あの震災が起きたとき、被害を受けなかった私

島尾

2011年3月、私は中坊だった

 19歳まで高知県で暮らしていた私は、東日本大震災の被害を受けなかった。内陸の標高14mの安全な地区に住んでいたから、確かに揺れは感じたものの、津波や避難生活の苦しみを味わうことはなかった。庭でボール遊びをしていたとき、揺れたなー、と思い、テレビで震度を確認すべく室内へ。ありがちなことだが、日本人はさほど揺れない地震だと震度当てゲームをして楽しむ。その感覚でニマニマしながらテレビに向かった。そしたら震源が遠く東北沖で、東日本はとんでもないことになっていた。とはいえそれほど揺れなかった高知県民の私は、路頭に迷う人々の映像を見ながら内心高みの見物をしている感覚だった。

 その能天気な頭を変えたのは、津波の中継だ。

 広い畑と、車や家、そしてビニールハウス。全部津波で潰された後、流されていた(まるでおもちゃのように)。高知県ではビニールハウス栽培が盛んで、どこにでもある、大きな透明の蔵みたいなものという感覚だ。私の祖母も当時はビニールハウスでナスを栽培していた。あれがいとも簡単に、順番に、コンピュータでプログラムされているかのように冷淡に、風船のごとく破裂していく様子。それをテレビで見た中坊の私は、ここでようやく恐怖感を抱いた。しかもそこは仙台平野の名取市で、私の親戚が暮らす市だった。「死ぬかもしれない」という懸念が湧いた。しかし名取市生まれの祖母が言うには、「海から離れていて標高もここと一緒くらいだから大丈夫」ということだった。そして、結果的に津波被害は受けなかったという。揺れは相当だったはずだ。ちなみに塩竈市にも別の親戚が暮らしている。彼らの家は流されたと知らされた。


 受験のために仙台に行く必要があった。仙台空港に降り立つ直前、名取市の海岸が必然的に目に入った。ぐちゃぐちゃになっていたあの映像のような景色はなく、荒涼とした土地整備がなされていた。震災から3年経っていたが、復興の途中も途中であることの表れであった。


 最近、女川港から少し行った高台に行ってみたことがある。そのとき、やけにハゲた島を発見した。本土や他の島に比べて緑が極端に少なく、明るめの黄土色。調べたら貝笠島という無人島だった。「周りの緑豊かな島とは違う、独自のスタイルを見出した個性の塊」という印象を、その島に抱いた。しかしさらに調べてみると、津波が43.3mまで遡上したというではないか。そりゃハゲるわ、と思える。木々をバリカンで剃るように流し去るのに十分なエネルギーを持っていた証が、土くれ剥き出しの無人島である。「なんでハゲてんだ? あの島w」とバカにして眺めていたが、理由を知ると気持ちも変わる。ただ、1島だけハゲているからこそ「美しい」と思えたのも事実である。なぜその美が生まれたのかを知ると、少し胸の痛くなる思いがある。

 この貝笠島だが、離れたところからいくつかの他の島と一緒に見なければ美しさが消えることに気づいた。江島という島まで行くと、より大きく、より荒涼として無味乾燥した、つまらない孤島にしか見えない。日本三景松島が綺麗なのは、多くの島を一つの集まりとして眺め回すからである。その後に一つ一つの島について詳細に鑑賞し、ますます美を見出すことができる。同じことが貝笠島とその周囲の島にも言えることを知った。


 ぶち壊されて10年以上経過した町にふらふら訪れたよそ者が見た景色は、美しいハゲ島だけではない。新しく生まれ変わった女川駅前広場は、仙台市内の街並みに感ずる東京の下位互換のような二番煎じ的なものではない。女川駅の展望台からは、新しい町の先に穏やかな湾と島数個が一望でき、「三陸固有の良さ」を感じる。夜の女川漁港からは、津波被害をまぬがれた被災地の原発のめらめらと白く光る景色が見える。原発再稼働の是非が問題になっているが、それとは無関係に町固有の夜景を毎夜、作っている。


 いずれ高知県にも津波が来て、街という街が流される。名取市の津波で見たように、高知県平野部に広がるビニールハウスが次々に割れて飲み込まれる。家、車、人が容易に流されていく。

 その10年後、何が作られて何が残るのか。宮城県には荒地のままのところもある、同様に高知県も荒地のまま見捨てられる土地が出てくるに違いない。しかし、破壊された後に新しく作られる物と、破壊されたことによって津波が起きた事実を記憶する物、そして津波が襲来する前の普段の海、この三つが合わさって、新しく、美しくよみがえる町もあるはずだ。2011年3月11日に高台に避難して「もう全部ダメだ」と嘆いていた者の中にも、今は新しく美しく生き返った人々がたくさんいるだろう。


 人の手に負えない災いから瞬時に逃げ走ることは、恥ではなく、必ずしも損害のみを残さない。逆に、津波が引いたから今のうちに貴重品を取りに戻ろうと思うことや、津波の第2波が到達する前に親や子供やペットを助けに行った結果、間に合わず全員津波に飲まれこの世から消えるということ、そして、津波の豪快な「美」に見惚れて眺め続けて終いには飲み込まれることは間違いだ。そういうことこそ避けねばならない。津波から逃げる際に必ず持っておくべき物は、必ず蘇ってみせるという、密かなる熱意だろう。それ以外のものをより多く求めた者から順に流されると思う。限られた体力を全部出し切って恐るべき津波から逃げ走るには、まず自分の精神を目先の高台に避難させるのがよいだろう。すなわち、全人生を未来に託すと決することである。

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あの震災が起きたとき、被害を受けなかった私 島尾 @shimaoshimao

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