第26話 情報戦

 入浴を済ませ部屋に戻り、寝る支度を整えた部屋長から、順次リネン室に向かう。

 途中、制服から寝間着に着替えた他の部屋長達とすれ違った。中には、エリーヌ達より一足先に入浴を終えたクリステルの姿もある。

 皆いつもの制服姿とは違い、それぞれ違った寝間着を着ていて新鮮だ。

 ここに来てから、学校とは違う普段の生徒たちの姿を見られて、目新しいことばかりだ。


「……あら」

「……!」


 リネン室の入り口付近、エリーヌが歩いてきた反対側から来たのは、クロエだった。

 そういえば、彼女とはさほど部屋が離れていなかった。

 エリーヌは支度を終えてから少し話をしていたので、遅れて彼女と鉢合わせになってしまったようだ。

 彼女はいつも屋敷で着ている用意された寝間着ではなく、シンプルなシャツに七分丈のズボンを履いている。


「二人でも構いませんので、どうぞリネン室に入ってください」

「あっ、はい」

「……失礼します」


 立ち止った二人を催促するように、リネン室の近くにいた一人のシスターがそう声を掛けてきた。

 思わぬところで関わることになってしまい、クロエは気まずそうな顔をしている。

 だが、ここに居るのは学校の内情について知らないシスターだけだ。

 特に怪しまれることはないだろう。


「お待ちしておりました。部屋長の者ですね?」


 リネン室に入ると、そこにいたのはかの修道女、テレーズだった。


「はい。303号室の部屋長でございます」

「同じく、306号室の部屋長です」


 部屋の番号を伝え、籠に入った新しいリネンを貰った。

 そして、同室の者で体調不良者がいないか、何か異常がないかなどの確認をされ、それについて問題ない旨を伝える。

 慣れない環境で、体調を崩す者もいるのだろう。参加者には口煩い親を持つ貴族も多数いるので、面倒を避けるためにも、こういった確認作業が必要になってくる。


「丁度良い。お二人とも一緒に、明日の予定について聞いて下さい」


 そう言われて、二人同時に明日のスケジュールについて、テレーズから話を聞く。

 講堂で説明があった通り、明日は主に宗教学の授業だ。

 古い教会遺跡を訪ね、その近くにある遺物を収容した資料館のような場所を巡る。

 そして、基本的には班別行動とのこと。部屋にいる班のメンバーと共に、遺跡や資料について調べ、一人一つレポートを完成させる。

 そのほか朝の準備の諸注意など、テレーズは詳細に伝えてきた。


「鐘が鳴ったら、消灯時間になります。部屋のカンテラをすべて消し、以降はお手洗い以外での外出はしないように。また、部屋で騒ぐなどもってのほかですので、気を付けるように」

『はい』

「よろしい。それでは、籠をもって部屋に戻ってください」


 そう言われて、二人は一緒にリネン室の扉を開けて外に出た。

 

 どうやら、まだ他の部屋の部屋長は来ていないようだ。


「……うっ!?」


 来た時と同じように反対方向に歩こうとしたクロエの服の襟を、エリーヌは引っ張った。

 静かに、と口元で人差し指を立て、無言でリネン室付近にあった倉庫を指さす。

 開け放たれている扉のその陰に、エリーヌはクロエを連れ込んだ。


「……おい、誰かに見られたらどうすんだよ」


 響かないよう、小さく低い声でクロエがそう言った。


「大丈夫よ。足音が聞こえたら声を潜めましょう。それに、暫くは皆あちらを通るはずだから」


 エリーヌ達が入った倉庫は、先ほどエリーヌが通った廊下に面している。

 次に来る部屋長は、おそらくクロエが来た方面から来るはずだ。反対側の廊下に面している倉庫の前を、誰かが通ることはまずないだろう。


「どう? 貴女の方は。順調かしら」


 エリーヌもまた小さな声で、クロエにそう尋ねた。


「どうもこうも、まだ始まったばかりだろ。テストとは違って、明確に点数がつけられるわけでもねぇしな」


 クロエは肩を竦めてそう言った。

 彼女の言う通り、この行事の難点は、聖女模範賞を得るための基準が分からないところだ。

 我武者羅にシスターから好印象を得るしかない。


「で、そっちは? なんかあったから、私を呼び止めたんだろ」

「ふふ。察しが良いわね」


 そう聞かれて、エリーヌは例の二つの噂についてクロエに話した。

 華月会がシスターの買収をしようとしている噂と、鳥蝶会が朝食に下剤を盛ろうとしている噂だ。

 後者を聞いたクロエはあからさまに顔を顰めたが、考えるように腕を組んだ。


「……いや、両方とも無理があるだろ。つか、どっからそんな噂聞いたんだよ」

「前者は鳥蝶会から。後者は湖白会から聞いたわ。ただ、両方ともあくまで又聞きで、かつ前者も噂の出所については湖白会だと聞いているようね」

「ややこしいな」


 このややこしさが、問題を複雑化させているともいえる。

 なので、全くもって無関係というわけではないが、渦中にいないクロエに見解を求めた次第だ。


「……そういえば」


 何か思い当たるふしがあったのか、彼女はそう言って顔を上げた。


「さっきここに来る途中で、妙な噂をしてるやつらを見た気がする」

「詳しく聞かせてくれる?」


 エリーヌがそう聞くと、クロエは小さく首を横に振った。


「『湖白会が……』って言ってたことしか聞こえてない」

「そう。場所は?」

「トイレ近くの手洗い場だ。ああ、あと、お前とよく一緒にいるバラデュールも近くにいたぞ。アイツなら、話が聞こえてたんじゃないか?」

「ベネディクトが……それは、あくまで近くにいただけで、その話に参加していたわけではないのよね?」

「ああ」


 今度は湖白会についての噂が流れていたということだろう。

 なんだか、この複雑な情報戦の糸口が見えてきたような気がする。


「貴女の自慢の記憶力に、少し頼りたいのだけれど……そこで噂話をしていた者達の名前と、サロンの所属がどこか、分かるかしら?」


 エリーヌはダメもとで、クロエにそう聞いた。

 己の派閥ならともかく、他の派閥の人間の名前やサロンの所属など、覚えようと思っても覚えきれない。

 生徒は同じ学年だけで100人も居るのだ。

 だが、クロエの表情は困り顔ではない。


「覚えてる。たしか――」


 そうして彼女の口から出てきたのは、明確な情報。

 名前、所属しているサロン、そしてそのサロンの代表の名前。

 それを聞いたエリーヌは、思わず口元に笑みを浮かべた。


「……そういうことね」


 点と点はつながった。


「ねぇ。少しだけ、手伝ってほしいことがあるの。もしかしたら、貴女の為にもなるかもしれないわ」

「?」


 エリーヌは、この状況を打破する作戦をクロエに語った。





***





「エリーヌ様、例の話についてなのですが……」


 リネン室から帰ってきて早々、ベネディクトが深刻な様子でエリーヌに話しかけてきた。


「どうしたの?」

「先程手洗い場で、『湖白会があらぬ噂を撒いて回っている』と話している者達がいました。やはりこれは、湖白会の陰謀やもしれません」


 妙な噂は全て、湖白会に起因している。その噂を、ベネディクトは聞いたようだ。

 恐らく、先ほどクロエが言っていた通り、手洗い場で聞いたことを今エリーヌに語っているのだろう。

 この話は、エリーヌの予想の範疇。


「そう……その話をしていた者達が誰か、覚えている?」

「え? ……い、いえ。申し訳ございません」


 どうやらクロエとは違って、すれ違っただけの人間が誰かは覚えていないようだ。


「あら、いいのよ。気にしないで。それより、わたくしも寝る準備を済ませてくるわね」


 遠回しにお手洗いを済ますと言って、エリーヌは籠を置いて外に出た。

 

 お手洗いに向かう途中。エリーヌは何食わぬ顔をしたクロエとすぐ近くですれ違った。

 そして、お手洗いですれ違いざまに握らされた一枚の紙を開く。


『大当たり。予定通りに』


 小さな紙には、簡潔にそう書かれていた。

 その答え合わせを済ませたのち、エリーヌは手を洗って部屋に戻った。


「ベネディクト」

「はい、なんでしょうか」


 部屋に戻り、従者によって髪を梳かされていたベネディクトに声を掛ける。


「噂の正体が分かったわ」

「本当ですか!」

「ええ」


 エリーヌはベッドに腰かけた。


「明日の予定について、話し合いましょう」

 

 魔女と狼の作戦が今夜も動く。

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