第32話 旅立ち

 *


「いや~! 飛行機に乗るのって、実は初めてなんだよね! どんな感じなんだろ!」

「……別に、普通じゃないのか」


 翌日、空港に二人はいた。ドロティアから手配されたのは極東の島国行きのチケット。多少の覚悟はしていたが、そこまでの距離がある場所に送られるとは思っていなかった。まさしく、島流しという言葉がぴったりだろう。


「あっ! ハゲ! 液体物は持ち込めないらしいぞ! 育毛剤は捨てときなよ!」

「……誰も、そんなもの持ってない」

「機内食も初めてなんだよね! スシ出るかな! スシ!」

「……むっ」


 隣でミラムが興奮する一方で、スミスは――柱の陰に、を発見した。

「……ちょっと、トイレに行ってくる」

「ん~迷子になるなよ~」


 数十メートル離れた柱の陰から、その自己主張の強いピンク色の髪が見え隠れしていた。こんな髪色の女はいくらニューヨークでも、数えるほどしかいないだろう。


「……わざわざ隠れなくても、正面から見送りにくればいいだろ」

「だって、私がいると……ミラムちゃんが嫉妬しちゃうじゃない」


 くすりと、ドロティアは笑みを見せる。遠くから二人の様子を伺っていたのは彼女だった。


「それで、何しに来たんだ。お前のことだ。ただ、見送りに来たというわけではないだろう」

「いえ? 普通に、お別れの挨拶を伝えに来ただけよ。まあ、私も夕方にはこの町を離れるから、そのついでだけどね」

「……それは、俺があの狩人を見逃したからか」

「えぇ。もちろんそうだけど」

「……すまない」

「別にいいわよ。そこまで長く続けられる仕事でもないし。そろそろ頃合いだと思っていたから」


 その謝罪に対して、ドロティアは特に気にも留めていない様子で答える。


「お前にはこれまで色々世話になった。手を借りたい時は連絡してくれ。最大限の協力はしよう」


 最後に、スミスは彼女に感謝の念を伝える。

 多少は思うところはあるのだが、それでもドロティアという女に対して借りがいくつもできてしまったのは確かだ。その投資分の働きは返さないと、割に合わないというやつだろう。


「……そうね。じゃあ、私の命が危なくなったら、スミスくんに助けてもらおうかしら」


 くすりと、冗談気味に、ドロティアは笑う。


「あ、そうそう。これを見せに来たんだった」


 そう言うと、ドロティアは一枚の写真をバックから取り出した。かなり色褪せており、撮影された年代は相当古いと思われる。最低でも、数十年近く前だろう。

 写真には――男の肖像画が映されていた。貴族のような気品のある風貌をしているが、自然とその後頭部に視線が移る。その肖像画の男性は……スミスと同じく、頭髪がなかったのである。


「……誰だ。これは」

「実はそれ、ミラムちゃんのお父さまなのよね。写真には写らないから、そういう形でしか姿が分かるものは残ってないけど」

「……これが、あいつの父なのか」


 スミスと同じく、ミラムの父、噛み殺し公には頭髪がなかった。それではまるで――っ。


「つまり、そういうことよ。ミラムちゃんがあれだけスミスくんを気に入っていた理由は……もしかしたら、アナタに父親を重ねていたのかもしれないわね。あ、この写真を見せたことはミラムちゃんには言わないでね。バレたら、私が殺されちゃうから」

「……あぁ、分かった」


 ミラムと初めて出会った時の出来事を思い出す。彼女はスミスの顔を見た時、とても驚いた表情をしていた。あの図太い神経を持つおてんば娘は並大抵のことでは動じないはず。あの日、彼女は――一瞬でも、亡き父親と再会したような心境に陥っていたのではないだろうか。

 スミスを引き取ったのも、父との空白の時間を埋めるような想いを抱いていたのかもしれない。いくら吸血鬼と言っても、彼女もまた家族の愛に飢えている一人の小娘だった。


「じゃあ、最後にこれ。スミスくん。引いてみて」


 そう言うと、ドロティアは謎の包みを取り出す。その包みからは何本か、植物の菊のようなものが生えており、まるで花束を逆さにしているような物体だった。


「……なんだ、それは」

「花占いってやつよ。私、結構占いは得意なのよ? 今後の運命を見てあげるわ」


 実にくだらない。スミスが信じていない存在ランキングの中でも、神の次に来るのが占いという分野だった。運命というものは自分で切り開くもの。あらかじめ決められていてたまるか。

 しかし、ここで引かないのも、歯切れが悪いだろう。仕方なく、スミスは差し出された茎を適当に一本取り出した。


「黄色い花が出たぞ」

「……へぇ」


 その花を見たドロティアの顔から――一瞬、笑みが消えたのを、スミスは見逃さなかった。


「これはどういう意味なんだ?」

「まあまあってところね。じゃ、花は返してね。機内に植物を持ち込むのは色々めんどくさいって聞くし」

「……おい。それだけか。もっと具体的な情報はないのか。花言葉とか」

「所詮は占いよ。ツイてるか、ツイてないかさえ分かればいいの。じゃあね。スミスくん。またどこかで会いましょう」


 そう言うと、ドロティアは手を振りながら、人の波の中へと消えてしまった。


「……まったく、最後まで、食えない女だ」


 *


 スミスと別れてから数分後、ドロティアは歩きながら、彼が引いた一本の花を眺めていた。

 その時、ドンと、膝の辺りで、衝撃を感じた。驚いて、確認すると……そこには一人のアジア人の幼女が尻もちをついていた。彼女と衝突してしまったらしい。


「あら、大変。ごめんなさいね。怪我はない?」

「…………っ」


 どうやら、英語が通じないらしい。どこか怯えている様子で、幼女はドロティアをじっと見つめていた。


「もう、そんな怖い顔しないでよ。確かに、さっきのは私が悪かったわ……そうだ。お詫びに、このお花をあげる」


 そう言うと、ドロティアは先ほど花占いに使用した花束を幼女に向かって差し出す。すると、どうだろうか。たちまち、幼女は笑みを見せた。


「じゃあね。いい旅を」


 幼女はドロティアに貰った花束を嬉しそうに抱えながら、彼女に向かって手を振っていた。その愛くるしい姿にドロティアもくすりと笑みを浮かべ、手を振り返す。

 その時、ふと――花束の中に混ざっているスミスが引いた黄色の花が目に入った。くるりと、ドロティアは背を向き、再び歩を進める。


「……マリーゴールド、ねぇ。ま、所詮は占いか。当たらないこともあるわ」


 *


「遅い! どこまで行ってたの! 飛行機に間に合わなかったらどうするの!」

「……電車やバスじゃないんだ。乗り遅れることなんてないだろ」


 ミラムの元に戻ると、たちまち怒号が飛んできた。相変わらず、短気な性格だと思いながら、彼女の隣に座る。


「……なぁ。本当に、いいのか」

「は? 何の話?」


 ふと、スミスは呟く。


「結局、この国から退去することになったのは俺の落ち度だ。今回は何とかなったが、俺のようなお荷物と一緒だと……お前にも、危害が及ぶかもしれないぞ。一人の方が、安全じゃないのか」

「……ぷっ」


 その言葉にミラムは思わず吹き出す。


「……なぜ、笑う」

「いやだって、私よりずっと弱いくせに、なんで心配なんてしてるんだろって思ったら、おかしくなっちゃって」

「…………」


 返す言葉もない正論だった。


「ま、私のことは私が決めるよ。海外旅行も、ちょっとは興味があったしね。っていうか、お前を一人にしたら、そこら辺で野垂れ死にそうで怖いわ。ハゲは私が……守ってあげないとね」

「……そうか」


 彼女がそうしたいと言うのなら、何も言うまい。


「じゃ、久しぶりにアレやるか!」


 ミラムはスミスに向けて、拳を差し出す。


「……また、やるのか? 正直、恥ずかしいんだが」


 アレとは十中八九、拳を合わせるあの儀式だろう。空港ということもあり、まだ人の目がそれなりにある場所でやるのは少々むずがゆい。


「いいでしょ別に。気持ちの切り替えってやつだよ。ほら、早く」

「……むぅ」


 渋々と、スミスは拳を向ける。こつんと、両者の拳が触れ合った。


「これからもよろしくな! ハゲ!」

「……あぁ、ミラム」


 *


「飛行機ってあんま揺れないんだね。もっとジェットコースターみたいな感じだと思ってた」

「……そんな乗り物、誰が乗るんだ」


 飛行機が離陸してから一時間後、二人は快適な空の旅を過ごしていた。逃亡先である日本に着陸するのは十二時間後。まだ半日以上残っている。


「どうでもいいけどさ。さっきからちょっと気になってたんだけど」

「なんだ」

「お前、もしかして香水付けてる? なんか変な香りがするんだけど」

「…………あぁ」


 呟くように小さな声で、スミスは肯定する。

 それもそのはず。ニューヨークから日本までのフライト時間は十四時間。日に三度、風呂に入らないと腐敗臭が漏れるスミスにとって、それだけの期間を閉鎖空間で過ごすわけにはいかない。そこで、対策として香水を機内に持ち込むことにした。これならば、多少はごまかすことができる。


「こ、香水……ハゲが香水……ぷぷぷっ……くくくっ。アッハッハッハッハッハ!」


 ミラムは――耐えきれなくなり、大声で笑い始めた。


「……おい。静かにしろ。周りが見てるぞ」

「いやだっておかしいでしょ! ハゲと香水なんて一番合わない組み合わせじゃん! 不毛フローラルな香りってか! あー面白い!」


 まったく……だから、隠していたのだ。香水のことを知ったミラムは馬鹿にしてくるのは目に見えていた。彼女の弄りはいつのもことではあったが、こうも大勢の人間がいる場所でやられると、さすがに気分が悪くなる。

 どうにかして、ミラムを黙らせる必要がある。さて、どうするべきか。スミスは思考を巡らせる。そして――閃いた。


「……そういえば、風の噂で聞いたことがあるんだが」

「ん?」

「ハゲというのは遺伝するらしいな。しかも、かなり高確率で」

「……えっ」


 潮が引くように、ミラムの顔から笑みが消える。

 ドロティアからの情報がさっそく役に立った。やはり、この話題は効果抜群らしい。


「え、ちょ……嘘だよね。嘘だよね。それ」

「さあな。俺も詳しい話は知らん」

「お、男だけだよね? 女には遺伝しないよね? というか、吸血鬼は関係ないよね?」

「遺伝情報だからな。生物学上では男女も種族も関係ないんじゃないか」


 徐々に、ミラムの顔が青ざめていく。


「う、うそ……嘘って言ってよ……嘘って言ってよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼‼‼‼‼」

「……ふん」


 いい気味だ。そう思いながら、彼は窓の外に映る景色を眺めることにした。

 記憶を失い、怪物として復活したスミス。吸血鬼兼殺し屋であり、父を失ったミラム。この奇妙な相棒バディは――もう少しだけ、続くようだ。


                               了

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血肉を貪るメスガキ吸血鬼と不毛不死の屍男 海凪 @uminagi14

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