第7話 アイドルとは


「あら、アンタ、いい顔、してるじゃない」

 女神像の足下、身体を清め終えたヤスミンは夜風で身体を乾かしながら、トパズの顔を見ていた。


 この女神像は、石材が特殊で浄化効果があるらしく、雨水や地下水を綺麗な水へと常時浄化している。

 服に染みこんだ血や泥も、自然と落ちるのだ。


 浄化水のお陰だろうか。汚れがすっかりと流れ落ちたトパズは、水の冷たさに少し震えつつ、自分の着ていた服を水で洗っている。


 ボサボサで伸びっぱなしだった彼の髪を、ヤスミンが近くに生えていた木の枝を使い、簪のようにまとめたからかもしれない。

 金色の瞳、金色の睫毛、赤褐色の肌。

 なによりも、悪魔的魅力を持った美しい顔が、月の光によく合っていた。


「ありがとう」

 トパズは洗った服をぎゅっぎゅっと水を絞りながら、まっすぐなヤスミンの褒め言葉に、どこか戸惑いつつ感謝の言葉を述べる。


 ヤスミンは、首を傾げた後、口角を少しだけ上げた。

「本当のこと言っただけよ」


「さあ、私たちには・・・・・、やることは山積みなんだから、明日に備えて寝に帰るわよ」

 大層偉そうな態度でヤスミンは言い放つと、女神像の近くにあるタンスを開ける。そこには、シーツのようなただの布が何枚か入っていた。


 一枚をバサッとトパズに渡し、ヤスミンは慣れた手つきで布を身体に巻く。

 急な事だったので戸惑うトパズだったが、ヤスミンの結び方をなんとか真似しようと手を動かす。


 しかし、トパズは相当不器用だったのだろう。

 最終的に訳の分からない絡まり方をした挙げ句、ごろりと地面へと転がった。

 困ったようにヤスミンを見上げるトパズに、ヤスミンは無表情のまま、布の絡まりを解く。そして、布の両端を掴んだ。


「やることって、何?」

 ささっと巻き直している最中、トパズがポツリと尋ねる。ヤスミンはちらりとトパズの顔を見た。


「アイドルグループ作って、金を稼ぐの」

「アイドルグループ? なにそれ?」

 この世界にない言葉だ。当然トパズがわからず、純粋に聞き返してきた。

 今までは、端的に新興宗教みたいなものだと逃げてきたが、一緒に仕事していくトパズには、流石にもう少し丁寧に説明しなければならない。

 しかし、なんと言うべきか。自分の頭に浮かぶアイドル。

 美しいあの男が、夜の帳に包まれて微笑む。いや、あれはアイドルとしては、最悪の事例というのは、一度彼のせいで死んだヤスミンが一番身に染みて感じている。

 己のファン達に囁く甘い言葉・行動の数々と、気づかれないように骨の髄まで啜る精神と気遣い以外は、決して見習ってはいけない。

 理想のアイドルは、ヤスミンも一方的に知っている大事務所のアイドルたちだろうか。

 頭に浮かべた姿を、取り繕うことなく離す。


「それなりの容姿のやつらが、歌って、踊って、キラキラな世界観と愛を売って、金にする商売」

 アイドルと言っても容姿はそれぞれ。美しいだけでは売れない。寧ろ、個性的だからこそ人気になったアイドルもたくさん見てきた。

 ただ、全て共通して、彼らは眩しい世界の中にいた。


「キラキラな……?」

「光を強い小さくて閉鎖的な世界を、私たちが擬似的に作り出すのよ」


 やはり説明が上手ではないヤスミンと、理解力が皆無のトパズ。意思疎通は上手くいくはずもなく。


 数秒の気まずい沈黙が流れた。

 最初にその静寂を破ったのは、困ったように眉尻を下げきったトパズだった。

「それって、お金になる?」


 酷く鋭い指摘だ。けれど、ヤスミンは動じることはない。


「長期的な計画だけど、絶対になるわ。特にね、戦争後なんて、格好のタイミングよ。良い意味でも悪い意味でも染み渡るわよ。娯楽がない中で、娯楽の象徴が出来るの」

 ニヤッと口の端を吊り上げて笑ったヤスミンは、トパズの両頬に手を添える。まるで大事な宝石に触れるかのうように、柔らかく優しい力加減。トパズはただされるがまま、ヤスミンの顔を見上げていた。


「客が、国が、世界が」

 小気味の良い言い回し、軽やかに歌うように続ける。


「暗ければ暗いほど、どん底にいればいるほど」

 何かを思い出すようにヤスミンの目を閉じると、瞼の上には小さな怪我の痕跡がうっすらと残っていることにトパズは気づいた。月明かりを背に浴びて、水辺の反射光がゆらりゆらりと傷だらけの彼女を幻想的に照らす。そして、今一度、彼女の瞼が開かれた。


「楽しく光るものは、眩しくて羨ましく見えるのよ」

 青と金が混じり合って爛々と輝く彼女の瞳に、トパズはただ息を呑んだ。


「さあ、行くわよ」

 燭台を元の場所に戻した後、ヤスミンは蝋燭消しを手に取り消す。辺りがまた月の光のみになり、トパズの手をもう一度握った。そして、二人は濡れた自分達の服を持ちつつ、馬小屋へと戻っていった。



 さて、ヤスミンのルーティーンとして朝起きると、まずやらねばいけないことがある。


「今から厨房に忍び込むから」

 日が昇る前の馬小屋、既に起きていたトパズにそう声をかけた。

 朝飯の確保である。なので、さっさと厨房から掻っ払うのだ。


 普通の王族なら、ご飯に困らない。

 しかし、残念なことにヤスミンの扱いは、かなり酷いもの。

 ご飯は出されない、厨房で見つかれば叩き出される。本当に昔は残飯を漁るしか無かったほどだった。


 ただ、今はそれなりに知恵がつき、身体も大きくなった。


「穀物はあるから・・・・、とりあえず野菜と肉を二人分盗るわよ」

「わかった」

 ヤスミンの経験値に基づく指示に、トパズは素直に頷く。

 こうして、目標を明確にした二人は、城の裏側へと忍び足で向かった。

 城の裏口、一部鍵が壊れた鉄格子の窓が存在する。ヤスミンは手慣れた手つきで、錆びて朽ちた鉄格子の窓を外すと、中へとさっさと侵入する。


「足音に気をつけて、見つかったら叩き出されるから」

 続いて窓を上ろうと窓枠を掴んだトパズに、ヤスミンは囁くような小さな声で伝える。トパズは小さく頷き、なんとか静かに窓を超えた。


 今は誰も使っていないような部屋。近くに厨房があるからか、微かにカチャカチャと鍋を揺らす音と、油が焼ける匂いが漂っていた。


「……今日は早いのか」

 なんと、運が悪い。これでは、今日は飯抜きになってしまう。

 厨房に忍び込んで盗むということは、既に誰かがいたらほぼ不可能だ。

 ヤスミンは、不機嫌そうに顔を歪める。

 そんなヤスミンの横、トパズはぽつりと呟いた。


「厨房、だれも、いなければいい?」

「そうね、でも、残念ね。今、誰かいるわ」

 彼の質問に、ヤスミンはわかりやすく応える。すると、トパズはゆっくりと宙を向いた。金色の瞳がきらりと輝く。


 その瞬間、何故か厨房から突如として、鍋を揺する音が聞こえなくなった。


「今、いない」

「え?」

「いない」


 トパズの言葉に、ヤスミンはトパズの手を掴むと、戸惑いながらこの部屋から厨房へと向かう。

 厨房を覗くと、そこには作りかけの鍋や食材だけがあり、人間の気配は少しも無かった。


「一体、どういうこと」

 ヤスミンは、驚きのあまりトパズの顔を見た。彼の金色の目は不思議そうに、慌てるヤスミンに向けて首を傾げた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

業深き王女様は、転生した異世界で華麗な偶像稼業をはじめたい~前途多難ですが、チートより強いマインドで突き進む~ 木曜日御前 @narehatedeath888

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ