ポポ

香久山 ゆみ

ポポ

 ポポはため息をつきました。

 雨は嫌いです。食事にありつけない可能性が高いし、水に濡れた羽は重くなる。羽と一緒に気持ちまで沈むのは、水溜りのせい。

 雨がやむと、皆ねぐらから飛び出してのびのびと翼を広げる。ポポもあとを追うけれど、水溜りに映る自分の姿を見るや、しょんぼり翼がしぼむ。もう雨は降っていないのに。

 ポポの姿は皆とは違うのです。公園の白い石畳の上に、仲間達の姿は美しく映えます。グレーに黒のラインの入ったシックな佇まいながら、首元は光を反射して緑に紫にと虹色に輝く。皆の姿が眩しくて、ポポは目を細めます。美しい色彩の皆と違って、ポポには色がありません。

 たとえば、てんとう虫は生まれた時はつるりと黄色い体をしているけれど、成長とともに羽は赤くなり黒い七つ星が浮かび上がるといいます。だからポポも、未着色の自分の体にも、いつか仲間みたいに立派な鳩らしい模様が出てくると信じていました。けれど、いくら経ってもポポの体は白いままです。

 ふだん自分の姿を見ることはなく、つい忘れてしまいそうになるけれど、ことある毎に自分は仲間とは違うのだと突きつけられます。たとえば、水溜りの上を飛んだ時。たとえば、おやつをくれる人間のところに皆で集合した時、「白い子がいる」と指差される。たとえば、一斉に舞い上がって地面に羽根で模様を描く時、ポポの白い羽根は白い石畳に紛れてそこだけぽっかり穴が空いたようになります。

 どうして僕だけ皆と一緒じゃないんだろう。ポポは毎日かなしくて仕方ありません。

 ある日、おやつをくれる女の子の長かった髪が、ばっさり短くなっていました。

「イメージチェンジしたくって、遠い町の美容室まで行ったのよ」

 女の子ははにかみました。

「分かる。ぼくも大冒険の末に背中の七つ星を手に入れたんだ。変わるって、大変だよね」

 てんとう虫が相槌を打ちます。ポポはまるで豆鉄砲を食らったみたいな衝撃でした。

 そうか! 変わるためには自分で動かなきゃならないんだ。公園でじっとしていたって、いつまで経っても何も変わらない。

 ポポは公園を飛び出しました。

 女の子が言うには、「美容室」では髪の色を変えたりもできるらしい。それだ! ポポは町まで飛んでいきました。

 コンコン、美容室のドアをくちばしで叩きます。これでついに僕も皆と同じ美しい色を手に入れるんだ。クルックー。期待に胸が膨らみます。

「ごめんね。うち、鳩はやってないのよ」

 美容師さんが申し訳なさそうに言いました。

「なら、鳩の美容室はどこへ行けばありますか?」

「うーん、聞いたことないわねえ」

 ポポはがっくり肩を落としました。

 でも、どこかにはあるかもしれない。ポポはあちこち飛び回りましたが、やはりどこにも鳩の美容室はありませんでした。

 もう何色でもいい。とにかく立派な色が欲しい。

 気づけば県境の山の麓まで来ていました。

 自動車専用道路では、トラックや自動車がびゅんびゅん速いスピードで走っていきます。

 疲れたなあ。ポポが高度を低くしたその時、大型トラックが唸りをあげて通り抜けました。

 びしゃびしゃ!

 水溜りの上を通ったトラックが跳ね上げた水で、ポポはずぶ濡れになりました。羽が濡れて上手く飛べない。走る車が起こす風に煽られて、ポポはふらふら宙を舞い、なんとか道路から外れて、なるべく遠くへ逃げようと懸命に飛び、山の中腹まで辿り着きました。

 山中に車はおらず、ほっと息つきました。

 公園とは比べ物にならぬ程多くの木々が茂っています。さらさら川の流れる音もします。

 喉が渇いた。疲れてもう飛べないポポは、歩いて川を目指します。

「ドゥードゥーポッポー」

 公園の皆とは違う鳴き方だけど、どこかで鳩の声がする。きょろきょろ探すも鬱蒼とする中に姿を見つけることはできませんでした。

 川に着いたポポは、川べりから慎重に首を伸ばして水を飲もうとしました。

「わっ」

 驚いたポポはころんと後ろに転びました。

 川を覗くと、知らない鳩がこちらを見ていたのです! 先程どこかで「ポッポー」と鳴いていた鳩でしょうか。

「ご、ごめんなさい。先客がいるとは気づかなくって」

 尻餅ついたまま川に向かって声を掛けます。返事はありません。ポポはまたそっと川を覗きます。だって喉がカラカラなんですもの。

「わ!」

 川を覗くと、やはり茶色い鳩が川の中からこちらを覗いています。ん? 川の中から? 

 大変! 溺れているのかもしれません!

「大丈夫ですか?!」

 ポポは茶色い鳩に向かって声を掛けました。

 ダイジョウブデスカ?! 茶色い鳩は水の中でポポと同じように口をパクパク動かします。ん? ポポが首を傾げると、茶色い鳩も首を傾げます。ポポが口を開けると、茶色い鳩も口を開けます。バサァッとポポが翼を広げると、茶色いハトも翼を広げます。

 もしかして……。ポポは首を捻って恐るおそる自分の翼を見ました。

 !!!!!

 ポポの体が茶色になっています! きっと、トラックに泥水を掛けられたせいです。

 やったあ! ついに僕は色を手に入れた。公園の皆とはちょっと違うけれど。

「ドゥードゥーポッポー」

 どこかで鳩の鳴き声がします。ポポは鳴き声に合わせて喜びの舞を踊ります。

「くすくす、変な子ねえ」

「かわいい踊りじゃないか」

 近くの木からバサバサと二羽の鳩が飛んできました。ポポと同じ茶色い体をしています。

「あたし達は山に住むキジバトよ」

「きみはどこから来たんだい?」

 茶色いキジバトの夫婦がポポに尋ねます。

「僕は白い石畳の公園から来ました。けれど、僕の体の色はあなた方と同じです。ぜひ仲間にしてください」

 ポポはくいっと頭を下げました。ついに同じ色の仲間ができました。もう自分だけ違うと悩むことはありません。

「だめよ」

「群れで生活する公園のドバトと違って、キジバトは夫婦だけで暮らすんだよ」

 だからきみを仲間にはしてあげられない。キジバト夫婦は言いました。

 きみもつがいを探せばいいさ。そう言われて、ポポはひとり山を彷徨いました。どこかで鳴き声はするものの、鳩は見つかりません。見上げると、太陽の周りにうっすら虹色の光の輪が見えます。公園の皆を思い出して、少しさびしくなりました。ポツリとポポの鼻先に雫が落ちました。すぐに、ザーッと雨が降ってきました。ポポはびしょ濡れになって、せっかく茶色に染まった体もすっかり雨に洗い流され、また白い体に戻ってしまいました。これではキジバトにはなれません。

 雨がやむと、ポポは山を下りました。

 町まで戻った時にはすっかり暗くなっていました。今日はもうこれ以上移動できません。ポポは途方に暮れました。どこにも居場所がありません。

「ちょっと、そこの白い子! 時間あるかい」

 突然、燕尾服を着た男の人に声を掛けられました。とても慌てているようです。

「あ、あ、はい」

「よかった! こっち来て、助けてくれ」

 男の人はポポを連れて大きな劇場の裏口に入っていきました。「よかった、間に合った」と、舞台袖まで駆け込みます。

「急にすまないね。相棒が腹を壊して入院してしまってね。代りのパートナーを探していたんだよ。ちょうどきみみたいな白い鳩を!」

 ポポに出会えたことを心底喜んでいます。

「いいかい、今から説明することをよく聞いて。すぐに出番だ。きみはここに入って待機するんだ。静かに、動いちゃだめだよ。そして、私が合図したら思い切り飛び出してくれ」

 そう言って男の人は、ポポを頭の上に乗せて、その上から黒いシルクハットをかぶりました。キュッと赤い蝶ネクタイを結ぶと、ラッパの音に合わせて舞台の中央に出て行きます。彼はマジシャンなのです。

 ポポの出番は一番最後でした。マジシャンがトランプやテーブルマジックを披露するたびに、会場から「おーっ」と声が上がります。

「それでは最後に。このシルクハットには種も仕掛けもございません」

 マジシャンがシルクハットを持ち上げます。ポポは観客に見つからないよう、じっと息を潜めます。しばらくして、トン、とマジシャンがシルクハットを指でつつきました。

 合図だ!

 ポポはバッと翼を広げてシルクハットから飛び出しました。

「おおーっ!」

 その日一番の歓声が上がります。ポポは会場をぐるりと一周して舞台の上まで戻ります。胸がドキドキしています。スポットライトに目が眩んで、マジシャンの肩に着地するはずが、間違えて頭の上に乗ってしまいました。けれど、それが大うけでした。マジシャンも褒めてくれました。

「ありがとう。きみのおかげで無事にショーができたよ。マジシャンが出すのは白い鳩でないといけないからね」

 そうして、翌日からもポポはマジシャンとともに舞台に立ちました。白い鳩じゃないとだめなんです。ポポはようやく居場所を見つけたと思いました。評判も上々で、ポポは公園にいた時よりも十分なごはんを食べることができました。

「おおーっ!」という歓声を聞くのが好きでした。

 けれど、いつからか歓声ではなく、クスクスと笑い声が聞こえるようになりました。

「見て。シルクハットから鳩のしっぽが出てる」

 観客の囁きが聞こえます。

 数日過ごすうちに、ポポの体は少し大きくなりました。シルクハットから体がはみ出ます。でも「気にするな」とマジシャンが言ってくれるから、ポポは彼と舞台に立ちます。

 折しも、マジシャンの「相棒」が退院しました。それでも「ここにいていい」と、マジシャンはポポに言いました。「ポポとハット、一日おきで舞台に立てばいいさ」

 相棒は「ハット」という名前で、ポポより一回り小さな白い鳩でした。

「はじめまして。あら? あなた、ギンバトじゃないのね。シルクハットに入るには少し大きいんじゃなくて?」

 今夜はマジシャンとハットが舞台に立つ番です。ポポは舞台袖からふたりのショーを観ます。

 小柄なギンバトはシルクハットにすっぽり収まって、マジシャンがシルクハットを振っても羽根一つ落としません。合図でシルクハットから飛び出た彼女は、会場をぐるりぐるりと三周したあと、見事スポットライトの真下のマジシャンの肩に止まりました。会場は割れんばかりの拍手喝采。

 ポポはそっと劇場を去りました。

 ポポはマジックショーに出るには大きすぎるし、スポットライトの光の強さにも慣れません。マジシャンの相棒はハットであり、ポポではないのだと痛感しました。

 とぼとぼ町を歩きますが、行く当てなどありません。白い石畳の公園を出て、もうずいぶん遠くまで来てしまいました。ここがどこかも分からない。

 涙を堪えてぐっと顔を上げた時、青空の下を鳩が飛んでいくのが見えました。グレーの体に虹色の襟巻き。懐かしい姿に、思わずあとを追います。

「こんにちは!」

 声を掛けますが、猛スピードで飛ぶ鳩は止まってくれません。

「そんなに急いでどこへ行くんですか?」

「どうも。いま仕事中」

「何のお仕事ですか?」

「伝書鳩」

 手紙を届ける仕事だと言います。足に手紙を入れた小さな筒を結んでいます。なるほど、伝書鳩なら体の色は関係ありません。

「僕も伝書鳩をやりたいです!」

 ポポが言うと、伝書鳩はちらと視線を向けて言います。

「無理。我々は長い訓練を受けるんだ。だいいち、伝書鳩は帰巣本能で移動するけど、きみは根なし草だろ」

「……どこにも居場所がないんです。僕は皆と違うから……」

 弱々しく言うと、伝書鳩は少しスピードを落としてポポに並びました。

「帰りたいと念じてみな。そしたら自分の居場所に帰れるから。ドバトはそういう風にできてる」

「え。僕、ドバトじゃないです。皆みたいに美しい色じゃないもの」

「色が違うだけだろ。ドバトは帰巣本能が強いから、念じればきっと自分の居場所に着く」

 じゃ、仕事中だから。と、伝書鳩はまたスピードを上げて青空の中に消えていきました。

「僕の居場所に帰りたい」

 伝書鳩に教わった通り、ポポは念じました。

 けれど「居場所」がどこなのか、自分でも分かりません。キジバトのいる山ではなさそうです。マジシャンは突然いなくなったポポを探して、さびしがっているかもしれない。公園の仲間達はどうしているでしょう。それとも、まだ見ぬ場所だろうか。

「居場所に帰りたい」

 とにかく一心に念じて空を飛びました。雲の上は眩しくて、今どの辺りを飛んでいるのか分かりません。けれど、「こっちだ」と体が勝手に動きます。

 ずいぶん長いこと飛んで、「ここだ」と感じた場所にポポは降りました。

 そこは、白い石畳の公園でした。

 ポポは懐かしさに震えましたが、やはりグレーと虹色の皆と違って、ポポひとりだけ白いままです。

「ポポ!」

 ポポを見つけた仲間が声を上げます。それで皆が集まってきました。

「ポポ、どこ行ってたんだよ」

「皆さびしがってたよ」

「そうそう。ボクらも人間も、ポポがいなくてさびしかった」

「だって、ポポはこの公園のアイドルだもの」

「白い鳩は平和の象徴だからね」

 仲間達が口々に言います。

「あれ、ポポ? どうしたの。豆鉄砲食らったみたいな顔して」

 ポポは泣いちゃいそうでした。皆がそんな風に思っているとは知らなかった。美しいみんなと違って、色のない自分が和を乱している。僕さえいなければ、この公園は完璧に美しいのに。ずっとそんな風に思っていました。

「ポポの真っ白な羽は、とっても美しいよ」

 ドバトも人間も口を揃えます。

「白は何色にも染まるんだよ」

 おいで。と、ポポは噴水につれていかれました。水飛沫の中に小さな虹ができています。

「ここに立ってごらん」

 ポポは虹の中に立ちました。すると、ポポの白い体に虹色が映りました!

「見た目なんて、どうだっていいんだよ。ただ、ポポがここにいたいかどうか」

「ここが嫌になってポポは出て行ってしまったのかしら」

 皆は不安げな視線をポポに向けます。

「僕は、皆のことが大好きで、皆とずっと一緒がいいから旅に出たんだよ」

 そうだ、ここが僕の居場所なんだ。

 僕が一番求めていたことは、皆と同じ色になることではなくて、ただ皆と一緒にいることだったんだ!

 それからポポは自信をもって、大きく羽ばたきました。青空を背景に、公園の上をぐるりぐるりと白い羽で三周しました。

 その様子は評判になり、白い石畳の公園にはたくさんのお客さんが来てたくさんのおやつをもらいました。活躍は遠くまで聞こえて、キジバトの夫婦も、マジシャンとハットも、伝書鳩も、「ああ、頑張り屋さんのあの子は幸せになったんだ」と微笑みました。

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