第6話 名前


 悪魔がいなくなった魔方陣からは、生臭い血と焦げた匂い、灰色の煙がゆらりゆらりと上がっていた。といっても、火が落ちて既に夜になっている。燃えさかっていた火が消えれば、広がるのは月光だけが頼りの暗闇だ。

 ヤスミンは、微かに立ちこめる煙に一瞬だけ視線を向けて、すぐに今し方契約したばかりの半魔へと視線を戻す。

 蜂蜜色の髪と瞳が、月の光を受けているせいか、ぼんやりとした暗闇の中不自然に光っていた。


「名前は?」

 実に簡潔的すぎる質問だった。あまりにも唐突だったため、半魔はきょとんとした顔で、ヤスミンをじっと見つめている。暫しの沈黙の後、半魔はようやく口を開いた。


「オマエ……?」


 純粋な瞳から繰り出される心許ない回答は、どう聞いても答えになっていない。

 ヤスミンは、少しだけ眉を顰める。昔の自分も、親から「オマエ」とか「ソレ」としか呼ばれなかった。しかも、幼稚園は通わせて貰えずに家に閉じ込められていたので、小学生に上がり初めて自分の名前を知ったほどだった。その後、あまり良くない転がり方・・・・をしていた時の周りの子たちにも、そういう子がちらほらと居た。


 ヤスミンは、半魔の前に立つ。

 そこで気付いたのだが、彼は自分よりも少し小さい。年も自分より下に見える。自分を美上げる美しい金色の目の中には、大層無愛想な自分が映っていた。


「じゃあ、私が名前を付けてあげるわ」


 半魔の目が大きく見開く。

 たしかに、初対面にしては随分と偉そうなお願いなのは、ヤスミンも承知の上だ。

 しかし、今の感じだとまともな名前は、彼の口から出てきそうに無い。

 なら、名前をつけてしまった方が早い。


 ここは、前の世界とは違うから、勝手に名前をつけたところで支障はない。

 前の世界なら大抵の場合、戸籍上の名前がある。まあ、たまに、無戸籍の子もいたけれど。これは、本当に、ごくたまに。

 まともな戸籍がないのだから、それぞれの名前は簡単に変えられてしまうのだ。


「なまえ、くれる?」

 半魔の目がきらきらと強く光り輝く。闇夜の中だと言うのに、一等眩しかった。

 どうやら、ヤスミンの提案は彼にとって嬉しいようだ。


 ヤスミンは、なんだかハードルが上がったと思いつつ、何と名付けるかとぐるぐると頭の中で考える。


 適当でいいのならば、トムとかジョージとか雑なモノをつけるところだが、こんなに期待されているともう少しマシなのにしないといけない。


 半魔に目を向ける。

 一番目を惹かれるのは、やはり黄金の蜂蜜色の髪と、金色の目。


 蜂蜜色の、輝く、眩しい何か。


 ヤスミンは、目をくるりと一周させる。

 そして、頭に浮かんだのは一つの宝石だった。


「トパズ」

 トパーズ。

 ヤスミンが前世で一度だけ、まじまじと見たことがあった宝石。

 いつもは通り過ぎる宝石店のショーケースに、蜂蜜色の美しい宝石が鎮座しており、目がつい奪われてしまったのだ。


 ただ、そのままつけても面白くはない。少しでも短く呼びたいからと、伸ばし棒はいらないと無くしてみたところ、意外と人の名前っぽくていいなと思った。


「トパズ? なまえ?」

「そうよ。名前」


「トパズ、なまえ、ぼくの、なまえ、トパズ」

 嬉しそうに笑う半魔もとい、トパズ。かなり噛みしめながら、出来立てほやほやの名前を繰り返す。

 流石にそこまで喜ばれるほどでも無いと思っていたので、あまりの連呼にヤスミンはどんどんと気恥ずかしくなっていく。


「ほらっ、そんなことはいいから、私についてきなさい」

 つっけんどんな言い方をしつつ、ヤスミンはトパズの右手を掴む。そして、手をつないだまま、真っ暗な馬小屋の外へと歩みを進めた。



 馬小屋を出てから、十数分。城壁を警戒しながら周回し、途中で見えてきた庭園へとたどり着いた。

 かつて昔、ここでは日々パーティーが行われていたようだ。しかし、今では手入れもされず、すっかり退廃している。


 トパズは何も聞かず、黙ったまま私に手を繋がれたまま着いてきていた。

 そして、ようやく到着したのは、大きな離宮であった。天井や壁の一部は崩落しているが、建物自体は比較的に綺麗である。


 ヤスミンは、戸惑うことも無く、建物へと入っていく。建物の中は天井が吹き抜けになっているせいか、月明かりが差し込み、うっすらと奥にある白亜の女神像が浮かび上がっていた。


 入り口から中に進むと、女神像の足下には水遊び場が広がっている。定期的に掃除はされているのだろう、きらきらと透明な水が光を反射していた。


「さあ、さっさと風呂、浴びるわよ」

 ヤスミンは宣言だけすると、少しも戸惑い無く自分の服を脱ぎ始める。トパズはあまりにも急な事に驚いたが、ヤスミンの身体を見て言葉を失った。


 この世界でも女性の髪は長く、肌は白く美しい絹のような方が、よいと言われている。

 しかし、ばっさりと切られ焼かれた非常に不揃いで短い髪。身体中に無数の切り傷や、痣などが痛々しく、綺麗であろう白い肌を殆ど変色させていた。彼女が今までどういう扱いを受けてきたのか、トパズは片鱗に触れたような気持ちになった。


「何ぼさっとしてんの、入るのよ」

 ヤスミンはぼうっと放心するトパズにそう声をかけると、すぐさま無理矢理服を脱がした。



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