第29話 決別

 ミラムは我が耳を疑う。今、何と言った。この者たちを逃がすと、言ったのか。まだ吹き飛んだ脳みそが全部再生していないのだろうか。ボケているとしか思えない。


「……な、何言ってんの。頭大丈夫? 意味分かんないんだけど。離してよ」

「……すまない。それはできない」


 スミスは指の力を緩めることはなく、ミラムの腕を掴み続けていた。


「は、離せって! 分かってんの⁉ こいつらをここで殺さなかったら、どうなると思ってんだ! 私たちは顔を見られたんだよ! それに、住所もこの近くだし! そんなの、また襲えって言ってるようなもんでしょ!」

「……殺さなくても、お前には記憶を消す力があるじゃないか。それを使えば――」

「バカ! んなの通じるのは一般人だけ! こいつらは普段から私みたいな存在と関わっているんだぞ! そうなったら、お前もどうなるか分かるだろ!」


 ミラムの記憶を消す術はそこまで万能というわけではない。現実に体験した出来事を完全に消し去ることはできないのだ。必ず、その痕跡が残る。鉛筆で書いた文字を消しゴムで消したものと言えば、分かりやすいだろうか。

 ふとしたきっかけで、その跡に気付く可能性もゼロではないのだ。日常的に殺し合いをしている相手なら尚更。そう遠くないうちに、必ず、今日この日に死にかけたことを思い出す。その時は……今度こそ、二人を駆除するために、万全の準備を整えて復讐リベンジに来るだろう。


「……分かっている。その者たちを生かしておけば、俺たちの未来は破滅しかない。だが、それでも殺さない。殺させない」

「は、はぁっ⁉ なんでこいつらにそんな情をかけてるわけ⁉ お前、殺されかけたって分かってんの⁉」


 その言葉に、スミスは沈黙する。確かに、彼はこの狩人たちに殺されかけた。戦闘の最中には実際にこちらも殺す気で拳を振るった。なぜ、今更こんなことをしているのか。矛盾に溢れた行動。ミラムが混乱するのも無理はない。

 この場で嘘を吐いても仕方ないだろう。正直に、スミスは今の心中を告白することにした。


「……俺が、俺たちが殺してきた相手はどうしようもない悪人ばかりだった。だが、こいつらはそうじゃない。て、理解わかったんだ。こいつらの瞳には正義があった。他のクズとは違う他者を守ろうとする正義が。そのような者たちを……殺めることはできない」


「ハァッ⁉ 本格的に脳味噌欠けてんのぉっ⁉ 自分が何言ってるか分かってるっ⁉ こいつらはお前を本気で殺そうとしたんだぞ! んなやつらを生かせるわけないだろうが! 今度は本当に殺されるぞって言ってんの!」


 彼の主張をミラムは真っ向から否定する。彼女の意見は客観的には正しい。今、この場で明らかにおかしいのはスミスだろう。


「……それでも、俺には無理だ。理解してくれとは言わない。自分でも、支離滅裂だと思う」

「~~~っ! もういい! 話すだけ時間の無駄! 脳味噌がぐちゃぐちゃのまま再生したから、おかしくなってるんでしょ! この二人は私が殺すから、お前はそこでじっとしとけ!」

「すまない。それを見逃すわけにはいかない」


 ミラムの腕を握る力が増す。それは――完全に、敵対を表すサインでもあった。


「なっ……じ、自分が何してんのか、本当に分かってるの……?」

「……あぁ。ここで、お前と戦うことになっても……止める」

「な、なんで。私は……お前を助けたんだぞ。私の身の安全より、そいつらの方が大事だっていうの?」

「…………」


 そのミラムの問いに、スミスは言葉を詰まらせてしまった。

 ミラムと見ず知らずの狩人。どちらかの命を選ぶなら、間違いなく、彼はミラムを選ぶ。当然だ。これまでの付き合いがある。しかし、両方の命が助かるというのなら、話は変わってくる。

 どうしても、譲れないものがスミスにはあった。そして、この感情は恐らく……スミスのものではない。記憶を失う前の、名も知らぬこの肉体の《元の持ち主》のものだろう。ならば、その意思を尊重するべきだろう。やっと見つけた記憶の手掛かりなのだから。


「……あっそ。じゃあ、もういいよ」


 ミラムは――スミスに掴まれている腕を霧へと変えた。


「私はそいつらを殺す。お前が何を言っても、絶対に、殺す。嫌なら、力ずくで止めれば? できるもんなら、ね」


「……っ」


 初めて、ミラムはスミスに殺気を向けた。これが、彼女の吸血鬼としての殺戮本能。その迫力に、気圧されそうになるが――スミスは退かなかった。

 相手にすらならないことは分かっている。だが、それでも最大限の抵抗はする。スミスは――拳を握った。


「――ッ‼」

「――っ‼」


 そして、両者が衝突しようとした瞬間、は聴こえた。


 ウーウー


「なっ……こ、これって……」

「……どうやら、時間切れらしいな」


 その音は間違いなく、パトカーのサイレンだった。すぐそこにまで、警察が来ている。

 恐らく、あの爆発音を耳にしたのはミラムだけではなかったのだろう。近隣の住民が通報し、警察が駆け付けた。こうなってしまったら、もう狩人を殺すことはできない。


「……チッ!」


 舌打ちをして、スミスを睨みながら、ミラムは全身を霧に変えて、その場から去った。


「……帰ったか」


 一人残されたスミスは意識を失っている狩人へと視線を向ける。


「……俺は」

「おい! そこのお前! 何をしている!」


 そして、何かを呟こうとした瞬間――背後から、彼を呼びかける声が響いた。スミスは全速力で駆け出し、逃走を開始した。


 *


「はあっ……はぁっ……」


 闇の中をスミスは駆け抜ける。何とか、警察の追手は撒いた。しかし、狩人との戦闘の負傷はまだ完治していない。


「くっ……」


 全身がずきずきと痛む。少々、いや、かなり無茶をし過ぎた。体力の限界が迫っている。現在のエネルギー残量は三パーセントといったところだろうか。早急にどこかで充電しないと――命という名の電源が切れてしまう。

 だが、ミラムと決別してしまった以上、あの家には帰りづらい。ということは……選択肢は一つしか残されていなかった。


 コンコン


「はぁい。こんな夜中に誰……って、スミスくん⁉」


 来客を出迎えたドロティアは驚愕する。そこには大怪我を負ったスミスが立っていた。そのまま彼は倒れこむように古本屋の中に上がり込み、本棚を背もたれにして座り込む。


「ちょ、ちょっと大丈夫⁉ どう見ても大丈夫じゃないけど!」

「すこ……し……ベッドを……借りたい……」

「そ、それは別にいいけど、何があったの?」

「…………」

「……ス、スミスくん?」


 返答がないスミスに向けて、ドロティアは声をかける。


「し、死んでる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る