ある男と俺

 これはある男と俺の物語である。


 ある日の休日、散歩が好きな俺は原宿駅から出発して表参道を歩いていた。目的を決めず、あまり何かを考えないで歩くことで気楽に休日を満喫している。表参道で昼食を取りながらこの後どこへ行って、どういうルートで自宅へ帰るのかを考えた。色々悩んだ末に青山方面へ向かって散策してから渋谷駅で電車へ乗ることに決めた。普段通り思い立ったら即行動を起こす。店を出て青山をぶらぶら歩いていたが急にお腹が痛くなったので走って近くのコンビニへ向かった。向かっている途中で犬の糞を踏んでしまった。糞を踏んでしまって不運とかとてもくだらないダジャレが思い浮かんだが、お腹が痛すぎてそれどころではない。幸いコンビニのトイレは空いていた。20分くらいの格闘の末スッキリすることができた。お腹の調子は良くなったが、靴を早く綺麗にしたいので散策することをやめて我が家へ帰った。


 翌週の土曜日。前々から観たいと思っていた映画があったので、新宿の映画館に来ている。休日ということもあり中々の混み具合だ。俺の観ようと思っている恋愛映画はすでに空席はなかった。しかしそれを見越して前日にチケットを予約していた。昨日の俺、グッジョブや。入場時間になり、映画館に入ると右も左もカップルだらけだった。どうせ俺は独り身だと心の中で思い、気持ちが萎えた。それでも映画が始まってからは周りを気にすることなく集中して観ることができた。あっという間に終わってしまった。2時間の映画だったのにこんなに早く感じたのは久しぶりのことだった。日も暮れ始めてきていたので帰宅するために駅へ向かっていた。この交差点を曲がったらもうすぐ駅に着く。思いがけず前方に目をやると斜め前の信号付近で俺と容姿が良く似ている男がいた。ドッペルゲンガーに出会ってしまったと思いすぐにその場を離れた。頭の中ではドッペルゲンガーに出会ったら死ぬというスピリチュアル的な考えがあるのを思い出していた。不安や恐怖、不気味であるといった感情が湧き起こっている。そんなことを考えていたのが良くなかったのだろう。帰るルートではないところを曲がってしまい、曲がり角でヤンキー風の3人組にぶつかってしまった。すぐさまこちらが謝ったのだが、相手はとても怒っていて、路地裏に連れて行かれた。そこでボコボコに殴られて喝上げをされた。身体中とても痛い。それでも顔を殴られなかったのは不幸中の幸いだろう。少し身体を休めてからなんとか気力を振り絞って帰宅した。帰宅後、ドッペルゲンガーに出会って不幸が訪れたのではないか、このままその内死んでしまう出来事が起こってしまうのではないかと恐怖心が芽生えたのだった。


 それから2週間は何事もなく平凡な日々を過ごせている。今日は吉祥寺駅周辺にある実家へ行く予定だ。三鷹市で一人暮らしをしているので徒歩で30分くらいの距離にある。歩くことが好きな俺にとっては自転車を使わずにいつも徒歩で実家を訪れる。両親は共に還暦を迎えているので、心配することや手伝いをするために定期的に帰ることにしている。両親にはお昼くらいに行くと伝えてあるので、朝はゆったりと準備を整えて出発した。それでも時間に余裕があるので、偶には違う道で歩いて向かうことを考えた。大通りを歩いていると吉祥寺に向かうバスとすれ違った。信号で止まっているのでバスの中に目をやりながら歩いていたら、窓側の席にこの前見かけたドッペルゲンガーが座っていた。そして一瞬目が合った。2週間前の出来事がフラッシュバックして、パニックになり気付いたら逃げるように走り出していた。後ろを振り返えらず、急いでその場を離れて実家へ向かった。ここら辺の住宅街は見通しが悪い。信号のない十字路に差し掛かったときに横から軽自動車が走って来ていた。景色がまるでスローモーションになったかように感じる。このとき昔から見通しが悪いから気を付けて歩きなさいと母から言われてきたことを思い出した。そして自分がタキサイキア現象を体験するとは思わなかった。横から来る衝撃と共に意識が途絶えた。


 ここは夢の中か、あるいは死後の世界なのか。後ろから何かに追いかけられているような気配がある。後ろを確認したくても自分の意思では振り向くことができず、前へと身体が勝手に走っている。そして門の前に到着した。奥には線路とその先に大きな門があった。手前の門の前には門番がいたのだが会話をすることもできなかった。身体は勝手に奥へと進んでいき線路の前までやってきてようやく止まった。そこでどれくらいの時間が経ったのかは定かではないが、結構な時間そこに立っていたように感じる。唐突に、脳へ直接「引き返せ」という命令が入ってきた。その意味も分からず、そもそも身体の自由が効かないのだと思っていた。それでも直感的に引き返さなくてはいけないと思い、身体を動かそうとしたら自由に動けるようになっていた。急いで1つ目の門の方へ戻ると外でドッペルゲンガーが待ち構えていた。視線が合うとあっちは胸を押さえていつの間にか目の前から消えていた。あのドッペルゲンガーは、なんだったんだろうと考えている中で俺は急速に眠くなり目を閉じた。


 目を開けると知らないベッドで寝ていた。周りを見回すと病院であることがわかった。身体は麻酔が効いているのか動かすことはできない。しばらくぼんやりしていると看護師さんがやってきた。


「目覚めて本当に良かったです。事故にあったことは覚えていますか?」


「たしか横から車に跳ねられました。全身が動かせないんですけど、これって大丈夫なんですか?」

 口を上手く動かせないながらもなんとか伝えることができた。


「手術で全身麻酔をしたので、まだ麻酔が切れてないだけですよ。これからご両親を呼びますので、そのあと担当医の先生から詳しい説明をしますね」


 しばらくして両親がやってきた。母は生きてて良かったと泣き崩れている。俺と父でなんとか宥めて平静を取り戻してくれた。母が落ち着いたところで担当医の先生から説明を受けた。肋骨骨折と上腕骨骨折、肩関節の脱臼にかなりの出血をしていたため輸血をしたとのことだった。全治は6ヶ月くらいで2ヶ月から3ヶ月くらいしたら状況に応じて退院できるそうだ。早く動けるようになるためにリハビリを頑張ろうと決意した。

 それから病院での入院生活では、積極的にリハビリをおこなったので2ヶ月で退院するまでに至った。両親もかなりの頻度でお見舞いに来てくれたのでとても励みになった。こういう時に彼女がいるともっと頑張れるんだろうな。

 ドッペルゲンガーらしき人のことは話をするか迷ったのだが、お医者さんや両親に話していない。入院したことで迷惑を掛けたのに、これ以上心配事を増やすわけにはいかないと思ったのに加えて非現実的な話をして異常があると思われたくなかったからだ。入院中に考える時間が沢山あったので、このことを墓場まで持っていく決意を固めていた。

 退院する時には7月下旬になっていた。入院中テレビを見ることが多く、今年の夏は例年以上の暑さになると毎年聞いたことのあるようなフレーズを毎日テレビで聞いていた。2ヶ月間クーラー生活を送っていた俺にとってはとても辛い夏になりそうだ。


 あっという間に8月のお盆になった。職場に復帰しても片腕が使えないのであまり役に立たなかったができることを少しずつこなしていった。2ヶ月も休んでいたのにお盆の休みを頂けるのでホワイトな職場で良かったと心底思った。

 お盆休みは名古屋にある母親の実家へ行くことを伝えていて、今は両親と新幹線で移動中である。母方の祖父母もとても心配性なので入院中は結構な頻度で連絡が来たものだ。元気になった姿を見せて安心させよう。


 祖父母に会って元気な姿を見せられたので、会った次の日は別行動をしていた。というのも俺が行こうとしているところは味仙という台湾ラーメン屋で、他の皆は辛いものが苦手なので着いてこないというだけなのだ。台湾ラーメンの辛さを堪能して帰ろうとしている時、なんとも言えない胸騒ぎがした。そして大通りを越えた先の商店街に目を向けるとドッペルゲンガーがいた。気づいた時には逃げるために脇道へ移動をした。この辺の土地勘はそこそこあるので実家まで無事に辿り着くことができた。着いた頃には胸騒ぎは消えていた。ドッペルゲンガーを見かけてから初めて無事でいられたことに安堵する。ただまた出会う可能性や不幸なことがあるかもしれないから注意を怠らないようにしよう。

 そんな心配とは裏腹に不幸な出来事が起こることはなく、名古屋を楽しむことが出来た。


 季節は過ぎて食欲の秋になっていた。最近では9月までの残暑の厳しさが一転して長袖が必要な肌寒さを感じる。そんな中、今日は立川のラーメンスクエアに来ていた。1フロアに全国各地7店舗のラーメン屋が出店している。全店舗の制覇を目指して通い始めて今日で7店舗目。やっとコンプリートできる。普段は醤油ラーメンか塩ラーメンを食べることが多いため、今日食べようとしている北海道味噌ラーメンは初めての経験だ。ラードがたっぷりと使われてこってりとしていて最後までアツアツで美味しく食べられた。完食する頃には身体がポカポカで肌寒くなった季節にはちょうど良く、冬になったらもう一度訪れよう。

 今日の目的を果たせたので帰宅するために電車に並んでいた。電車がちょうど着いて乗り込もうとする時、以前に感じた胸騒ぎが起きた。階段の方を見てみるとドッペルゲンガーが降りてきている。ここまで接近されるのは初めてのことでびっくりした。それでも逃げ場はないので電車に乗り少しでも距離を取って待機する。発車ベルが鳴り終えドアが閉まり始めている。このタイミングでは乗ることは無理だろう。だがドッペルゲンガーは顔を挟んで強引に乗り込もうとしていた。そしてドアが開き乗り込んできた。そのタイミングで俺は降りる決断を咄嗟に下す。すぐにドアは閉まり、ドッペルゲンガーを乗せて発車した。先ほど挟まっていた瞬間を思い出し、ドッペルゲンガーでもそんなことがあるんだなと笑ってしまった。発車方向がドッペルゲンガーとすれ違うので笑っているところで目があった。ドア越しのとても近い距離で見ていたが本当によく似ている。電車が過ぎ去って落ち着きを取り戻した頃には先ほど感じていた胸騒ぎはいつの間にか消えていた。このまま次の電車に乗って帰っても待ち伏せされているかもしれないので別ルートで帰り何事もなく家へ着いた。

 寝るまでに少し時間があったので胸騒ぎの理由を考えていた。ドッペルゲンガーが関係しているのかもと思ったが、それなら夏まで感じなかった理由に説明することができない。色々考えたが結論は出せず眠りについてしまった。


 冬のイベントであるクリスマスと正月を終えて、そろそろ成人式や新年会を行う人もいるだろう。凍てつくような寒さの中でご苦労である。今日は3連休の初日で雪が降っていた。こたつでゴロゴロしていたのだが、晩酌用のお酒を切らしていることに気がつき酒屋まで足を運ぶ。久しぶりに雪が積もる中での外出をした。お目当ての日本酒を買えて、明日のことを気にせず飲むことができることを考えていると、自然と笑みが溢れてしまった。幸い人通りがなくてよかったが、1人で笑っていたら変人扱いされてしまうだろう。バス通りから住宅街へ入ろうとした時に前回とは比べ物にならないくらいの胸騒ぎが起き、とても不穏な予感がする。周りを見ても誰も近くにいないので、自宅へ歩みを進める。雪で見通しが悪く、ここの住宅街で交通事故をしたので細心の注意を払いながら進んでいった。それから少し経って、後ろから何かがぶつかるような大きな音が聞こえた。交通事故があったみたいだ。自分も何かした方が良いかと思い向かおうとしたが、車から7人くらいの若い男が出てきたので行くことを躊躇した。このまま行って何もできずただの野次馬になっても邪魔なだけだと思い、自宅へ帰った。家へ着いた時には胸騒ぎはとっくになっていた。


 その日の夜寝ていると、自分が交通事故をした時の夢を見ている。ただ今回は身体を動かすことができるみたいだ。そして1つ目の門のところをドッペルゲンガーが入っていくのが見えたので急いで追いかけた。1つ目の門を越えようとした時、門番に通せん坊された。理由を聞こうとしてみたが、このように答えられた。


「あなたはここから先へは進めません」


「前来た時は線路のところまで行くことができたのにどうしてダメなんですか?」


「理由は言えません。お引き取りください」


 そんな要領を得ない回答をされてしまった。門の前で待っていても門番に何かをされるわけではなかったので線路の前に立っているドッペルゲンガーを見ていた。しばらく待っていると奥の門が開いた。遠くから見ても分かるくらい奥へと続く道は真っ暗になっていた。ドッペルゲンガーは吸い寄せられるかのように入っていった。


 俺がドッペルゲンガーを見つめていると「いってしまったか」と門番はつぶやいていた。

 どういう意味かを聞こうとした時、意識は途絶えて目が覚めた。モヤモヤした気持ちで朝を迎える。ただ今日見た夢、前回見た夢がとても大事なような気がして忘れないようにメモへ残した。


 それから平穏な日々を送り、病院のベッドで最後の時を迎えようとしていた。ドッペルゲンガーはあの雪の日から見かけていないし、胸騒ぎが起こることも無かった。あの夢がなんだったのか死ぬ寸前まで分からなかった。そう死ぬ寸前までは。


 老衰で意識が薄れていく中、人生で3度目となるこの場所へ訪れていた。今回は初めて来た時みたいに身体が動かず、勝手に線路の前まで進んでいった。そこで少しの時が経ち大きな門が開かれた。やはり今回も奥は真っ暗になっていた。

 今までの人生で色々経験してきてこの線路が三途の川ではないかと思い至っていた。そしてここを越えると死後の世界ではないのかとも。だから初めて来た時は線路を越えなかったことで生還できたのだと思う。悲しいことではあるが、2回目訪れた時にはドッペルゲンガーは亡くなってしまったんだと思った。全てが憶測に過ぎないがあながち間違ってはいないだろう。

 そんなことを考えていると奥へと勝手に進んでいき、門が閉じた。

 そこには1つの魂だけが残っていた。

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ドッペルゲンガー? 勝田一 @katsu111

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