第9話
件のチョコレート屋さんの前に到着すると、意外にもそこまで人は並んでいなかった。
平日の晩からがっつりチョコを食べたい人はいないんだろうか。
「空いてて良かったですね、幾野さん!」
月ヶ瀬さんは何の躊躇いもなく店内へ足を運ぶ。やはりお洒落な人ってこういう場所にも慣れているんだろうか。
「月ヶ瀬さんってこういうところ普段から来るんですか?」
彼女はうーんと斜め上を見ながら考える。
「たまーにですね、友人からお土産もらった時のお返しとか?」
どうして疑問形なのかはわからないが、お土産を貰ったらお返しするらしい……やばい、俺はしたことないぞそんなこと。
「あとは、仕事でへこんだ時とか?」
「月ヶ瀬さんでもへこむことあるんですね」
「そりゃあもう、仕事に限らず欲しかったものが手に入らなかった時とか」
やけに真剣な声で彼女は呟く。
外にいる時には気が付かなかったが、中に入ると深くて甘い匂いに包まれる。
へぇ、いつも誰かからの貰い物でしか見ないけど、小分けというかちょっとお高いお菓子くらいの値段で買えるんだな。
宝石のようにショーケースに展示されたチョコレートたちをひとつひとつ眺めていく。
「ねね、見てくださいこれ!」
いつものように音もなく俺の後ろに立った月ヶ瀬さんは、袖をくいくいと引きながらメニュー表を指さした。
そこにはドリンクの写真。
「こういうの、カフェでしかないと思ってました」
「どうです、幾野さん。チャレンジしてみません?」
ふふっと笑うと、彼女はメニュー表をこちらへと手渡した。
チョコだけでなく、フルーツ系もあるみたいだ。
他のチョコレートを見ても特に欲しいものもない、せっかくだし新しいものにチャレンジするか。
俺たちが選ぶのをレジで待っていてくれた店員さんに注文する。
「すみません、この……チョコとオレンジのお願いします」
「じゃあ私は王道のホワイトチョコレートでお願いします!」
目の前でドリンクが作られる工程を眺める。
使い方の分からない機械がごーっと音を立てる。
「あれ何してるのか全然わからないですよね」
月ヶ瀬さんも興味深そうに機械を見つめる。
ショーケースから頭だけ出て並ぶ俺たちは、レジ中から見ると社会科見学に来た子どもみたいに見えるんじゃないだろうか。
「ですよね。どう操作するのかも、なんのためのものなのかもわからないです。」
店員さんからすれば慣れ親しんだ作業なんだろう。もう手元すら見ずに次の工程へ。
「でも、気がつけば思い描いていたメニュー表のドリンクが現れるんですよね」
「まるで、」
言いかけた言葉は彼女の指によって止められる。
「『まるで、魔法みたいに』ですか?」
またもや言い当てられたことに悔しさがにじむ。
「最近、幾野さんが言いたいこと分かってきたんですよ、魔法なんてなくても」
注文してから数分、俺たちはドリンクを受け取った。
長いストローに口を付ける。
「でも、美味しいものを作り出せるってそれはもう魔法だと思いませんか?」
確かに。
そう思った瞬間、口にオレンジの酸味とチョコの深い甘みが溢れかえった。
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