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『あんたが欲しいのはこれだろ? オマケを付けてやってもいいんだけどさ』


 新聞紙の中身は脇差の〈往田チヅル〉だった。ユキと名乗った少年はリュックから他にも、旧式の〈ヤカン〉、不法パーツがごてごてと増設された携帯端末ジャムや〈MAG-NET〉のバックナンバー、いくつかの〈半キャラ〉の箱などを出して見せた。


『分かってると思うけどスミレさんは異界に呑まれた、ネット環境有りだからやりとりは出来るけど、こっち以上にその頻度や異界からの干渉度・情報の変異率が可変するってわけだ。オレもある意味そういう風になりつつある。結論から言うとこのオレは〈分体〉だ。本来のユキこと片須邦幸かたすくにゆきの本質・魂・人格、その一部がはじき出されてここにいるってわけ。本体がどうなっているのかはオレも知らないし、確かめる術がない。どこぞの異界の中でコードグルグル巻きになって往生してるか、とっくに腐り果ててるか、あるいはどこか離れた場所で人生を謳歌してるか。とにかく本来のオレはこんなに喋るたちじゃないんで、その時点で自分が自分じゃないっていうか強烈な違和感あるんだよね』


 どうにかしてくれ、と再びユキが言った。どうやら彼は結河のことを、ドクターはドクターでも呪医ウィッチドクターだと解釈しているらしかった。どうにか、とは具体的にどういうことを指すのだろうか。結河が黙っていると、信じていないのか? と彼は早足で寄って来て、ぶつかる――のではなく、そのまますり抜けた。


『分かったろ? 後輩君が言ってた通りオレって幽霊部員だったんだけど、とうとう文字通りの状態ってわけ。で、あんたも報酬が欲しいなら、この症状・・をどうにかするしかないのさ、オレのコレクションも透き通ってるんだからな』


 その時、空が赤く染まった――〈昼焼け〉の観測。それと同時に、突然、結河は理解した――前にどこかで聞いた、「異界は『過剰』がテーマであり、挑むならこちらも『過剰』を手にしなくてはならない」という言葉の意味を。余計なこと・・・・・が力になる。そぎ落としてはいけない。過剰にまで意味不明なものが付け足されると同時に、異界から運ばれた力が付与される。わざわざキャラメルの箱の中身を半分取り出すことも、ユキが助けを求めるために、スミレ、レインコートの少年、彼の後輩を経由したのも、それ自体が儀式なのだ。


 できることはやる、とだけ結河は答える。ガスマスクで顔は分からないが、ユキは安堵の笑顔を見せたらしいと感じた。必要なのは、儀式を行うための場だ。祭壇と、異界の力が宿るための触媒、それを用意しなくてはいけない。




 最寄りの異界にやって来た。住宅街の片隅、駄菓子屋と銭湯に挟まれて、地下鉄の入り口みたいな階段がある。そこを下って通路を進むと、改札みたいなゲートがあって、〈二級〉の警備員が睨む中、免許をかざすと通ることができる。結河はユキを伴って、無言で進む。異界潜マグたちがそこいらにたむろして、何事かを囁き合っている。自動販売機が六台ほど並んでいて、全てコーラだ。ユキが他の誰にも聞こえない声で言う――鎧谷の異界にも似たような場所があって、そこじゃ全部あっためられてた、それに比べればここは冷やしてくれてるから気が利いてる――続いてはブラックマーケットのエリア。通路を占拠して、エアコンの室外機ばかり何台も並んでいる。学校にあるようなライン引き、これも何らかの儀式に使うものだろうか。〈半キャラ〉に使うための半分しか入っていないキャラメルの箱――わざわざ買う必要なんてあるのか? 売り物なのかどうか判断しかねる、ブラウン管モニターの数々。ネックが折れているギター専門店。医薬品店――何が混ぜられてるか分かったものではない。足早に結河は奥へ進む。


 エラーが発生――突如ゾンビのうめき声のような音が響く、いわゆるビックリ系ジャンプスケアという奴だ。うるさいだけで、ここには恐ろしい化け物なんてのは出てこない、多分。赤い光の電球が吊るされている、広い浴室にやって来た。バスタブは渦巻くコードが埋めている。結河はユキに、そこに寝るように指示した。


『ここが手術室ってわけか。多少痛かろうと耐えて――いや! やっぱり痛いのは勘弁してくれ、先生。何をするっていうのか知らないけど』


 実際のところ、ユキが結河にしてもらいたがっているような意味不明な儀式を、異界潜たちはしばしば必要とする。ゲン担ぎ、実際に異界を変化させるため、何もやることがないから、何かをしなければならないのにその何かが分からない、そういった場合に行われる呪術的儀式。異界がそれに実際的な力を与えることを期待した迂遠な手続き。結河は今回、そのために使われる儀式アプリ〈導師メンター〉を用いた。何らの根拠もないであろう、アトランダムな指示――あるいは、どこかの古めかしい結社や、異界で発見された資料を参考にした、れっきとした秘儀であると信じる者もいる――コウモリの血液、乾燥したニガヨモギ、人工甘味料、求人情報誌の灰、異界の壁の破片、黒ビール、小動物型エラーの歯、豚肉――更に結河がアレンジ・・・・として加えた、銘柄も見ずに買ったブラックマーケットの品物――それらをあらかじめ混ぜておいたものを、ラムネの瓶からバスタブの周りに撒く。コンビニのコピー機で印刷しておいた、文字化けした文章がびっしりと書かれた〈呪文書〉、それにライターで火を付ける。


 この儀式が終わった時、何も起こらないかも知れないし、ユキは肉体を取り戻すかも知れない。あるいは彼の幻は、跡形もなく消え去るか――いずれにしても、自分はこれを今後も続けるだろう、と結河は確信している。呪医ウィッチドクターとして、異界に何かを求める顧客たちに、迂遠な過程を提供する。材料を仕入れるための新しいコネが要るし、宣伝だってしなければならない、忙しくなるぞ。久々に結河は、笑っていた。


 異界に風が吹き、積み重なったブラウン管に赤い光が射した。外にいた異界潜たちは同時刻、一斉に空を見上げる。夜空が真っ赤に染まったような気がしたからだ。それも一瞬後には消え去り、ただ静寂だけが残る。


 そうして、儀式は終了し――それから二人がどうなったのかは不明だが、そこいらの暗がりやネットの過疎掲示板で、怪しげな儀式を請け負う白衣の呪医や、ガスマスクを付けた少年の幽霊の話が、退屈な異界潜たちによって少しの間、囁かれた。彼らがまた異界の外に現れるか、あるいは以降、忽然と消息を絶ち永久に忘れ去られるか、いずれの可能性も、まだ現実に形を成してはいない。どちらにしても、異界は今日も拡大し、無数のコードが、異界からこちらへ何かを送り込むために、増殖を続けている。

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異界潜 澁谷晴 @00999

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