P-Fi


 彼の興味を惹くために、私は彼が想っている男に対して愛想を振りまいた。不得手なことではあったものの、思いのままに行動したことが功を奏し、私が思うとおりになった。


 彼の想い人は、私の恋人になった。だが、惰性で繋がった男に対して積極的な何かを覚えることはなかった。むしろ、私の女性性だけを見つめている男に対して嫌悪感を抱きつつ、そして利用していることの後ろめたさを抱えることしかできなかった。


 彼は、呪うような視線で私を見つめた。嫉妬めいた炎を、そんな感情を瞳に溶かして、彼は私に言葉を吐いた。


 それは呪いの言葉だった。彼の語彙で私を罵り、その言葉の後、男とつながった私のすべてを奪うようにした。


 暴力的ともいえる行為、だが、それを私は愛と解釈することができた。だから、当然のようにそれを受容した。


 彼がそうすることは明白だった。私と同じ人間であるならば、そうするであろうということは想像に難くなかった。それらは現実になり、やはり私の思い通りになった。


 そこから私は歪な関係を始めた。彼はそれを嫌がったが、私はそれを留め続けた。


「もう、やめにしようよ」


 謝罪の言葉を共に紡がれる、関係性の終わり。行為が終わるたびに言葉は吐かれていたけれど、私はそれに耳を貸すことはなかった。


 罪悪感が彼を支配したのだろう。男を愛しているというのに、その恋人を略奪するような行為を選んだこと、そんな裏切りと、私に対して暴力的な行為を犯してしまったこと。彼は日ごろからそんな表情を浮かべるようになり、どこか諦観を抱いた苦笑を浮かべることが多くなった。





「そろそろ、別れた方がいいと思うんだ」


 彼は私の表情をとらえながら、真剣な口調でそう言葉をかけた。


 いつも紡がれている言葉。だが異なっている場所、行為が犯されない環境の中で、彼は確かにそんな言葉を吐いた。


 いつもであれば、行為という罪を建前として振りかざして、私は歪な関係を彼に縛ろうとする。彼が私から逃れることはないように、そんな拙い祈りを込めながら。だが、行為は行われないからこそ、そこには罪人であるという自覚が私を蝕んでいく。


 心臓に澱んでいく黒く冷たい血の流れ。どくどくと嫌な感触を繰り返して、まともに呼吸をすることができなくなる。重力を意識して、起き上がっている背中を床に押し付けたくなる気怠さ。軋むような胃の心地と胃液の混じりが気になった。


 私は、罪人でしかない。


 彼の想い人の感情を利用した、彼とつながることを目的として。それが本質的な恋の成就になるわけないと理解しているのに、好きでもないのに恋人になって、彼の嫉妬心を煽った。私は彼らの心を利用したのだ。


 人の感情を利用するなど、人に許されることではないはずだ。許される罪などこの世にあるのだろうか。これを考えることは逃避にならないだろうか。


 傲慢かつ俯瞰ですべてを見つめる私に、彼は真剣な表情を浮かべ続ける。


「いまさら」と私は震えながら声を吐いた。上ずった言葉には喘鳴が混じっていた。まとまらない呼吸に息は多く含まれた。そう言い返すことしかできなかった。


 いまさら、でしかない。もう始まってしまったことであり、それが終わっても、終わらなくとも、私が罪を犯したことは、彼が罪を犯したことは変わらない。


「もう、嫌なんだよ」と彼は言葉を返した。


「だから、もう別れよう。こんな関係、最初からおかしかったんだ。これ以上、アイツを裏切ることは、もう、したくないんだ」


 真剣な彼の表情には、その瞳には雫が浮かんでいた。それは落ちることなく瞳にとどまり、精一杯の感情を私に伝えていた。


 彼の言葉は正しいものだ、いつだって正しいものだ。こんな罪しか存在しない関係性は肯定されるべきものではない。


 ああ、正しいのだろう、彼が正しいのだろう。


 正しさはひとつの刃になる。それは私にとって刃物でしかなく、心臓に突き刺さって、そうして切り裂かれる。


 彼の言葉に、彼との終焉を想像してしまう。正しさに、すべてが引き裂かれる感覚を反芻する。


 正しさに切り裂かれた心は、動く気配を感じない。


 今まで犯した罪の反芻。彼に犯した罪、男に犯した罪。正しさの理解。私が行ってしまったすべてに対する罪。いまさらでしかない。だが、いまさらでしかないからこそ、ここで止めなければいけないという気持ち。


 それでも働く彼に対しての独占欲、そして自身のいびつさに対しての気持ち悪さ。


 吐き気を覚える、どこまでも私は醜い。彼にそう言葉を紡がれても、まだ縋りたい気持ちで歪な関係を望む自分がいる。


 でも、彼はそれを望まない。


「なあ、これで終わりにしよう」


 ねだるように。


 せがむように。


 こびるように。


 私は彼のその言葉を、受容するしかなかった。





 私は私である。男も女もなく、私は私であるという定義を繰り返している。そう繰り返すことで性別という区別を選択することなく、人に対して平等でありたい、平等に見られたいという気持ちがあった。だが、それも今になっては無意味でしかない。


 彼との関係は終わりを告げた。彼との関係が終わってしまった故に、意味のない恋人の営みも私は終わらせた。きっと、ここで男に付き合い続けることも贖罪になるのだろうが、私は身勝手な人間でしかないという傲慢さを自覚して、彼らから離れることにした。


 胃袋の奥底、もしくは心臓にどんよりのしかかる、飲み込もうとしても飲み込むことができないなにか。目の前の食事を咀嚼することはたやすいかもしれないが、その寂しさを咀嚼することは難しいかもしれない。いや、きっと咀嚼している段階なのだろう。


 私には、そんな切ない感情があふれている。


 取り留めることしかできない、私には不要な感情が。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Mise-en-scène @Hisagi1037

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説