第6話 痛覚

「いきなり抜き打ちの血液検査ですか?」


 県のボクシング新人戦の会場は騒然としていた。


「はい。実は県のボクシング連盟に文科省から指示がありました。文科省に匿名で『生徒に過度の減量を強いて殴り合いをさせている本大会には生徒虐待の疑いがある。また低血糖の状態での試合の強行は生徒の身体に不可逆的な障害を残す危険すらある。人道的な立場から、生徒の事故防止と安全確認のために、本日試合予定の全選手の抜き打ちでの簡易的血糖値検査を行い、低血糖を起こしている選手の試合は中止すべきである』との電話があったそうです」


 県のボクシング連盟スタッフから説明があった。


「マジかよ」


「酷い誹謗中傷だな」


「前代未聞ですよ。こんなこと」


「いや、たしかに無茶な減量してる奴もいるしな」


「そうですね。生徒の安全は大事ですよ」


「そりゃあ当然ですが」


 会場で皆てんでに好き勝手に話している。


「皆さんご静粛にお願いいたします!」


 連盟の職員が声を張り上げる。


「電話の主は続けて『この忠告に従わないで人命に関わる事故が起きた場合、全責任は文科省とボクシング連盟にある』と言ったそうです。以上のことを踏まえて、文科省からは『本日の新人戦は血糖値検査を行うこととする。それができない場合は、生徒の安全の観点から本日以降の大会を中止するものとする。また血液検査に協力できない選手及び学校は参加を認めない』と正式な通達がありました」


「それじゃあ、やらないわけにはいかないだろ」


「全くだ。とんだいい迷惑だ」


「でも生徒の安全のため、無理な減量防止のためということであれば、これは画期的で正しいことなのではありませんか?」


「それはそうなんだけど、いきなりそんなこと言われても、協力してくれる医療機関なんかあるのか? そんな費用とか予算とか金銭面はどう対応するんだ?」


「そうですね。参加費用はもう徴収していますが、そんな追加費用の事については予定外ですからね」


「皆さんご静粛お願いします! 幸いなことに、市内の竹中病院の方から協力を得られることになりました。検査のための看護師と医師は竹中病院から無償で派遣されます。検査キットの費用も全て竹中病院で負担してくださるそうです。こちら竹中病院の竹中茂虎しげとら院長先生です」


 びしっと白衣を着こなした白髪の男性が、前に出て頭を下げた。


「どうも、ご紹介に預かりました医師の竹中です。私もボクシングが好きなものですから、こういった形で皆様にご協力させていただく機会を得まして誠に嬉しく思っております。費用はすべてコチラで負担しますからご安心ください。皆さんは選手の生徒さんたちに検査を受けさせ、安心安全な状態で試合ができるようにご協力をお願いいたします! 本日はよろしくお願いいたします」


「「「「おおおおおお!」」」」


パチパチパチパチパチパチパチパチ


「よかった。よかった。費用的負担が発生しないのならば、うちは全然問題ないです」


「そうですね。参加費用の再度の徴収なんて選手の御父兄にも負担がかかりますしね」


「いや、正直言って、私たちも手間ですから、ほっとしましたよ」


「まぁ採血で痛い思いをする選手はちょっとかわいそうですけどね」


「選手の安全のためだから仕方ないでしょう」


「では、本日試合の選手の皆さんは、こちらにお並びください。順番が来ましたら、お名前、所属、試合の階級を仰ってください。針が出てくる器具で指先をパチンと突いてほんの少しだけ血を頂いて血糖値を測定いたします。痛いのはほんの一瞬だけです。試合には影響はありませんからご安心ください」


 今日試合がある選手たちが列を作って並び始める。その列の横に顧問や引率の教師、上級生もついて話しながら順番の来るのを待っている。大桑おおが高校の三分さんぶはじめもいつものジャージ姿の顧問の山本教諭と後ろの方で並んで待っている。


「山本先生、僕は血液検査なんて今までいっぱいやってきたから嫌いなんですけれど。パスしちゃだめなんですか」


「三分は体弱かったから、そうやろな。でも安心せえ。血液検査で血ぃ抜くのは誰かていやや。そんなんが好きって変人は百人に一人とちゃうか?」


「僕、変人と違いますよ。嫌なもんは嫌なんですけど。笹井君、代わってよ」


「なに恥ずいこと言ってんだよ。はじめってバカなの?」


「せやせや、ニンゲン諦めが肝心や!」


「みんな他人事ひとごとだと思って!」


「ああ、ちょっといいですか。大桑おおが高校の三分くんと山本先生ですね!」


 どうも採血が苦手な三分が山本教諭や同級生の笹井と絡んで騒いでいると声をかけてきた大人がいる。無精髭を生やしてひょろりと細身で背が高く180㎝を超えていそうだ。黒のTシャツの上に薬品の染みが付いた白衣を引っ掛けて着ている。Tシャツには悪趣味なことに『睾丸タマなんて蹴ってつぶしてみにじれ』とデカデカと書かれている。


「「うわああああ……」」


 三分と笹井が突然現れたホンモノの変人に思い切り引いて、顔を引きつらせている


「うっ。ええと、失礼ですがどなたですか?」


 山本教諭も顔を引きつらせ、嫌な汗をつつ対応する。


「申し遅れました。私、菩提山高校ボクシング顧問代理で引率教員の竹中かけると申します。そして、こちらが、今日の試合で三分くんと対戦のライト級の遠山武行たけゆきくんとバンタム級に出る日比野順昭のりあきくんです。本日はよろしくお願いいたします」


「「よろしくお願いします」」


「「「こちらこそよろしくお願いします」」」


 色んな意味で痛いTシャツを来た変人は生徒たちと揃って頭を下げた。それを見て、山本教諭や三分たちも慌てて頭を下げる。


「菩提山高校さんはもう血液検査は終わったんですね」


「ええ、おかげさまで。2人とも無事パスしましたよ」


「そうですか。ウチはこれからなんだけど、この子がすっかりびびっちゃって」


「三分くんが、ですか?」


 竹中教諭は不思議そうな顔をした。


「体が弱くて散々病院に行ってたのにまだ血液検査を怖がるんですよ」


「山本先生は分からないでしょうけど、採血が下手な看護師さんに当たって、注射針刺してから中で血管を探してグリグリされたときむちゃくちゃ痛いんですよ! 内出血して、アザも残るし、格好悪いし」


「ふむふむ。でも三分くん、腕からじゃなくて、指先でちくっとくるだけですから、今日の検査はそんな風にはならないですよ」


 竹中教諭が何やらうなずいた後説明した。


「え? そうなん? 遠山くん、日比野くん、痛くなかった?」


「採血は痛くなかったんだけど、なぁ」


「そうだなあ。こんな汚い白衣にこんな変なTシャツを着ている竹中先生と並んで周りの注目を浴びる方がよっぽど痛かったよ。指先よりも心が痛い」


「「うん、うん、うん」」


「失礼だな、君たちは。じゃあ私たちはお先に。今日はいい試合をしましょう」


「こちらこそ」


「では、試合のリングで」


「ええ」


 菩提山高校の三人が頭を下げて立ちさろうとするその時だ。


「ああそうだ、三分くん、山本先生、最後に一つだけ」


 竹中教諭がくるりと振り返って言った。


「今日の試合は、三分くんの思い通りにはさせませんよ。じゃあまた」


 竹中教諭はバチンとウインクを決めたあと、唖然とする大桑高校の面々を残して、嬉しそうにニコニコと微笑みながら手を振って去っていく。


 そこに見学に来ている井ノ口高校の森も合流して言う。


「竹中先生、何かいいことあったんですか?」


「うん。ちょっとね、とってもいいことがあったんですよ」


「ちょっとなのかとってもなのかよくわからないですね」


「いいじゃないですか」


「それよりもそのTシャツ何とかなりませんか? さすがに恥ずかしいんですけど」


「あぁこれね。役目も終わったからもう着ないよ。着替えてくるね」


「なんなんですか? その役目って?」


 菩提山高校側の面々が話す声が遠ざかっていく。


「なんなんですか、あの竹中先生って」


「強烈な人でしたねえ」


「・・・・・・」


 山本教諭は黙り込んでいる。


「山本先生どうしたんですか?」


「あの人めっちゃ怖いわ。さぶいぼ立ったわ」


「「ええ?」」


「竹中病院ねえ。三分の秘密を探るために、普通そこまでするかぁ? ありえへんわ! さすがは『菩提山の孔明』やな。まあ、今回は三分のことを心配してくれはったんやろうけど」


「「ええ、そうなんですか?」」


「まぁそれでもこっちはやる事は変わらんけどな。ほな、三分、お前の番やで。大人しゅう血ぃ採られていや!」


「イヤダアアアア!」












 選手一通りの採血が終わり、後片付けをしている竹中院長たちのところに、菩提山高校の竹中教諭がふらりと現れて、小声で話しかける。


「父さん。三分くんどうだった?」


「ははは。採血のとき、涙目で目を逸らしてたぞ。プロの目から見て針が刺さるときのビクッとくるあの反応は演技じゃないな。彼、ちゃんとはあるぞ」


「ええ、そうみたいですね。僕のTシャツ見たときも何とも言えない嫌そうな顔していましたからね」


「あーあの超悪趣味なTシャツだな。でも、どうしてこんな大騒ぎまで起こして、彼に痛覚があるかどうか確認しろなんて言ったんだ?」


「三分くんってほとんど汗をかかないみたいだから、を疑ってたんです。もしそうだったら普通に聞いても教えてくれないと思って。けど、そうじゃなくてよかったです」


「うん? 三分くんが無痛症だった方がお前の所の生徒が不戦勝になってよかったんじゃないのか?」


「とんでもない。第一に、もし、三分くんがいくらボクシングの天才でもだったら、自分のダメージを自覚できないんですから、危険すぎてボクシングなんか絶対するべきではないです。これは三分くんの安全のための確認です」


「ふむ、そうか」


「そしてもう一つ、もし彼が無痛症じゃないかなんて心配してたら、ウチの遠山くんが安心して三分くんにパンチを打てないじゃないですか」


「なるほどな。そういえば、大桑高校の山本先生から、『ありがとうございます。ご心配をおかけしました。でも大丈夫です。ご安心ください。かける先生によろしく』なんて言われてしまったぞ」


「あちゃー、気づかれちゃったか。まあいいや。お父さんには迷惑をかけちゃったね」


「医師として、安全や人命を尊重するのは当たり前のことだ。それにな」


 そう言って、ロマンスグレーのイケオジはニヤリと笑った。


「今年度は急な依頼を無料で引き受けて貸しを作ったんだ。来年度以降は新人戦に限らず、全試合での全選手の血液検査をしっかりやらせてもらうから、充分元が取れるさ。どうせ土日の外来は休みだから、しっかり稼がせてもらうぞ。うっしっし」


「父さんもなかなかのタヌキですね!」


「違いない」


「「ハハハハハハハハハ」」










 次回はいよいよ、三分VS遠山の試合です。



つづく

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🥊スナイパー・三分一(さんぶ・はじめ)🥊 土岐三郎頼芸(ときさぶろうよりのり) @TokiYorinori

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