よし ひろし

 朝、目覚めていつものようにテレビをつけると、画面いっぱいに真黒な穴が写っていた。


 何だこれ?


 そう思い、音声に気を向けると、聞き覚えのある男性が興奮気味で話していた。


「穴です。今日未明に東京の中心に巨大な穴が出現しました!」


 何? 穴、え、ええ??


 まだ半分寝ていた頭が、クエスチョンマークで満たされる。


「この穴の規模は正確にはわかっていませんが、恐らく、山手線内一帯が広大な縦穴となっている模様です。今放送しているここ日本テレビ本社ビルのすぐそば、山手線新橋駅の西口、通称SL広場方面もすっぽり穴に覆われております。今映っていますのが、屋上に設置されたカメラから見たその映像です。山手線の線路を境に、西側が漆黒の空間に覆われてしまっています」


 山手線の内側――


「ええぇ!」


 はっきりと目が覚めた。山手線の内側と言えば、東京二十三区の大部分、いや日本の首都そのもが縦穴になってしまったというのか。

 ちなみに俺の住んでいるここも東京二十三区だが、練馬区なので、山手線の外だ。だからこうして平気なわけだが――


「穴に覆われた所の人たちはどうなったんだ…?」


 そこでふと思いつき、テレビのチャンネルを変える。


 TBS――しばらくお待ちください。

 フジテレビ――ヘリを飛ばして、その中継をしていた。

 テレ朝――しばらくお待ちください。

 テレ東――アニメ、をやっててくれれば少し安心したが、残念ながら何も映らない。


「スカイツリーは――山手線の外か。だからテレビは映っているのか…、でも――」

 山手線内に本社のあるテレビ局が放送していない。

「ああ、NHKは――、映ってるな」

 普段全く見ないのでNHKの存在を忘れていた。あそこは渋谷だが、山手線の外だ。

 やはりこんな時はNHKだな。

 そう思い、見るが、内容は日テレのものと大差なかった。何も詳しいことはわかっていない。

 ただ、渋谷から新宿方面側も、山手線を境に穴に覆われているのがその中継からわかった。本当に山手線内が消え去ってしまったようだ。


「……首都消失かよ」

 映画にもなった小松左京のSF小説を思い出す。あれは雲に覆われていたが、現象としては似たようなものだ。

「あれ、ラストどうなったっけ……」

 覚えてないなぁ。あとで読み直してみようかな。

 いや、今はそんな場合じゃないな。


「うーん…、もしかしてうちの会社もなくなったんじゃ……」

 俺の勤める会社は池袋、東口方面なので山手線の内側だ。

 今の時間じゃ、まだ誰も出社はしていないと思うが、確認の為に電話をしてみる。


 ツゥツゥツゥツゥ……


 繋がらない。

 あれ、電話自体使えないのかも…

 そう考え、埼玉の実家に電話してみる。スリーコールで繋がった。


「もしもし、俺だけど――。うん、大丈夫、ここは。でも、会社が――。うん、うん、わかった。とりあえず様子見るから。うん、色々調べてみるから、ああ、そう、うん、もう切るね。うん、そっちも気を付けて、じゃあ」

 母と軽く話をして電話を切る。埼玉、浦和の方は全く問題ないが、混乱はしているらしい。当然だろう。


 再びテレビに目を向けると、自衛隊のヘリがサーチで穴の中を照らしている映像が写っていた。

 が、どこまでも暗く、内部がどうなっているのかさっぱりわからない。


 もしかしたら、ネットなら何か情報が――


 手にしていたスマホで調べてみる。インターネットはちゃんと繋がっていた。ま、この手の災害には強い構造だからね。


「……」

 色々な情報は上がっていた。幾人かのユーチューバーが現場で生配信もしていた。が、結局何が起こっているのかはまるで分らない。


 穴の正体は何か――そのことで盛り上がってはいたが…


 地底世界に繋がっている?

 いやいや、異世界だろう?

 異星人のゲートか?

 リアル”アビス”だろう!


 まあ、それぞれ好き勝手な妄想が書き綴られているだけで、役に立ちそうなものは皆無だ。

 ただ、穴の出現した場所に連絡が全くつかないというのは確かなようだ。人も建物も、どうなってしまったのか――誰にも答えは出せていない。


「さて、どうするか…」


 会社は――いいな、行かなくて。電車、動いてなさそうだし。

 あとは……、別にすることないな、事態が大きすぎて、個人じゃどうしようもないし……


「ああ、そうだ、朝ご飯――」


 そこでハッと気づく。

 食料、確保しといたほうがいいんじゃないか?

 テレビが映っているので電気は来ている。

 キッチンで確認。

 ガスも水道も大丈夫だ。

 となると後は、食べ物と飲み物――


「よし、下のコンビニで数日分の食料、仕入れておくか」


 部屋着のまま、スマホと念のため財布を持って外に出る。住んでいるマンションの一階にコンビニが入っているので、そこで買い出しだ。


 五階から階段で一階に。エレベータもあるが、非常時は使うなと祖父ちゃんが言っていたのを思い出し、避けた。


 コンビニにはすでに多くの人がいた。おそらく自分と同じマンションの住人だと思う。知った顔が何人かいたから。

 危ないところだった。日本人は緊急時にすぐに買いだめをするから、物が一気になくなる。ま、人のことは言えないけど。

 とりあえずレンジでチンすれば食べられるものをいくつかと、今日食べる分の弁当、それにもし水道が止まった時も考え、ミネラルウォーターを多めにカゴに入れた。そして、レジへ。


「今、セルフレジ、使えません。支払いも現金のみです」


 顔見知りの店員に言われ、ちゃんと財布を持ってきてよかった、と一安心。祖母ちゃんが言ってたもんね、いざってときは現金だよ、って。


 結構な大荷物を持って階段を上げっていく。途中で、エレベータ、使えばよかったかなと少し後悔したが、そのまま階段で自室へ戻った。


 買ってきたものをしまい、弁当を温めて朝食。

 食べながらテレビとネットを見るが、特に進展はない。ただ、やはり山手線内の全域が穴で覆われているのが確認されたようだ。自衛隊のヘリが照明弾を落とすシーンもあったが、確認できた範囲では闇しかない。どんだけ深い穴なのか?


 ネットの方では、カメラ付きのドローンを穴に侵入させる猛者も出てきた。範囲が広すぎるせいで、穴へのアクセスの規制は徹底できていないようだ。それはそうだ。取り締まるべき警視庁も穴の中だ。国会議事堂も、実際に日本を動かしている官僚の街、霞が関も穴の中。東証のある兜町も、消え去っている。政治経済とも中心地が一夜にして消滅したわけだ。市民の規制などできるはずもない。


 さて、ドローンを飛ばした猛者の中継だが――見事に無駄骨に終わっていた。降りても降りても闇ばかり。更にしばらく降下したところで、突然映像が途切れた。操縦も不能となり、そのまま落下した。いや落下したかもわからない。何らかの力で消滅したのかもしれないし、どこぞの異世界に転移したのかも――


「ふぅ~、こりゃダメだな……。仕事、どうするかなぁ」

 地方にいくつか支社はあるが、本社が消え去ったらもうダメだろう。新しい就職先、考えないとなぁ…。


「あ、そうだ、銀行は――」

 スマホで銀行アプリを立ち上げる。


 現在すべての取引を停止しています――


 なるほど、そうだよね。多分、ATMも使えないよね。窓口に行っても、預金、引き出せなさそうだな。


「……ま、数日あればどうにかしてくれるでしょ」


 東京の一部が消えただけで、日本全土が消えたわけではない。大阪も名古屋も福岡も札幌も残っている。どうにかしてくれるさ。それに、一月ひとつきぐらいは生活できる現金は用意してある。

 祖母ちゃんが言ってたからね、現金は常に手元に置いておけって。祖母ちゃんは、現金は紙くずになる可能性もあるから、きんも持っておくといいよ、とも言ってたっけ。きんは、そう簡単には落ちたりしない。世相が不安になればなるほど逆に上がるんだって、金の延べ棒も用意していたが、残念ながらうちにはそれはない。


「ふむ…、祖父ちゃんと祖母ちゃんが生きてればな、こんな時、頼りになっただろうに――」

 二年前に二人とも相次いで病気で亡くなってしまっていた。だが、その記憶は今も強く俺の中に残っている。それほど個性の強い人たちだった。


「うむ…、何をすればいいのか……、祖父ちゃん、祖母ちゃん、どうしよう…」

 天を仰ぎながら、心を落ち着かせる。


 現状をよく考えろ。いま実際に困っているのは、仕事の事だけかな…。食料やお金はしばらくどうにかなりそうだし、生活自体は普通にできそうだよな……


「結局、ただの休日って感じかな…。様子見か……」


 悩んだ時や迷った時は自分の心に問いかけろって祖父ちゃんが言ってたっけ…


 世界が明日にでも終わるというなら、色々しておこうかなって思うけど、現状だと明日からも普通に生活は続きそうだし、うーん、でも、もしあの穴が広がったら、ここも危ないよな。

 となると、心残りは残したくないし、そうだな、やっぱ、あれだけはきっちりしておきたいよなぁ……


「よし――」

 スマホを手に取り、電話を掛ける。付き合っている、とはまだ言えない微妙な関係の彼女に。

 少し前にLINEでメッセージは送ってあったが、いまだに返信はなかった。俺と同じく混乱し、まだ彼氏といわけではない男の相手をしている場合ではないのだろうとは思うが、何かあったのではないかと心配ではある。

 彼女の家は要町――池袋の西側、山手線の外なので大丈夫なはずだが……


「……」

 友人とのやり取りは文字だけがほとんどの昨今、電話と言うのは妙に緊張する。実家に掛けるのはどうということはないが、相手は好きな女性だ。心臓の鼓動が聞えてきそう。


「……出ないな」

 同じ会社に勤めている同僚なので、出社はせず家にいると思うのだが――


「寝てるってことはないよな…」


 どうしよう――


 もう一度、電話。でも繋がらない。


 メッセージ――反応なし。


「うーん……」


 心配だ。

 不安が増していく。


 自分の心に従うんだ――祖父ちゃんの言葉が蘇る。


「よし、どうせやることないし、行ってみるか」

 ここ練馬の桜台から要町なら自転車で十分行ける。自動車免許は持っているが、維持費を考え車は持ってない。レンタルの手間を考えたら自転車の方が早い。電動アシスト付きだしね。


 必要最低限のものをバックパックに詰め込み、着替えて、玄関を出る。

一階に降りると、コンビニには更に人が多く集まり、プチパニック状態になっていた。店内の商品がなくなるのも時間の問題だろう。


 駐輪場から自転車を出し、乗り込む。スマホで道順を再度確認。池袋の会社まで何度か自転車で行ったことがあるので大丈夫そうだ。目的の要町はその途中だ。


「よし、行くか」


 自転車をこぎ出す。電動アシストが効いてスムーズなスタート。


 いい天気だ。少し暑いが、サイクリング日和だな。


 会えるかな、彼女に……


 いや、会えたとして、どうなるものか――


「……」

 空に浮かぶ白い雲を見ながら、不安と戦う。


 と――


「危ない――!」

 慌てて急ブレーキ!


 角を曲がった先で、工事中の看板が立っていたのだ。


 ギリギリセーフ。


 看板の先を覗くと、


「穴――」


 マンホールのふたが開き、コードが何本か中に引き込まれていた。


「危なかった……」

 穴に落ちるところだった。


「穴か……」

 テレビで見た映像が蘇る。


 そういえば、祖父ちゃんがよく言ってたな。上を見るのもいいが、足元には気をつけろ、と。人生いたるところに落とし穴があるんだって。


 人生、思うようにいかないことばかりだ。本当なら婆さんではなくて、その友達の可憐でおしとやかなあの子と結婚するはずだったのに――、どうしてあの時、婆さんがあそこに……、わからん、今でもわからん、どうしてなんだろか――


 と、よく愚痴っていた。その話を一度、祖母ちゃんに話したところ、


 ああ、あれは私がハメたのよ。だって、私の方が好きだったんだもの、お爺さんの事――


 という怖い答えが返ってきたのをよく覚えている。


「……なるようにしかならないか、人生なんて」


 工事中の看板を避けながら、再び自転車をこぎ出す。


 とにかく行くだけ行って、その後のことはまたその時考えよう。

 彼女のことも、穴のことも――


 今度はしっかりと前を見て進んでいった。

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