いつまでも輝く母へ

吉岡梅

お母さんの逆上がり

 鉄棒に手をかけて深呼吸を一つ。その目は静かな決意で燃えている。皆が期待に胸を膨らませて見守る中、体を前後に振り始める。一振り、また一振り。リズムを合わせ勢いをつけて地面を蹴り、空中へと体を放り投げる。


 ふわりと浮かんだ体は鉄棒を中心に完璧な弧を描き、ぐるりと一回転する。わっという園児たちの歓声が響く中、太陽がその髪を金色に染め上げる。


「よーし。いけるいける。あ、塔佳とうかー、お迎えに来たよー」


 お母さんは逆上がりをした姿勢のまま鉄棒から手を振る。そして私は、周りの園児たちと一緒に駆け寄っていくのだ。


 幼稚園時代、母は幼稚園のスターだった。運動場の鉄棒の傍を通るたびに、ぐるりと逆上がりを披露して園児たちのハートをガッチリ掴んだ。あまりにも逆上がりをせがまれるので、私が卒園する頃には逆上がり後に足を着けずに連続してぐるぐる回るという大技を身に付けて喝采を浴びていた。


 後から母に聞いた話では、パパママ達にもその名声は知れ渡っていたらしく、「塔佳ちゃんのママ」ではなく「逆上がりの人」として認識されていたそうだ。


 母は園児やパパママだけから人気だっただけではなく、私にとっても自慢の母であり、大スターだった。当時の私は、母をまねて逆上がりをしようとするもののうまくいかず、ずいぶんと悔しい思いをしていた。


 それでも園児特有のしつこさで練習を続けようとした私に手を焼いた母は、ジャングルジムを使った練習方法を編み出した。ジャングルジムの格子の中から、ころあいの高さの1本を鉄棒のように握り、そこを離さぬようにぎゅっと掴む。そのまま奥の方の格子に足を延ばし、1段ずつと、手さえ離さなければぐるりと1回転できるのだ。


 自分の力だけで逆上がり(※逆上がりではない)を成し遂げた私はたいそう興奮し、延々とジャングルジムで回り続け、それはそれで手ごわかったそうだ。


 そしてジャングルジムでの逆上がりにハマった私は、”ジャングルジムを使って連続して逆上がりをし、次々に上の段に移っていくことで頂上まで達する”という架空の技を開発し、さらに、この技は母ならできるはずだと確信し、やって欲しいとしつこくせがんだらしい。正直、記憶は曖昧だが私ならあり得ると思う。


 なんでも、母が言うには、その当時、「ストラウト」もしくは「ストラット」という単語の響きかリズムかにハマっていた私は、その架空の技に「ジャングル・ストラット」という技名を付け、「お母さん! ジャングル・ストラットやって!」と連呼していたそうだ。きっと私は、初めて何ものかに自分で名前を付けた事にも興奮していたのだろう。


 いつもスーパーの野菜の棚で「スプラウト」の文字をみかけると何か心にひかっかるものがあったのだが、たぶんこれが原因なんだな、と、母の話を聞きながら私は妙な所で納得をした。


 娘のお迎えで幼稚園に来て鉄棒を目にした時、そんな思い出がうわっと頭の中に流れてきた。


「よし」


 鉄棒に手をかけて深呼吸を一つ。体を前後に一振り、二振り。リズムを合わせ勢いをつけて地面を蹴り、空中へと体を放り投げる。


 一瞬で世界が逆さまになる。そのままぐるりと視界が一周して元に戻る。元に戻っただけのはずの空が、なんだかより一層青く、広く感じられる。理由はわからないけれど、爽快だ。


 ああ、そうか。お母さんも、こういう気分を味わうのが好きで、逆上がりをしていたのかもしれない。粛々と進む1日の中で、ちょっとしたシュッとしたやつを。年を重ねるごとに、こうやって母の見ていたものに気づくことがあって、それが懐かしくて、そして、なんだか嬉しい。ちょっと癪でもあるのだけど。


 わっ、という歓声で我に帰ると、娘たちが嬉しそうに駆けてきた。何事かと顔を出した保育士さんと目が合って、鉄棒に乗ったまま会釈をすると笑って手を振ってくれた。


陽葵ひまりー、お迎えに来たよー」


 私は鉄棒の上から手を振る。娘たちに今の私はどう映っているだろうか。あの時の母のように、日の光を受けてキラキラしているだろうか。


 今でもいつまでも、輝いている母のように。

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いつまでも輝く母へ 吉岡梅 @uomasa

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