前に存在したという大聖堂遺跡と、その資料を多数保管している資料館だ。
50年ほど前、とある冒険家がこの地に赴いた際、この大聖堂の遺跡を発見。
詳しく調べてみると、この聖堂には大規模な地下室が存在しており、そこには300年前の遺物となる物品が多数眠っていた。
土地の所有者は、この遺物発見により得た資金で、現フィーコス教会を設立。また、この田舎の地へ多数の人を招くために、遺物を展示する資料館を造った。
重要な文書や遺物は国が保管しているが、美術品など骨董の類がこの資料館で見ることができ、今でも好事家がわざわざ王都から足を運ぶこともある。
「――というわけで、まずは皆さんに、この資料館を巡ってもらいます」
教会から馬車で資料館に到着後、テレーズの案内と解説を聞きながら、資料館中央のロビーへとたどり着いた。
「ここからは、主に班別行動といたします。班の皆様と協力して資料を探り、レポートのテーマを考えてください。教会の鐘が2回なったら、この中央ロビーに戻ってくるように」
テレーズはそう言ってパンパンと手を叩き、解散を促した。
皆各々班のメンバーと集合し、それぞれ違う方向へと歩いて行く。
シスターの目が離れ、暫くは自由の身になるこの時間こそ、派閥がぶつかり合う最大のチャンス。
この隙を狙って、朝の騒ぎの続きが起きることは目に見えている。
そしてこれこそが、犯人の思惑であった。
「こんにちは、ドロテさん」
「っ!?」
エリーヌが声を掛けたのは、今まさに動こうとしていた一つの班。
そして、その班のリーダーであり、この班を構成するサロンの代表。
「え、エリーヌ様……!?」
声を掛けられた彼女は、声を掛けてきた主を見て、みるみる青ざめていった。
「よろしければ、この資料館巡り、ご一緒しても?」
彼女こそが、この噂騒動の犯人である。
***
ドロテ・オレア・アデール、緑葉会の代表。
第一回サロン交流会では、名前も挙がらなかったサロンだ。
代表者が爵位を持った家の出自ではあるものの、三大派閥のトップと並ぶほど、何か特筆すべき特徴があるわけでもない中堅のサロン。一応、湖白会達調和派の一派に属している。
「まあ。この絵画、素晴らしいわね」
「え、ええ。そうですね。エドワール期のものでしょうか」
そんな彼女が、三大派閥の一派、ひいては貴族派閥のトップに君臨しているエリーヌの要望を無碍にできるはずもなし。
畏れ多いと言わんばかりに縮こまりながら、エリーヌ達華月会の班について行っている。
一体、この騒動の正体は何なのか。
答えは簡単。純然たる派閥争いの一環だ。
彼女たち緑葉会こそ、三派閥に対する噂を流していた張本人。
まるでどこから湧き出たのか分からない他愛のない噂のようで、その実彼女たちが主となって流していた。
そうすることで、情報戦を勃発させ、派閥同士をぶつける。
それだけではない。情報の流れを緻密に調整し、この班別行動のタイミングで三派が一挙に集まるよう操作した。
そして、そこにシスターをぶつけることによって、三派に同時に大きなダメージを与えようと企んでいたのだ。
その思惑を潰すために、エリーヌ達はこうして彼女たちに付いている。
「ドロテさんには一度、お声掛けしたいと思っていたのです」
「わ、わたくしに……何故でしょうか」
「この度の基幹科目総合テストにおいて、優秀な成績を残しておられたので。この資料館巡りでも、何か良い視点でもって、物事を見てくださるのでは、と」
エリーヌがそう言うと、再び彼女たちは顔を青くした。
何故、中堅の彼女たちがこんな騒動を起こしたのか。そして、何故エリーヌはこの騒動の犯人が彼女達だと分かったのか。
そう、それは彼女たちの成績に由来する。
ドロテは中堅の派閥でありながら、前回のテストで五位を取った。
一位がエリーヌ、二位がクロエ、三位がベネディクト、四位はイヴェットである。
そして、五位のドロテの下に、クリステルがいる。
先に述べておくと、これには理由がある。クリステルはこの時期、家業である医学、その専門分野の試験を控えていた。
そちらの方を優先していたため、基幹科目のテストでは成績が振るわなかったのだ。
いつもならば、イヴェットの上にいることの方が多い。
これを、下剋上だと彼女たちは勘違いした。
そして、エリーヌ達もそれを以前から警戒していた。立場を覆せると思った彼女たちが、何かを仕掛けてくるかもしれないと。
そんな最中、噂を流している人物の名前に、緑葉会に所属している者の名前が挙がった。クロエが記憶していた人物が、彼女達だったのだ。
こうなれば、途端に彼女たちが怪しくなる。彼女たちには騒ぎを起こす動機があるからだ。
その疑惑を確信のものにするべく、もう一度手洗い場にクロエを向かわせ、エリーヌ自身でも確認をしたところ、やはり彼女たちがいた。
皆噂の内容に気を取られて、噂している者達を知ろうとはしなかったのだろう。
その盲点を突き、うまく情報戦を操作していたのだ。
「……大変、畏れ多いことにございます。一位を取られたエリーヌ様の点数には、足元にも及びません」
「謙遜する必要はありません。学園で、10本の指に入っているのですから」
「い、いえ……」
いくらそうやってエリーヌが言えど、彼女たちは調和派の傘下であり、中堅層の派閥であることに今のところ変りはない。
そして、その状況を覆すべく行動していたところに、見計らったようにエリーヌが声を掛けてきたのだ。
彼女たちも、計画がエリーヌにばれてしまったことを既に悟っている。
「次に参りましょうか。よろしければその知識、存分に発揮してくださいね」
試すようなエリーヌの言葉に、彼女たちは敗北を確信したのだった。
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