ショートショートvol.1『ワンダーリング』

広瀬 斐鳥

『ワンダーリング』

 ある日、僕の家にワンダーリングがやってきた。

 ワンダーリングは犬の気持ちが分かるという機械で、銀色の輪っかのような形をしている。これを犬の首に着けると、脳波をAIが分析して、犬の気持ちを音声にして教えてくれるらしい。どういう仕組みかは分からないけど、とても正確だって、僕の通う中学校でもみんながうわさしていた。

「やっと届いたか」

 リビングでお父さんが包装紙をやぶいて、ワンダーリングを取り出した。キッチンからお母さんもやってきて、一緒になってこの不思議な機械をしげしげと見つめている。

 「二階からラブを呼んできてちょうだい」とお母さんが言うので、僕はそのとおりにする。

 ラブはうちで飼っている犬の名前だ。名付けるときに「ラブラドールレトリバーだからラブでいいんじゃないか」と言ったお父さんは、なんだか適当な感じだったことを思い出す。

 二階で窓の外を見ていたラブを連れてきて、リビングに座らせた。ラブはエサをもらえると期待しているのか、舌を出して大人しくしている。

 「ほら、着けてごらん」お父さんに促されて、僕は丸い輪っかを受け取った。

 ぱちり。ワンダーリングはラブの首にぴったりとはまり、赤いランプが点滅する。  ピピピという電子音のあとに、ワンダーリングに付いているマイクから音声が流れた。

『お腹が空きました』

「おお、しゃべった!」

 ワンダーリングから出た声は合成とは思えないほどに滑らかで、まるで本当に人が話しているみたいだった。お父さんは子どもみたいにはしゃいで、ラブの頭をわしゃわしゃと撫でる。お母さんもニコニコと楽しそうだ。でも、僕はちょっとハラハラとした。そんなに強く撫でたらラブが痛がっちゃうよ。

 すると、またピピピという音がした。どうやらこの音は、気持ちを読み取るときに機械が発する音らしい。

『頭が痛いです』

「そうか、ごめんごめん」

 お父さんはバツが悪そうにしてラブからパッと手を放す。やっぱりそうだ。ラブは頭よりも背中をゆっくりと撫でられる方が好きなんだから。


 それからしばらく、お父さんとお母さんはワンダーリングを着けたラブとコミュニケーションを取ろうとしていた。でも、ラブの受け答えがちぐはぐになってしまい、あまりうまくいかないようだった。それもそうだ。僕たちがラブの気持ちを分かったとしても、僕たちの言葉をラブが分かるようになるわけじゃない。

 ピピピ。

『最近、いつも同じご飯で飽きました』

 ピピピ。

『お尻がかゆいです。お尻がかゆいです』

 ピピピ。

『お手はいやです。お手はあんまり好きじゃありません』

 ラブはいつもと同じ人懐っこい顔だったけど、ワンダーリングから出るのはこんなセリフばかりだった。

「おいおい、いったいどうなってるんだ」

「こんなの私たちが知ってるラブじゃないわ」

 お父さんもお母さんもすっかり困ってしまって、ついにはワンダーリングを捨ててしまおうかと真剣な顔で話し始めてしまった。でも、そもそもワンダーリングを買おうって言い出したのは二人なのにな。

 そのとき、玄関の呼び鈴が鳴った。お父さんと一緒にインターフォンを見てみると、スーツを着た二人の男の人が立っていた。片方は黒縁メガネを掛けていて、もう片方は髪を後ろに流して固めている。

「どうも。ワンダーリングを製造している会社の者です」

 そう言って、二人は首からぶら下げた社員証をカメラに映す。社員証は表が液晶画面になっていて、そこに会社名と名前がデジタル表示されている。さすがハイテク企業だ。

 身分を確かめたお父さんがドアを開けると、黒縁メガネを掛けた方の社員さんが申し訳なさそうに用件を言った。

「お宅さまのワンダーリング、調子がおかしかったでしょう。じつは出荷したものに不良品がまぎれ込んでいたのが分かり、回収に参った次第でして。いやあ、まことに面目ない」

「ああ、そうだったんですか。どおりでヘンだと思った」

 お父さんは納得した様子で、顔を緩ませる。

「ご迷惑をおかけしました。新しいものをお持ちしましたので、すぐに交換いたします」

「よろしく頼みます。これで妻も安心しますよ」

 お父さんは二人の社員さんをリビングに案内して、お母さんに事情を説明した。黒縁メガネの社員さんが慣れた手つきでラブの首からワンダーリングを取り外して、髪を固めた方の社員さんが新しいのを手渡してくれた。

「ボク、怖がらせちゃってごめんな」

「ううん、平気」

 だって、怖くなかったから。僕はあんまりこの機械が好きじゃなかったけど、お母さんがそうしろと言うので、ラブに新しいワンダーリングを着けてみる。ぱちり。赤いランプが点滅して、すぐに緑色になった。あれ、さっきはずっと点滅していたのに。やっぱりさっきのは不良品だったのかな。

 ピピピ。

『ワンダーリングを着けてくれてありがとうだワン! 僕の気持ちを伝えることができて嬉しいワン!』

 ラブの首元から楽しげな声があふれた。それを聞いたお父さんとお母さんはほっとした様子で、ラブのことをわしゃわしゃと撫でた。また痛がりそうな感じだったけれど、今度はラブは文句を言わなかった。

「正常に動いているようですね」二人の社員さんもにこやかに笑う。

 お父さんとお母さんが社員さんを玄関で見送っている間、リビングでラブがくるくると回り始めた。ラブが自分のしっぽを追いかけるのは、散歩に行きたいという合図だ。

ピピピ。

『お散歩に行きたいワン!』

 やっぱり。あとでいつものコースに連れて行かなきゃな。


「これでリストに載っている不良品は全て回収しましたね」

「ああ。骨が折れるよ、まったく」

 会社に戻る車の助手席で、先輩はさっきの家から回収した不良品のワンダーリングを、くるくると指で回している。

「先輩、それで遊んじゃダメですよ。無事に全部回収してくるようにって、部長にきつく言われたじゃないですか」

「カタいこと言うなって。壊さなきゃ大丈夫だよ」

 勝手な人だ。僕はハンドルに置いていない方の手でメガネのずれを直す。もう一度注意するとさすがに先輩も諦めたらしく、ワンダーリングを鞄の中にしまった。

「ところでさあ、知ってるか。あのうわさ」

 手持ちぶさたになった先輩は、代わりに口を動かすことにしたようだ。

「うわさってなんですか」

「俺たちが回収したワンダーリングこそが本物だっていううわさだよ」

 回収した方が本物? どういうことだろう。困惑する僕を尻目に、先輩は話を続ける。

「つまりだ。部長に渡されたこの『不良品リスト』に載っているワンダーリングこそが、犬の本当の気持ちを読み取って音声にしているんだよ」

「市場に出回っているワンダーリングはウソを言っているってことですか」

「いや、必ずしもそういうわけじゃない。ただ、制御装置を付けて、飼い主に都合の良いことしか話さないようになっているんだ」

 なるほど。部長はどういう不具合があるのかを教えてくれなかったけど、たしかに『不良品リスト』のワンダーリングを着けた犬たちは、どうも正直すぎる物言いをしていた気がする。

「リストに載っているやつは、その制御装置を付け忘れたってわけ。まあ、あくまでもうわさだけどな」

 先輩はそう言ってダッシュボードに足を投げ出した。しかし、何かまずいことを思い出したようで、急に顔が青くなる。

「あれ、忘れたと言えば」

「どうしたんですか」

「やばい。さっきの家族にワンダーリングの付属品を渡してくるのを忘れた」

「付属品って、充電器とかイヤホンですか」

ワンダーリングには本体の充電器や、音声を遠隔で聞き取るためのワイヤレスイヤホンが付属している。それを先輩は渡しそびれたというのだ。

「すまん、戻ってくれないか」

 やれやれ。僕はハンドルを大きく回して、来た道を戻った。


 やっとのことで会社に帰ると、先輩に休憩スペースに行かないかと誘われた。ちょうど喉が渇いていたので嬉しい提案だ。

 先に自販機の前に立った先輩に、帰りの車でした話について聞いてみることにした。

「うわさが本当だったとして、制御装置が付いているワンダーリングと、付いていないワンダーリング。どっちの方が良いんでしょうね」

「さあな。犬が何を考えているのかを本気で知りたい人もいれば、飼い主にとって嬉しいことだけを言ってほしい人もいるだろうさ。いずれにしても」

 先輩は言葉を切って、自販機のボタンを押す。

「機械に頼らなくても、普段から愛情を持って接していれば、何を考えているかは分かるんじゃないか」

 先輩はにやりと笑って、僕に向かって缶コーヒーを放った。僕の好きな銘柄のやつだ。先輩はうっかりミスも多いけど、こういうところがあるから憎めない。

でも、いきなり投げるもんだから、うまくキャッチできずに胸で受け止める。

「あっ」

 ガチャリ、という音がした。いやな予感がする。おそるおそる胸元を見てみると、社員証が割れていた。液晶の一部が剥がれて中身がむき出しになっている。

「あーあ、このあいだ支給されたばっかりなのに。こりゃあ始末書ものだぞ」

「先輩がいきなり投げるからじゃないですか」

「悪い悪い。部長には俺も一緒に謝ってやるからさ」

「ほんとにお願いしますよ」

「分かったって。そういや犬と言えば、俺らも会社の犬ってとこだよな。いつも首輪を着けられているようなもんだ。ワンワン」

「そうかもしれないですね。ワンワン」僕も先輩に合わせて犬の鳴きまねをする。

 それにしても、どうしたものか。部長は意地悪だし、過ぎたことをグチグチと蒸し返すから嫌いなんだよな。それにいつも上から目線で、部下のことを常に監視しないと気が済まないっていうか。そんなんだから、かえって部下の人望を無くしてるってことに、さっさと気付いてほしいよ。みんな大人だから笑顔で接しているけどさ。

 僕が心の中で悪態をついていると、曲がり角から部長が姿を現した。げげっ。

「うわさをすれば影ってやつだな。でも、なんでイヤホンなんか着けてるんだ?」

ん? イヤホン? こちらに気付いた部長と目が合った瞬間、割れた社員証から小さな音が聞こえた。


ピピピ。

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ショートショートvol.1『ワンダーリング』 広瀬 斐鳥 @hirose_hitori

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