人鳥
上雲楽
being penguin
ホルヘ・ルイス・ボルヘスの著作である「幻獣辞典」において、「ペンギン」が紹介されている。初版では「アナトール・フランスの鳥」と紹介されていたものである。高級な知性を持ち二足歩行する鳥で、群れで動き、海中の小魚を食べる。小魚がいなければコウイカ、ヤリイカ、オキアミを食べるがオキアミは消化できない。男女一対となって卵を保護するが、同性で対をなすこともある。毎夜竜に変装し、盗みや人さらいを行い、政略に長けている。
ヨーロッパ諸国において、ペンギンのパブリックイメージはアナトール・フランスの「ペンギンの島」によって形成され、ペンギンは実在する動物として社会に受容された。ペンギンは洗礼を施され、知恵を持ち、文明を築いたものとして、人類とは異なる形態のインテリジェンスが存在するという確信は特にキリスト教圏において広く共有された。1948年に国連で採択された世界人権宣言には、「すべての人は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」という記述があるが、ここでの「人」とはホモ・サピエンスに限らず、知性と自立した意思を持つ生命すべてと解釈されるのが通説である。この解釈で念頭においている生物がほとんどペンギンと同義であるのは現在も同様である。
ペンギンの存在が二十世紀以降の北半球で急速な支持を得たのは、1848年の「共産党宣言」以後のマルクス主義の台頭の反動としても捉えられる。ロシア革命以後、キリスト教会は更に反共姿勢を強めたが、その対抗のシンボルとして暗に利用されたのがペンギンだった。「飛べない海で暮らす鳥」自体は、主に南半球で化石が発見されている。ペンギンはその末裔として存在すると「科学的」に主張されたが、それはキリスト教圏において人類ではない知性=天使の代替として信仰されたと換言できる。協会が組織的にペンギンをシンボルとしたり、存在を説教することはほとんどなかったが、市民間ではペンギンの文明が存在することは、暗黙の了解となっており、無神論国家の樹立と同様の現実味とインパクトとを持って共有された。その後の二度の世界大戦を経て、「人」の平等、連帯の象徴として、ペンギンはより信仰されることになる。
ボルヘスの「ペンギン」の項が当初「アナトール・フランスの鳥」であったのは、前述したこれまでの社会状況に対するアイロニーだったとも考えられる。20世紀以前の南アメリカ、あるいは南半球全体において、「ペンギン」はありふれた民間伝承だった。しかし、「ペンギンの島」を皮切りに「ペンギン」はキリスト教に基づいた人権思想のエビデンスとして北半球の各国に簒奪されることになった。今日においてこそ、ペンギンは人権の論理を成立させるのに必要な擬制であると了解されているが、「幻獣辞典」の出版された1957年においては、一部の懐疑主義者を除いて、現在する生物と考えるのが常識であった。だからペンギンを「アナトール・フランスの鳥」という「幻獣」として記述することは、ヨーロッパ諸国が自明視している人権思想が、北半球の近代以後に限定して共有されているフィクションであることを提示するものだったと言える。
南極大陸にはペンギンの文明が存在するとされる。そのために南極大陸はすべての国にとって不可侵の領域となった。南極大陸の調査や探索は現在も禁止されており、ペンギンの文明はまだ観測されていない。1959年に締結された南極条約では、南極大陸は先住者であるペンギンが実効支配している。ペンギンとの軍事的、文化的混乱を回避するために南極大陸への接近も含めてあらゆる干渉が禁止されている。
人類が南極大陸に到達したことはないので、「ペンギンの島」で聖者がペンギンに洗礼を施した記述は、恐らくフィクションであると思われる。「ペンギンの島」はペンギン社会学的に重要な書物であることに間違いはないが、近年の研究では多数のフィクションを孕むことが指摘されている。例えばマルコ・ポーロの「東方見聞録」が当時のアジアの風俗を伝え、ヨーロッパに影響を与えた資料として重要であるが、誤った内容を多分に含むのと同じように。
しかし、洗礼を施した記述がフィクションであるのは、極めて重要な問題である。ペンギンの権利は洗礼を施され、ペンギンが人間に変身したことを証拠として認められたものである。この記述は、非人類的インテリジェンスとアナトール・フランスが接触し、「ペンギンが人間となった」というメタファーで、「ペンギンと人間は平等であるという気付き」を得たことを表現したものとして了解されていた。もしも、洗礼がフィクションなら、ペンギンの権利主体としてなりうるという論拠を失いかねない。だが、前言を撤回するが、これが思想的な問題となることはなかった。ペンギンの存在は、「ペンギンの島」が出版された直後からキリスト教的な論点とは切り離されていた。「ペンギンの島」が純然なペンギンの文明、歴史の採取ではないことは当初から批判的に検討がなされていた。それでも尚、ペンギンが確信されたのは、化石、伝承などからそもそも科学的事実として周知されていたからだった。地球球体説が通説になる以前から、船乗りたちが地球が球体であることを知っていたようなもので、「ペンギンの島」は誰もが知っていたペンギンの存在に(今から見れば稚拙かもしれないが)科学的根拠を与えてくれたものに過ぎなかった。そのため、洗礼云々以前に、ペンギンがただペンギンとして存在する(と考えられた)ことが人権思想の基盤として有効なのであり、「フィクション」としての人権思想そのものが共通認識となった今日においては、その前史としてのペンギンは擬制以上の意味を持たない。
地球上で「飛べない海で暮らす鳥」は18種類観測されており、それらを総称して、ボルヘスになぞらえて「ペンギン」と呼ぶことがある。水族館等で飼育されているが、最近、「ペンギン」の発する鳴き声にパターンが発見され、言語に近いとする研究成果が発表された。マスコミは「ペンギン」の実在だと報道し、騒動になったが、仮に「ペンギン」が「ペンギン」だとしてもどうでもいい話である。「ペンギン」は制度であり、価値はそこにある。しかし、水族館で犇めいている「ペンギン」が言語を話し、文明を築き、人類ではないやり方を示してくれるのではないかと、私もまだ期待を捨てきれないでいる。
人鳥 上雲楽 @dasvir
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