第31話 日陰者

 *


 時計は午後七時を指している。そろそろ、ミラムが起きてくる時間帯だ。黙々と、スミスはその時を待っていた。


 コツコツッ コツコツッ


 階段を降りる音が聴こえてきた。どうやら、やっとお目覚めらしい。一段、一段降りる音が近づくにつれて、スミスの心臓の鼓動が僅かに上がっていく。


「…………」

「…………っ」


 そして、ついに――スミスとミラムは五日ぶりの再会を果たした。

 眠そうに、寝癖を付け、瞼を擦りながら、ミラムは無言でスミスを見つめる。その姿に、彼は声をかけようとしたが、喉奥で何かに詰まってしまった。


 気まずい。今のスミスの心象を一言で現すなら、これに尽きるだろう。自分の身勝手な行いで、彼女を巻き込んでしまった。

 この家でミラムはずっと暮らしてきた。亡き父との思い出も残っているはず。それを――スミスは奪ってしまったのだ。本当に、悪いことをした。かける言葉が見つからないほど、申し訳ないという感情が溢れてくる。


「……ん」


 十秒程度の沈黙が流れたあと、最初に言葉を発したのは――ミラムだった。


「ご飯は?」

「……ご、ご飯?」

「いや、私起きてきたばっかなんだけど。お腹空いてるんですけど」

「あ、あぁ……用意していなかった。すまない。今から何か作る」


 すっかり、ミラムの朝食という名の夕食が頭から抜け落ちていた。すぐに食事を用意しようと、スミスは立ち上がる。


「いや、いいよ。時間かかるし。宅配ピザ頼んどいて。いつものニンニク増量のやつ」

「……分かった」


 その指示に従い、スミスはピザ屋に電話をかける。十分も経たないうちに、ピザは届いた。


「ん~♪ なんか、この味も久しぶりに食べた気がする。ほら、ハゲにもあげる。トマトいっぱい入ったやつ」

「……あぁ」


 ミラムがよこしたピザをスミスは無言で頬張る。


「……ねぇ。いつまでそんなテンションなの。こっちまで辛気臭くなるんですけど」


 一向に俯きながらピザを食べるスミスに対して、ミラムは愚痴をこぼす。


「……すまない」

「まったく、そんなに気にしてるなら、最初から殺しとけっての。意味わかんない。あーあ、私も、ついにこの家を離れる時が来たのかぁ。生まれてからずっと過ごしてきた我が家を離れるのは何か感傷深いっていうか、寂しいなぁ。これも、ぜーんぶ誰かさんのせいだけど」

「……すまない」


 こればかりはスミスも謝罪の言葉を述べることしかできない。全ては自分の責任だ。


「はぁ。今日が、最後の夜なんでしょ?」

「……聞いていたのか」

「ま、何となく察するわ。そろそろ、私の血の効果が切れてもおかしくないしね。ハゲもちょうど目覚めたし、タイミング的には今しかないでしょ」


 ミラムも、この町、いやこの国には住めないというのは承知していた。狩人を生かして帰してしまった以上、覚悟はしていたことだ。だからこそ、必死になって彼らを殺そうとしたが、結局はスミスに阻止されてしまった。


「……一つ、聞きたいことがあるんだが」

「んだよ」


 ここでやっと、スミスから謝罪以外の言葉が出た。


「お前は……狩人に恨みがあると聞いた。それは一体、どういうことなんだ」

「……それ、ビッチから聞いたの」

「あぁ」

「……また人の個人情報ペラペラ喋りやがって。プライバシーって言葉を知らんのかあいつは」


 ドロティアに対する愚痴をこぼしたあと、ミラムは数十秒間、黙ってしまった。その姿はどこか、何か悩んでいるようにも見えた。


「はぁ。場所、移そうか。ちょっとついてきて」


 ミラムは立ち上がると、棚から瓶とグラスを取り出し、二階へと向かった。そのまま彼女は窓を開け、バルコニーにある椅子に座る。


「……今日はちょっと、風が強いな。まあ、いいや」


 ごとんと、瓶をテーブルの上に置く。そして、グラスに向かって中にある赤い液体を注ぎ始めた。一瞬、血かと思ったが、それにしては色が透き通っている。その爽やかな香りが風に運ばれ、鼻孔を通り抜けた。


「……それは、酒か?」

「そうだよ」

「……珍しいな。お前が酒を飲むところなんて、初めて見たぞ」

「ま、たまに飲んでるよ。それともなに。未成年飲酒はよくないとでも言うつもり?」


「……いや、好きにすればいい」


 血を好む吸血鬼相手に、酒を飲むなというのも変な話だろう。未成年飲酒は人間の法律。彼女には当てはまらない。


「ん。ハゲも飲んだら」


 ミラムはもう一つのグラスに酒を注ぐ。スミスも、普段から飲酒はしない性格ではあったが、ここで断るのも失礼だろう。


「……では、いただく」


 グラスを受け取り、一口飲む。舌に広がってきたのは爽やかな甘味とほのかな苦み口当たりも非常になめらかで、飲みやすい一品だった。


「……うまいな。これはラム酒か?」


「そっ。父親がこのお酒好きでね。私も最近、飲み始めたんだ。そこまで度数も高くないし、色も血っぽいから、何か嫌いになれなくてね。それに……私と名前がちょっと似てるし」


 ぐっと、ミラムはグラスの酒を飲む。そして、彼女は……酒の力を借りるように、語り始めた。


「私の父親、死んだって言ったでしょ。実はあれ、正確にはちょっと違うんだよね」

「どういう……ことだ」

「殺されたんだ。狩人にね。多分、だけど」


 その一言に、スミスは動揺する。ミラムの父が――狩人に殺されたとは初耳だった。


「……その、多分というのはどういうことだ」

「私の父親ってさ、吸血鬼の中では結構有名人なんだよね。何でも二百年以上前からその名が通ってたらしくて〝噛み殺し公〟の異名で恐れられてたとか。まあ、私からしたら……放任主義のクソ親父だったけどね」


 ミラムは父親とはあまり交流がなかったということはスミスも何となくではあるが、察していた。その証拠に、彼女が父親について語るのはこれが初めてのことであり、これまでは一切話題にすら上げようとしなかった。


「で……その父親が、ある日、急に消えたんだ。結構長期間、家を留守にすることはあったけど、連絡も取れないってことは初めてだったし、何か、分かっちゃうんだよね。肉親が死んだって感覚があったんだ。その時、確信したよ。私の父親はあの狩人に殺されたって」


「……あの?」


「私たちの世界でもさ、かかわっちゃいけない存在ってのがいるんだよね。常識の外れの連中の中でも、更に常識外れのやつら。そいつらに目を付けられると、確実な死が訪れる。だから、裏の世界の住民も、女神の猟犬部隊ですら触れようとしない〝禁忌〟が」


「……一体、どういう者たちなんだ。それは」


「『魔人』『色付きトカゲ』『悪熊』『メア&リリー』……有名なのはこの辺かな。こいつらは私たちの中でも、名前を出すことすら憚られるやつら。存在自体が天災に近いもので、吸血鬼よりもずっと……強いって言われてる」


「……それほどまでなのか」


 とてもではないが、あれだけの力を持つ吸血鬼よりも更に上の強さを持つ者がいるとは信じられない。だが、その禁忌と呼ばれる者たちの内容を話している時のミラムはどこか――恐れを抱いてるようにも見えた。


「その化け物連中の中にも一人だけ……同じく名前を連ねてる狩人が一人だけいるんだ。そいつの名前は……『Shade』」

「……シェード。日陰、という意味か?」


「うん。こいつは狩人の中でも、半世紀前に現れた異質な存在。有名な裏の住民が突然消えた時はこいつの仕業だって言われてる。女神の猟犬部隊とか、各国の組織には所属してなくて、完全にフリーとして活動してる。名前も、顔も、性別も、年齢も、人間なのかさえも一切不明。でも、存在するってことだけは確か。こいつの特徴は殺し方そのもの。誰にも目撃されることなく、標的を抹殺する。で、付いた異名が日陰者Shade。洒落てるでしょ?」


「……話は分かるが、あまりにも情報がなさすぎるんじゃないか。そいつが殺した証拠は何もないんだろう?」


「そう。証拠がないからこそ、こいつが殺したってのが分かるんだよ。考えてもみなよ。ある程度、名が知られてるやつを殺したら、普通は噂が流れるもんなんだよ。あいつが殺したんじゃないかとか、いやあれはどこの組織の仕業だとか。だって、そうしないと殺したメリットがないでしょ? 自分の名が知られないと、その功績もなかったことになるんだから」


 ……確かに、不自然な話だ。

 もしも、その者が自尊心を満たすために狩人としての活動を行っているのなら、何らかのアピールをしているはず。ビジネスを目的としているのなら尚更だ。第三者を仲介しているのなら、必ずどこかで情報が洩れる。しかし、Shadeの正体は一切不明。これらの情報を考慮すると、ある程度、その素性を分析することができる。

 『Shade』は――誰とも組んでおらず、単独で行動している。彼、または彼女が狩りを行っているのは名誉や金のためではない。それを動かしいるのは純粋な殺意。その活動が半世紀も続いているとなると、不気味としか言えない存在だ。人間とは思えない。


「証拠は何もない。ないからこそ、私は自分の父親がShadeに殺されたって確信してる」

「……そう、だったのか」

「はぁ。まったく、どうすんだよ。お前が逃がしたあの二人のどっちかがShadeだったら」

「……いや、それはないだろう」


 スミスはその可能性を即座に否定する。


「そいつはお前の父を殺せるほど強いんだろ? その娘に手も足も出なかったあいつらが……Shadeのわけがない」

「まあ、それもそうだね。あいつらは所詮、二流だったし」


 グラスに残っている酒をミラムは一気に飲み干す。


「ねぇ、ハゲ。もしも、もしもだよ。私がShadeを見つけ出して、殺そうとしたら……ハゲは止めるの? あの夜みたいに」


 ミラムはスミスと目を合わせる。顔は少し紅潮しており、既に酔いが回っている様子だったが――彼女の瞳からは何らかの決意が感じられた。


「……まさか。お前の仇というのなら、話は別だ。その時が来たら……俺も全力で、力を貸そう」


 噓偽りのない言葉だった。スミスにとって、ミラムはかけがえのない存在になっていた。友人、恩人、あるいは――家族。その彼女が殺したいほど憎んでいる相手というのなら、どのような者であろうとも、助けるつもりはない。


「ぷっ」


 そのスミスの言葉に、思わずミラムは笑みを零した。


「助けるって。お前、普通の狩人相手でもボコボコにされてたじゃん。絶対、無理に決まってんでしょ」

「……フッ。それもそうだな」


 スミスも笑みを浮かべる。確かに、身の丈に合っていない発言だった。


「――私ね。あんまり、父親のこと好きじゃなかったんだ。どっちかって言うと、怖いって印象の方が強かったと思う。でも、初めてあの人が死んだって実感した時は……涙が出たんだよね。なんだかんだ言っても、唯一の肉親だったし、自分が思ってた以上に、大切な存在だった。それに気づいたときはもういなくなっちゃってたけど……」


 うとうとと、ミラムはテーブルにもたれながら、父親への想いを告白する。それはスミスへ語り掛けているというより、独り言に近い印象を与えられた。


「だから……いつか、仇は取ってあげようと思ってるんだ。それが私の……娘としての、せめてもの親孝行だと思うから……」


 その言葉を最後に、ミラムは眠ってしまった。どうやら、あの程度の酒で潰れてしまったらしい。大人ぶって飲んではいたが、だいぶ無理をしていたのだろう。

 今日は少し風が強い。このままでは体調を崩すかもしれない。スミスは眠ったミラムを背負い、ベッドまで運ぶことにした。


「……復讐、か」


 ミラムはまだまだ子どもだと思っていた。しかし、彼女も彼女で、色々なものを背負っている。何もない。空っぽの自分より……彼女の方が、立派かもしれない。


「……ならば、俺も協力しよう。お前にだけ……無理はさせられない」


 もしも、その時が来たら――スミスは何の躊躇もなく、ミラムに手を貸すだろう。それが、今のスミスにできる唯一の恩返しだった。

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