幻灯鏡◆真実ヲ写ス寫眞機

宵宮祀花

とある恋人たちの真実

 東京は浅草の一角にて。

 一人の写真家が車に幟を立てて道行く人に声をかけていた。


「写真は如何ですかー? デジタルとは違った風合いのが撮れますよー」

「旅の思い出に、一枚如何ですかー」


 詰め襟に着物と袴を重ねた、所謂書生風の格好をした若い男が呼び込みをしているその横で、女学生風の見た目をした少女が同じく声をかけている。

 薄紅の着物に紫色の袴を合わせ、袴の左足部分には桜の絵が描かれている。矢羽の柄の着物と同じ色のリボンを後頭部で結び、ハーフアップにした髪は黒のロングだ。現代日本では行事などでしか見ない格好も、浅草という場では然程浮いていない。

 車に立てかけられた幟には『真実ヲ写ス寫眞機』とある。


「やっぱりスマホの時代だと難しいんでしょうか」

「まあ、古写真風の絵も作ろうと思えば作れますからね」


 木箱を椅子代わりにチェーン店の珈琲で一服している男の横で、少女は仲見世名物雷門ソフトを食べている。雷門の真っ赤な提灯を模したゴーフルが添えられたバニラソフトは、初秋の頃にも拘わらずそれなりに売れているようだ。


「すいませーん、一枚いいっすかぁ?」


 目の前を幾人もの観光客が素通りしていく中、ふと、一組のカップルが声をかけてきた。派手な身なりをした男女で、女性のほうは着崩した浴衣姿をしている。


「はーい! 映さん、お仕事ですよ!」

「はいはいただいま。鏡花さんも手伝ってください」


 よっこいしょ。と、年寄り臭いかけ声と共に立ち上がると、映さんと呼ばれた男は首に提げた写真機を構えてカップルに向き合った。


「背景は雷門がよろしいですかね」

「あー、そんな感じでオネシャス」


 男の反応に、少女――鏡花は首を傾げる。自分から頼んできたわりには、それほど乗り気ではなさそうに思えるのだ。個人端末でいくらでもどれだけでも盛った写真が撮れる現代。わざわざ一枚千円もする観光用の写真屋などに頼む人は多くない。だがわざわざ頼むということは、こだわりの一枚がほしい人でもある。他人が写り込んだ写真は嫌だからと、観光客が少なくなる頃合いまで小一時間粘られたこともあった。

 けれど今回の客は、悪い意味でこだわりがないように見えた。


「鏡花さん、行きますよ」

「あ、はーい」


 雷門を背景に、横並びで立つカップル。

 観光を楽しんでいるように見える女の表情に対して、男のほうはやはり何処か気が抜けているような、よそ事を考えているような、そんな顔だ。

 シャッターが押され、レトロな色味の写真が一枚吐き出される。それを横から見た鏡花は、思わず「お姉さん」と女のほうを手招きした。


「あのですね……この人に見覚えあります?」

「え、なに? 誰か写っちゃった?」


 鏡花が怖々と写真を差し出す。

 覗き込んだ女の顔は、最初は不思議そうにきょとんとしており、すぐに目尻をつり上げて怒りの表情に変わった。

 写真には、肩を組んで並ぶ男女が写っていた。いま撮影した二人は、僅かに隙間を空けて並んでいたにも拘わらず。そして、此処に写っている女は、いまこの場にいる派手な身なりの女ではなかった。

 ボブカットの黒髪と、大人しそうな顔立ち。眉を下げ俯いた状態で、男に無理矢理肩を組まされている。男は此方にピースサインと満面の笑みを向けており、その女の体は、大きく膨らんだ腹は、見るからに妊婦のそれであった。更に女は顔や体に複数痣を作っていて、痩せた体と大きな腹が痛々しいほどアンバランスだ。


「ッ、りゅーじ! これどーゆーこと!? なんで杏奈が……」

「はァ? なんだようるっせーなぁ……」


 喚きながらズカズカと近付いていき、女が男の眼前に写真を叩きつける。

 それを見た男の顔が、見る間に青ざめていって――そして、あっと思う隙もなく、女を殴りつけた。


「テメエ! このクソ女ァ! どういうことだよ! いつの間にパクりやがった! あァ!?」


 悲鳴とざわめきが周囲から起こる。

 誰かの「警察を!」という叫び声が上がる中、男は殴られた衝撃で倒れ込んだ女を何度も殴り、踏みつけ、髪を掴んでは抜けるほど強く引っ張りながら怒鳴っている。女はなにをされても無反応で、地面に放り捨てられた瞬間跳ねるように痙攣した。

 遠巻きにしていた野次馬から「あれヤバいんじゃ……」という怯えた声が漏れる。女の痙攣は収まらず、それでも男は真っ赤な顔で殴り、喚き続けている。

 間もなく男は警察に取り押さえられ、女は救急車で運ばれていった。その手には、一枚の写真が握られていた。


 * * *


「あっ、映さん、映彦さん、こないだのヤバいお客さん、ニュースになってますよ」


 晴れた空の下、たらいに重ねた洗濯物を抱えた鏡花が、テレビを横目に映彦を呼び止めた。映彦は縁側に出ようとした足を止め、後ろ歩きでテレビの前に戻る。


「あれ、本当ですね」


 木目調の箱形テレビには、朝のニュースが映っている。男性アナウンサーが淡々とした声で、先日の凄惨な事件を読み上げた。

 浅草の雷門前にて、32歳の男が28歳の女性を暴行したとして現行犯逮捕されたニュースだ。目撃者が多くいる中での犯行だったために言い逃れは出来ないようで、概ね犯行を認めている模様。

 更に男には余罪があり、彼の自宅を捜査すると監禁された女性がいた。女性は妊娠八ヶ月であるにも拘わらず毎日のようにレイプされており、心身共に衰弱していた。そしてその女性は、往来で殴られた女性の知人でもあったという。

 被害者の女性はどちらも一命を取り留めたものの、往来で殴られたほうの女性は、脳出血のせいで左半身に僅かながら後遺症が出てしまった。


「わー、とんでもないドクズですねえ」

「鏡花さんは撮る前からわかっていたでしょうに」


 テレビを消して縁側に出ると、映彦は良く晴れた空を見上げて目を細めた。鏡花も洗濯物を抱えて沓脱ぎ石から庭へと降り、首を傾げて映彦を振り返る。


「だってあの人、真っ黒でしたもん。人型に写るか心配なくらいでしたよ」

「それはそれは。よく頑張りましたね」


 映彦が手の中の写真機を撫でると、鏡花がうれしそうにしまりのない顔で笑った。


「あっ、お、お洗濯済ませちゃいますね!」


 照れのあまりに言葉を閊えさせながら一息に言うと、鏡花は裏手の井戸のところへ駆けていった。たすき掛けした背中が角を曲がって消えたのを見送り、手の中にある写真機へと目を落とす。

 古い箱形の写真機には大きなレンズが一つついており、レンズの周囲にはピントを合わせるダイヤルと見せかけて奇妙な紋様が刻まれたリングが填まっている。紋様は梵字に似ているが、既存のどれとも一致しない。

 そしてその紋様は、鏡花の体にも刻まれている。


「真実が白日の下にさらされたのはいいですが、あの女性には悪いことをしました。写真機の性質上、穏便に済むことは稀とはいえ……」


 何度も写真機を撫でながら独りごちていると、家の陰から鏡花が顔を覗かせた。


「あの……」

「鏡花さん、お洗濯は終わったんですか?」

「いえ、もうちょっとで……じゃなくて、ええとですね……」


 煮え切らない様子でもごもごと呟いていたかと思うと、鏡花は真っ赤な顔で映彦の手元を見ながら、


「あんまり撫でられると、くすぐったいです……」


 そう訴えて、逃げるように駆け去って行った。


「……感覚、繋がっていたんですね……」


 悪いことをした。

 そう暢気に思ってから、ふと気付く。

 写真機であるとはいえ、うら若き女性の体を執拗に撫で回した。これは言い逃れのしようもなくセクハラなのでは、と。


「申し訳ないことをしましたね……戻ったらちゃんと謝りましょう」


 抜けるような青空の下。

 真実を写す写真機と写真家は、夕焼けのような赤い顔をしていた。


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