子供を転ばせる教育法

渡貫とゐち

見て見ぬフリは個人的な優しさだけど。


 小学生が信号無視をしている現場を見てしまった。

 ……車がこなかったからよかったものの……(車が見えていれば無視をすることもなかったのかもしれないが……)やはり大人として、ここはきちんと教えるべきか?


 注意するべきだったが……知り合いではない、近所に住む小学生だ。

 見知らぬ大人に急に話しかけられたら怖いだろうし、防犯ベルでも鳴らされたらと思うと……こっちが怖くてなにも言えなかった。

 数分、悩んだものの――信号も再び、二回目の赤になってしまっている――まあ、注意しなくてもいいか、と諦めた。

 既に小学生は遠くまでいってしまっているし、追いかけて伝える方が不審者だ。赤であれ、青であれ、車がきていなければ無視するくらい、ルール違反であっても命の危険には繋がらない。



 数日後、救急車のサイレンがうるさいなと思って野次馬に混じって様子を見てみれば、アスファルトの上にランドセルが転がっていた。

 中身の教科書やノート類が散乱し、すぐ傍の地面には点々と染みがある……、渇いてしまっているので赤くはないけれど、勢いよく付着したような痕跡は血にしか見えなかった。


 野次馬に事情を聞けば、どうやら小学生が信号無視をしたらしくて……――交通量が少ない通りだからと、車がきていないという思い込みで左右を確認せずに渡ってしまったらしい。

 車側は青だったとは言え、これは可哀そうだ……これでも車が悪いのか?


「轢かれた小学生はどうなったんですか?」

「救急車に運ばれたけど……まあ助からないわよねえ……」


 ご近所さんが教えてくれた。小学生……さらには低学年だったので、急ブレーキをかけて速度が落ちたとは言っても、衝突すればその衝撃は子供を死に追いやることができる。

 高学年や中学生、高校生だったら怪我で済んだかもしれないが、低学年となると……まだ体も頑丈ではない。頭を打ったらそのままころっと死んでしまうだろう。


「このへんの小学生はよくこの信号を無視するのよ……。見かけた時は注意していたんだけどねえ……、やっぱりおばさんの注意なんて聞く耳を持たないから……、仕方のない事故ってところかしらね」


 もっと注意するべきだった、と自分を責め出したご近所さんに、それは違いますよ、と助け船を出す。大人の言うことを聞かない悪ガキに、罪悪感を抱く必要はないのだ。


「自業自得ですよ。注意喚起をした上で、忠告を払って痛い目を見たなら、子供たちも本望なんじゃないですか? ひとりの犠牲で、周りの子供たちがあらためてルール違反の怖さを知ったなら、必要な犠牲だったとも言えますし……。

 犠牲になった彼は運が悪かった、と言うしかないですが」


「冷たいのね……。地域の子供たちは、周りの大人が協力して育てるものよ?」


「『育てられる』気がない子供に割く時間も手もありませんよ。子供たちに色々と教えるのは将来『失敗』をしてほしくないからです……。でも、本人が失敗を望むのであれば、こっちが軌道修正する必要もないですから……、自由にやらせてあげた方がいいです。だって――子供は失敗からしか学びませんから」


 実体験がなければ、忠告はただの「人の意見」でしかなく、多様性の中のひとつとして処理される。そういう考えもあるよね、と思われてしまえば、子供たちは自分の(浅い知識からくる)意見を貫こうとするだろう……。

 上から言われたことは否定したくなるし、反発したくなるものだ。それが悪いことだと言うつもりはないし、その反骨精神は大したものだと思う……。

 子供たちが自力で成功するならそれが一番良いだろう。失敗を知らずに成功続きなら、それが理想だが――まあ無理だろう。失敗はつきものだ。


 大人がなにも言わなくとも、子供は自然と成長していく。

 もしも――警察に捕まったところで、出てきて更生すれば真っ当な子と同じなのだから、マイナスではない。やはり世間の目は厳しいだろうが、少年院を体験した分、悪いことの区別は優等生よりもついているのではないか?

 犯罪者の方が加害者の気持ちが分かるので善人に近い、という考えだけど……もちろん、全員がそうであるとは言わないし、言えない。犯罪者は犯罪を繰り返すとも言えるし……個人差になってしまう、というのは永遠の答えだろう。


 結論。


 子供に色々と言ったところで大半には響かない。

 言って聞く温室育ちは大人になって大問題を起こす可能性も高く、問題を起こさなくともその子の人生満足度はきっと低いのではないだろうか……。

 だから子供には、自由にやらせた方がいい。

 ――ただ、取返しのつかない大失敗をする可能性が高いので、賭けではあるのだが……。


 教えるために転ばせる。


 頑丈に育てるために突き落とす。


 その過程では、やはり子供がぶっ壊れてしまう可能性があるわけで……。


 子育てというのは、難しい。


 自分の子でさえこうなのだから、他人の子供を育てるなんて無理な話だ。

 ……だから俺は注意をしない。だってその子が大失敗しようがどうでもいいから。

 大失敗を経て成長するし、色々と知るのだ。実体験から学んだことは絶対に忘れない。


 心に強く刻まれている……

 トラウマ、という形かもしれないが。



「失敗も悪事も必要なことだと思いますね……。

 それを知るからこそ、成功と善行が分かるのだと思いますし」



 小学生を乗せた救急車が遠ざかっていく。

 やがて野次馬たちも現場から離れていった。


 話し相手になってくれていたご近所さんも、家へ戻ったようだった……――さて、俺も帰るとしようか。



 夕方。通りがかった駄菓子屋で、高学年の小学生が万引きしている場面を見てしまった。ガム数個なので大した金額ではないものの、犯罪なのは変わりない……。

 見てしまった、けど、俺は注意をしなかった。


 見て見ぬフリをする……。どうせ、いずれ彼は駄菓子屋からコンビニ、スーパーへと手を伸ばし、どこかで捕まるのだろう……そこでやっと、万引きはしてはいけないことであると実体験と共に分かるはずだ。


 ここで俺がなにを言ったところで、その体験と学びには勝てない。

 ……なら、言うべきではない。


 少年よ、存分に失敗しろ、迷惑をかけろ――――

 それでも大人は子供を守ってくれるのだから。



 ――悪事も善行も経験済みの俺が保証してやる。




 …了

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