第10話

『幾野さん、私とホテル行きましょうよ』


 そんなメッセージが来たのは秋も顔をのぞかせた木曜日の昼下がり。


 同じことの繰り返し、マンネリ化は避けられない、そんな日々の業務に一筋の光を差し込むかのように、彼女の爆弾発言は投下された。


 出かかっていた欠伸が行き場を失って口の中で弾ける。


『どうしたんです?突然』


 開いた口から出そうになった心臓を何とかしまい込んで指を動かす。


『あ』


 そのメッセージを最後に彼女から返信は途絶えた。なんだったんだ。


 ……と思ったところでスマホが震える。

 めずらしい、月ヶ瀬さんからの電話だ。


 指を画面に走らせるのと席を立つのは同時。


「はい、幾野です」

 

「あの、幾野さん!違うんですこれは!」


 電話の向こう側でバタバタと騒がしい音が聞こえる。何か布団を干して叩くような、ぬいぐるみをむぎゅっとするような。


「大丈夫ですよ、月ヶ瀬さん……っと、仕事中なんで後でかけ直してもいいですか?」


「わ、わかりました、、心の準備をしておきます!」


「そこまでですか?じゃ、また夜に」


 社用のスマホには仕事のメール。

 まぁ一応給料もらってるわけだし。頭を仕事に切りかえて自席へ向かう。


 それにしてもホテルってそんなあからさまな。合コンで出会ったとはいえ、関係ではないと思うんだよなぁ。


 彼女のことが気になって仕事が手につかなくなるかというと、そんなことはない。 

 社会人も何年もやってると慣れてくるもんだ。仕事の自分とプライベートの自分、二重人格がデフォルトみたいな。


 没頭すること数時間、無事本日マストの仕事を終えてPCを閉じる。


 電話するなら最寄り駅に着いてからだろうか。


『お疲れ様です、仕事終わりました。最寄り駅に着いてからお電話してもいいですか?』


『私も今日の仕事は終わらせました!おつかれさまです!正座で待機してます』


 正座って、と思うが案外本当にちょこんと座ってそうで頬が緩む。

 ガタンゴトン、心なしかいつもよりテンポの早い電車の音を聞きながら吊革に掴まる。


 薄暗くなったホームに電車が滑り込む。

 疲れたサラリーマン、まだまだ遊び盛りの学生もこの瞬間だけは皆平等だ。


 月ヶ瀬さんの真意はなんだろうか。

 きっとそんな酷いことにはならないはず。彼女は魔法が使えるんだし。


 いつもは止まって降りるエスカレーターも、今日は早足で降っていく。


 駅から出ると秋特有の香りが頬を撫でる。

 一呼吸、まさか自分から彼女に電話をかけることになろうとは、あの合コンの日には露ほど思わなかったな。


 チャットアプリから目当ての名前を見つけ出すと、逸る気持ちを押えて親指を乗せる。


 数秒のコール音。


『お待ちしてました、月ヶ瀬です』


 落ち着きの中にもどこかいたずらっぽいあの声が鼓膜を揺らした。

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