第11話
『あの、お昼のは違くて』
ついさっき聞いた落ち着いた声からは想像できないほど慌てた声に頬が緩む。
「えぇ、わかってますよ」
なるべくこちらは優しい声色で話す。
夜になるともう風が冷たい。秋の訪れを感じる時は、いつだってセンチメンタルになる。
『実はですね、ホテルの朝食バイキングに行きたくて』
『泊まらずに?』
『はい、泊まらずに』
ふむ……。ちょっと想像できないけど楽しそうだ。
友人と遊ぶために朝から集合することなんて、社会人になってからはめっきり減ってしまった。
どこかで月ヶ瀬さんと朝に待ち合わせ、ホテルビュッフェでお腹を満たすというのも……。悪くない、悪くないな。
「よし、いきましょう」
電話の向こう側で息を飲む音が聞こえる。
『誘ってる私が言うことじゃないんですが、』
遠慮がちに口を開いた彼女は、ぽつぽつ言葉を紡いでいく。
今日はやけに空気が澄んでいる気がする。横断歩道を渡れば金木犀の香り。
後ろから自転車が追い抜いていく。
『幾野さんっていつも決めるの早くないですか?』
「ちゃんと迷ってますよ。でも今までも楽しかったから今回もって」
不思議と言葉がするりと口から滑り出す。普段だったら恥ずかしくてこんなこと言えないはずなのに。
夏の最後の魔法だろうか。
『そう言っていただけると誘いがいがありますね』
「それで、日にちはどうしましょう」
『私は仕事が仕事なのでいつでも大丈夫なんですが、幾野さんは平日お仕事ですよね』
頭にスケジュールを思い浮かべる。
「確かに土日だとありがたいですが」
言葉を切って前を向く。
自分の住むマンションが見えてきた。安心するような、そして今日に限ってはどこか惜しいような。
「平日でも来週なら有給とれますよ」
スピーカーにしているのか、電話の向こう側で拍手が聞こえる。
『そしたらそしたら!来週金曜とかいかがでしょう』
「承知です!何時頃にします?」
そういえばホテルの朝ごはんって何時からやってたっけ。
出張で泊まるビジネスホテルで朝ごはんなんて食べたことないからわからんな。
『行こうとしてるところは7時半には宿泊客以外も入れるみたいです』
「ということは……」
『後でチャットにURL貼っておくので、最寄り駅7時過ぎとかでいかがでしょう』
普段の出勤より早いな……。
まぁでも、次の日休みならしんどくないか。
「ではそれでお願いします」
マンションも目前。
『ふふ、よろしくお願いします。では楽しみにしてますね!』
そう言うと彼女は優しく画面に触れた。
ぷつっと切れた自分のスマホを見つめて思う。
月ヶ瀬さんと電話する機会なんてそうそうないだろうが、悪くないな。
こう、優しい声が耳を包んでくれるというか。
マンションのエントランスで鍵を差し込む。
エレベーターに乗るまでの数歩、外を歩いていた時よりも心臓の鼓動が早い気がした。
合コン行ったら魔法使いがいた 七転 @nana_ten
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