第30話 生還

 *


「――ッ⁉ こ、ここは……」


 次に、スミスが目を覚ましたのは見慣れたベッドの上だった。


「……っ」


 記憶が混濁している。確か、女神の猟犬部隊と遭遇し、その男に敗北したのは覚えている。そして、ミラムに助けられ――っ。ここで、スミスは全てを思い出した。


「そうか……俺は……」


 どうやら、死にかけていたところをそのままドロティアは保護してくれたようだ。ベッドの横にある時計を確認すると、現在時刻は昼の一時。半日近く、寝ていたことになる。


 ガチャリ


「あら、スミスくん、やっと起きたのね」


 その時、部屋の扉が開き、ドロティアが姿を現した。


「事情は全部、ミラムちゃんから聞いたわ。大変だったわね」

「……あぁ、危うく死にかけた。すまないな。ベッドまで運んでもらって」

「別にいいわよ。私とアナタの仲じゃない。それにしても、五日も眠るなんて……よっぽど、生死の境をさまよってたのね」

「……待て、五日だと?」


 その事実に、スミスは驚愕する。半日ではなく、五日……過眠というレベルを超えている。


「あら? 気付いていなかったのかしら」

「あ、あぁ……てっきり、半日かと」

「まあ、いいわ。ちょうどお昼だし、今後のことを含めて、食事をしながら話しましょうか」


 食事。その単語を聞いた瞬間、スミスはとてつもない空腹感を覚えた。

 この腹の減り具合は確かに数日間、何も食べていない状態だったと言われても、納得できる。とにかく、今は何か胃に納めなくては。


 *


「はぐっ……ぐっ……あむっ」

「よ、よく食べるわねぇ。そんなに、お腹空いてた?」

「……んぐっ。まあな」

「私の分もあげるわ。はい」

「……助かる」


 目の前の運ばれた料理を、スミスは一心不乱に貪っていた。いくら食べても、空腹が収まることはない。それは食事というよりも、エネルギー補給に近い。それだけ彼の肉体はカロリーを求めていた。

 追加で冷蔵庫にある食材をありったけドロティアが運び、それを食した頃、ようやく彼の食欲は収まった。


「どう? 満足した?」

「……あぁ、腹いっぱいだ」

「そう、それはよかった」


 にっこりと、ドロティアは笑みを見せる。


「ねぇ。スミスくん。どうして、ワンちゃんを殺さなかったの?」

「…………」


 食事が終わり、ドロティアは単刀直入に五日前の夜の出来事を質問する。その問いに、スミスは言葉を詰まらせる。


「ミラムちゃん、そこまで態度には出さなかったけど、相当怒ってたわ。正直、私も同意見。理解できないわ」


 一連の経緯をミラムから聞かされていたドロティアだが、やはり彼女もスミスが起こした意味不明の行動に対して、困惑していた。

 あの場で、猟犬どもは必ず始末しなければならかった。ドロティアが知るスミスという人物なら、その決断ができたはず。しかし、現実は違う。甘いを通り越して、ただのバカ。あの夜、スミスの身に何が起こったというのか。


「……あいつにも言ったんだが、どうやら、俺が殺せるのは悪人だけらしい」

「あの二人は悪人じゃないから殺せなかったってこと?」

「……その通りだ。うろ覚えなんだが、俺は確かに、片割れの男をあと一歩まで追い詰めていた。だが、いざ殺そうと瞬間に……体が止まった」


 スミスはあの夜を振り返る。一部の記憶は欠けていたが、狩人の男を追い詰めたあの出来事は僅かに覚えていた。


「あいつの瞳は他のクズとは違った。そこには確かに、誰かを守るという使命が込められていた。そのような者たちを……殺すことは俺にはできない。むしろ、尊敬に値するとさえ思っている」

「そりゃ、彼らの根本にあるのはこれ以上市民への犠牲を出さないって正義感だとは思うわ。でも、彼らにとっては正義でも、怪物のアナタから見たら話はまた話は違ってくると思うのだけれど」

「分かっている。これが矛盾した感情だというのは。だが、それでも……あの判断が間違っているとは思っていない」

「……はぁ。やっぱり、そういうところは頑固よね。まあ、いいわ。じゃあ、この話はこれでおしまいね」


 ぱんと、ドロティアは話を切り替えるように、両手を叩く。


「で、ここからが本題。ミラムちゃんの血がどれくらいの効果があるかは知ってる?」

「……あぁ、聞いたことがある。吸血鬼の血は猛毒で、あの蚊が運ぶ血の量でも、数週間は寝込むほどだと」

「その通り。でも、相手がワンちゃんってことを考慮すると、そこまでの効果は望めないわ。最短でも、一週間で目覚めると想定していいはず」

「……そこから、俺が五日も眠っていたことを考慮すると」

「残りはあと二日ってわけね。顔を見られた二人と、生き残った狩人。残された選択肢は一つしかないわ」

「……出ていくしかないか。この町から」


 分かってはいた。彼らを見逃してしまった以上、ここにとどまるのは自殺行為だということは。そして、それはスミスだけではなく、ミラムも巻き込んでしまうということも。


「逃亡先の手配やら、パスポートやらは私が用意してあげるわ。だから、明日にはもう旅立てるように、ミラムちゃんに伝えておいて」

「……あぁ。分かった」


 果たして、戸籍もない自分のパスポートを一日や二日で用意できるのだろうかという疑問がスミスの脳裏を過ったが、ドロティアのことだ。それくらい、朝飯前なのだろう。


「それと、帰ったら……ミラムちゃんの話を聞いてあげてね。あの子は多少、狩人に対して、恨みを持っているし、今回のことは少なからず、ショックを受けていると思うから」

「……恨み? それはどういう……」

「これ以上は私からは言えない、ここから先は……あの子の口から聞くべきよ」


 *


 古本屋を離れ、スミスはミラム邸の前に立つ。

 あんな出来事があった手前、どの面を下げて彼女に顔を合わせればいいのか。気まずいとしか言いようがない。しかし、自分で蒔いた種だ。責任は取らなくてはならない。

 それに、ドロティアが語っていた内容も気がかりだ。ミラムは狩人に対して、個人的な恨みがある。確か、彼女が過去に狩人と遭遇したのは一度のみ。しかも、その時には容易く撃退したと言っていた記憶がある。一体、どういう因縁があるのだろうか。


「……よし」


 覚悟を決めたスミスは家の扉を開ける。吸血鬼が住む家に鍵がかけられているはずもなく、ガチャリと、扉は開いた。


 まずはリビングに向かった。ミラムの姿は――ない。


「……それも、そうか。まだ昼間だしな」


 現在時刻は午後二時過ぎ。ミラムが起床してくるまで、まだだいぶ時間がある。きっと、彼女は今頃、自室ですやすやと睡眠中だろう。わざわざ起こすのも忍びない。

 スミスは荷物の整理を始めることにした。明日にはこの家を発たなくてはならない。最低限の物しか持って行けないだろうが、それでも準備はした方がいいだろう。

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