第25話 噂 2

 夕食を終えたら、次にしなければならないのは入浴である。

 イヴェットに華月会のあらぬ噂を聞いてから少し時間が経ち、寄宿舎にある大浴場へ行くようにと、エリーヌ達の部屋にも声が掛かった。


 無論貴族であれば、定期的に、あるいは毎日でも風呂に入るのが普通だ。

 だが大人数で入るとなると、貴族の子女たちには全く馴染みのない体験だ。

 同性であっても少し躊躇いのある行為だが、修道女たち、ひいては平民出身の者達にとっては、特にどうということもないことのようだ。むしろ、温かい風呂に入れることに驚いている者もいた。


「ほ、本当に一緒に入浴しなければならないのでしょうか……」


 しかしながら、どうにもベネディクトは抵抗があるらしく、呼び出されてからずっと恥ずかしそうにしている。


「わたくしの身体など……エリーヌ様に、お見苦しいものをお見せするわけには」

「それは、お互い様よ。大丈夫、タオルで隠しながら入りましょう?」

「うぅ……」


 足取りの重いベネディクトの背中を押しつつ、二人とその従者は大浴場へと向かった。


 大浴場、とは言いつつも、せいぜい5、6人で入る程度の風呂場だ。

 貴族の家であれば、もう少し大きい浴場がある家もあるだろう。


 そういうわけもあって、エリーヌ達が入浴しようと脱衣所に行くと、入れ替わるように先ほどまで入っていた者達が出てきた。


「あら、エリーヌさん」


 思った通り、と言うべきか。エリーヌに声を掛ける人物が一人。


「こんばんは、クリステルさん」


 薄く湯気を立たせている肢体をタオルで隠しながら、クリステルは浴場から出てきた。

 彼女もまた湖白会の仲間と、己の従者と思わしき者を連れている。


「大浴場はどうでしたか?」


 件の話をしたい気持ちを押さえつつ、エリーヌは無難な質問をクリステルに聞く。


「なかなかによかったですよ。こうして皆と一緒にお風呂に入る機会などございませんから、新鮮で面白くて」


 彼女は仲間の面々と顔を合わせて笑い合いつつ、そう答えた。


「ただ、少し湯が熱いものですから、長湯は禁物です」

「そうなのですね。のぼせないように気をつけませんと」


 そう言って、互いに従者の手を借りながら、入浴の準備と部屋に戻る準備を始めた。

 恥ずかしそうにするベネディクトや、談笑しながら着替える湖白会の者を尻目に、彼女たちは二人で会話をした。


「――それに夕食も、いつもとは違う物と環境で、楽しかったですね」

「ええ、わたくしもそう思います。中には、満足のいかない様子の方々もいらっしゃいましたけど」


 先ほどのイヴェットの様子を思い浮かべながら、エリーヌはそう言った。


「……そう言えば、エリーヌさん。お聞きになりましたか?」


 先ほどまでの表情からは変わり、真面目な様子で声を潜めながら、クリステルがそう言ってきた。


「何でしょう」


 この会話の流れから、先ほどイヴェットから聞いたことを遠回しに聞こうとしていたのだが、やおら向こうから先に話題を変えてきた。

 そして、なにやらデジャヴな話の流れだ。


「……鳥蝶会が明日の朝食に、何やら仕掛けると」


 エリーヌはその言葉に驚きを露にしつつ、服を脱がせようとしていたカミーユの手を止めた。


「……どういうことですか?」


 クリステルの言葉は抽象的だ。一体、鳥蝶会が何を仕掛けるというのか。

 それによって、先ほどのあらぬ噂の正体が変わってくる。


「今回の寄宿で有力な者……恐らく、風紀会のにでしょう。朝食に下剤を盛り、明日の活動を妨害しようとしていると小耳にはさんだのです」


 思いの外大きな事を聞かされ、エリーヌは目を見開いた。


 鳥蝶会らしい行動だ、と言えるくらいには彼女たちは過激派だ。

 だがどうも引っ掛かる。これもまた、真実として受け止めるにはまだ早い。


「この蛮行、止めるべきかと悩んでいるのですが……」


 クリステルは真剣な表情でそう言いながら、従者の手によって着替えを済ませた。

 そして、返答を求めるようにエリーヌを見る。


「……一度、様子を見た方がよいでしょう。今の状況で、鳥蝶会がそのようなことをするとは考え難いですから」


 確かに星下寄宿は重要な行事だ。これを逃せばマイナス点であり、勝てば大きなプラス点となる。

 だが、まだ今年は始まったばかりだ。このさして切羽詰まっているわけではない状況で、発覚すれば最悪退学も視野に入るようなことを、計算高い彼女たちがするとは考えにくい。

 この話題を鳥蝶会に持ち込み、もしそれが誤りだったのなら、それはそれで別の諍いをおこすであろう。


「そうですね。そうすることにいたします」


 エリーヌの答えを聞いたクリステルは身支度を終え、エリーヌ達に礼をして去って行った。





***






「一体、どうなっているのでしょうか……」


 無事に入浴を終え、部屋に帰ってきた二人は、先ほどクリステルから言われたことについて話し合っていた。


「鳥蝶会は、湖白会が我々の妙な噂を流していたと言っていました。そうなるとやはり、クリステル様による謀りとしか……」

「でも、彼女がそのようなことをするとは、あまり思えないのよね」


 両者共に又聞きのようだが、主な噂の出所は湖白会だ。

 だが、調和派は穏健主義であり、このような根回しをするとはあまり考えられない。

 もし、そのような手段を選んだとしても、鳥蝶会と同じく、まだそこまでする段階ではない。

 

 鳥蝶会が何かを仕掛けているのか、あるいは湖白会が何かを仕掛けているのか。もしくは、他の人物か。

 とりあえず分かったことがあるとすれば、どうやら貴族派閥の者は、日中講堂であった出来事により、心が折れかかっているということだ。

 上を目指すことが難しいと分かった今、情報戦という名の足の引っ張り合いへとシフトチェンジしたというところだろう。

 まだ始まったばかりで何も諦めていないエリーヌからしてみれば、これこそ煩わしいと言いたくなる。


「流れている噂はすべて信憑性の低い突飛なものばかりですが、かのシスターの耳に入れば、正誤に関わらず厳しく指摘されるでしょう」

「そうね」


 噂が出回り、声が大きくなることは避けなければならない。

 そうなる前に、どうにか解決したいところだ。


「一度この話は置いておいて、わたくしはリネン室に行ってくるわね」


 エリーヌはそう言って、腰かけていたベッドから立ち上がった。


「申し訳ありません、エリーヌ様のお手を煩わせるなど……」

「いいのよ。むしろこういうところでアピールしないと」


 部屋別に班を決めた際に部屋長も決めたのだが、その部屋長は夜間にリネン室に向かうことになっている。

 そこで、明日ベッドメイクをするためのリネンを貰うのと、明日の予定についてシスターから話がある。

 長と名がつけば必然的に派閥のリーダーが選ばれるので、これはエリーヌの仕事だ。

 ついでに積極的な行動として加点されればなお良い。


「じゃあ、行ってくるわね」

「はい、お願いします」

『お願いいたします』


 ベネディクトと従者二人の頼みを受けて、エリーヌは部屋を出た。

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